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行方不明の父親と偶然遭遇した話。

 以前、

 で、「(実は後にばったり出くわすことになるんだけど。それはまたの機会に)」と父について綴った話を詳しく書いていこうと思う。

 私の両親は、私が一歳半の頃に離婚した。以来、一人暮らしをするまで母に引き取られて育てられてきた。

 母からは、「たった一人の父親だから、会いたい時に会っていいんだよ」と言われていて、定期的に父に会わせてもらっていた。電話でやり取りをして、約束を取り付ける。夏休みと冬休み、年に二回、数日間を父の家で過ごし、たまに何かのタイミングで外食へ行った。

 父との思い出は数が少ない。そしてどれもが断片的で、父が話しているところは全く記憶がない。私は元々お喋りだったから、私が一方的に話しかけては聞き流されていたのかもしれない。

 唯一しっかり覚えている記憶といえば、道端で突然父が歌い出して、私が真似して歌うのを見て笑い出した父の笑顔だ。英語の歌だったと思う。どんな曲だったか、どんな歌詞だったかは忘れてしまったけれど、陽気な歌声の印象だけは残っている。

 そして何より、その記憶の中の父の笑顔は、私の笑顔とそっくりだ。親子だという証拠のような気がする。別に今となってはどうでも良いけれど、小さい頃から大切にしてきたから捨てられずにいるぬいぐるみのような、必要ないけどなんとなく手放せない思い出。

 さて、そんな父が行方不明になったのは小学五年生になったばかりの春のこと。

 保護者の集う学校行事は、毎年父を誘っていた。だからそれまで通り、運動会が目前に迫ったある日、父の携帯に電話をかけて一瞬時が止まった。「この電話番号は、現在使われておりません」

 母に伝えると、驚いた様子で掛け直してくれた。結果はやはり同じだったようで、困惑気味に「消息不明だね」と言って笑った。とうの私はというと、「もう会わないってことか。パパは私を捨てたんだね」と、特別悲しみに浸ることもなく現実を受け入れた。

 正直に言おう。私は父と特別会いたいと思ったことはなかった。いつも会う約束をする時は、母が「パパに会いたい?」と聞いてきた時だけ。別にどちらでも良かったけど、嫌いじゃないし会いたくないわけではなかったので頷いていただけだ。

 結局そこから行方知れず。生きているのか死んでいるのかも分からない状態となった。中学二年生の頃、一度だけこっそり父の住んでいたアパートを訪れたことがある。父の苗字が書かれていた表札は、知らない会社の名前に変わっていた。

 そして月日が流れ、大学一年生の夏。地元のパチンコ屋でアルバイトを初めて数ヶ月。高校生不可の職業が働けるようになってから、すぐに働き始めたバイトだった。面接の為に初めて訪れたパチンコ屋は、とにかく騒音が凄まじくて強烈だったけれど、そんなものにもすぐ慣れた。そして、いつも通り通路に向かってお辞儀をしようとした時だった。

 店内の通路、奥に父がいた。こちらに向かって歩いてくる。

 父の顔を見て、別に何にも悪くないのに「見つかったらどうしよう!何て言葉を返そう!」と頭を巡らせながら、必死に平静を装って笑顔を貼り付けた。ちらりと近づく父を盗み見ては、どうか目が合いませんようにと願いつつ、心のどこかで「私だと気付いてくれたらいいな」と思った。

 そして、父は呆気なく目の前を通り過ぎた。去って行く後ろ姿を見つめながら、「気付くはずないじゃん」と期待してしまった自分を馬鹿にして、「パパはお前を捨てたんだよ」と嘲笑った。少しだけ白髪混じりの頭を見て、過ぎた時間の長さというものを感じた。

 それから暫くして、北斗の拳のスロットを打つ父を見掛けた。ここに来るということは、やっぱり気付いていないのだろう。もしも気付いていたら、何年も前に何の音沙汰も無く消えてしまった父親という自覚を少しでも持つはずだと思った。だからここへ通うということは、彼の中に私はもう居ないということだ。

 結局、行方不明の父親を偶然アルバイト先で見かけて、二度目の遭遇の数日後にはバイトを辞めてしまった。会う度に「捨てられた娘」を自覚するのは、あんまり良い気はしない。

 こうして父との遭遇は幕を閉じた。今は地元を離れているので、この先この幕はもう上がらないだろう。というか上がらないでくれ。

 最近父を思い出すことは全くと言って良いほど無くなった。毒親について考える時も母や祖父母に考えが向く。

 補足として、父方の祖父母を私は祖父母と呼べない。私が物心ついて初めて会ったのが小学三年生の頃。父方の祖母は会ってこなかった孫に対して何だかよそよそしかったし、父方の祖父は遺影の中で気難しそうな顔をしていた。なので「祖父母」は母方の人たちに対するものだ。

 さて、とにかく毒の付く身内は母と祖父母の三人だけだ。

 父親は私の中で消えた。行方不明のまま。生死も不明。
だけど最後に娘として会ってくれたあの日、その頃最新機種だったゲーム機を買い与えてくれた父。

 クローゼットの奥にある、もう中古屋に売ったところでお金になるのかすら怪しいゲーム機を見ると、私そっくりの笑顔を思い出す。

 生きているだろうか。それ以外、特に思うことはないけれど。


 ※当時の驚きがまさにこれ!というイラストは、上の森 シハさんから拝借いたしました。ありがとうございます。

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