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晴れ女の意義について。

今日は自分のお話。

晴れることの定義。

自称晴れ女を名乗ってだいぶ経つ。
大体の時は晴れるし、雨男、雨女といる時は雨だし。
ずっと雨が降っていても帰る時には止んでいたり、建物の中に入った途端、雨が降り出したりする。
小雨はミストとして解釈していると「びしょびしょですね」って言われたりする。
つまり日本の天気として、そこそこ雨も降るし、晴れの方が多いって言うごく一般的な状態であるってこと。

じゃあ晴れって何なんだろう。
雨が降らなければ晴れ。
そう考えると確率としてはだいぶ上がる。

雨降りそうだけど降らずにもったね。
降ったけど止んできたね。
天気予報雨だったのに降らなかったね。
明日からは台風らしいね。
小降りで済んでよかったね。
これらはだいたい「晴れ」となる。

結局は印象操作である。

印象に残ったもん勝ち。

晴れた時に「晴れたよ、私のおかげ」と言い、雨の時は「大丈夫、私いるからもう直ぐやむよ」と言う。止まなかったらヘラヘラする。

そんなことが晴れ女の営業内容である。

あとは初詣の時は必ず「明日晴れます様に」とお願いする。
1月の頭はだいたい晴れるし、「あ、私の願いかなえてくれたんだ」って思えた方が楽しいから。

雨の予報もあまり気にする性格じゃないし、雨なら雨で、晴れなら晴れでその時々を楽しめばいい、そんな気持ちでいつも過ごしている。

じゃあ晴れ女だと印象に残ると何が良いのか。
天気という人知にはどうしようもできないことが何となく自分のおかげになる。
天気が移り変わることは当たり前で、雨より晴れの方がずっと多い。
でもそれが自分のおかげになるってすごくコスパが良い。

「晴れ」を強調しておくことで、「晴れ」の印象が強くなる。
雨が時折降った日も、たまに晴れれば「晴れ」の印象が強くなる。
だってそばにいるのは「晴れ女」だから。

雨が多いと思えば多い気がするし、黒猫が歩くと悪いことが起きると思えば起きるし、めざましテレビで運勢が悪いと出れば占いのせいになる。

結局その人の潜在意識に何があるかがその時の印象を決める。

雨の日も楽しめる。

晴れの日も、雨の日も、その人といれば楽しい自分がいる。
それなら天気なんて何だっていい。
でもその人が楽しい方がもっといい。

時々の晴れを、止んだ雨を、小降りの雨を大切な人が笑顔で受け止めてくれる方がいい。

嫌なことを肯定的に受け止めてくれるきっかけが自分でありたい。

だから私はいつでも「晴れ女」でいる。

でもでも、本当に晴れる日多いんだよ。

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