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絵手紙作家・小池邦夫先生とのご縁

絵手紙作家・小池邦夫先生とのご縁
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 書家で絵手紙作家でもいらっしゃった、小池邦夫先生が、82歳でお亡くなりになりました。先生は、絵手紙協会の創設者・会長でいらっしゃり、「ヘタでいい、ヘタがいい」と皆を励まし続け、大勢の絵手紙愛好者を育ててこられました。

 実は私は、絵手紙を描きません。それでも小池先生を「先生」とお呼びするのは、在りし日の先生とちょっとしたご縁があったからなのです。先生への追悼として、その“ご縁”について書いておこうと思います。私の感傷を長文で綴ることになりますが、飛ばし飛ばしでもお付き合いいただければ幸いです。

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 私の少年時代は、学校ではいじめや校内暴力、教育側からのカウンターとしての管理教育という“嵐”も吹き荒れ、小学校は決して居心地のいい居場所ではありませんでした。そんな中、両親(特に母親)の方針で私は中学受験をすることになり、4年生の終わりから塾通いを始めます。当時すでに、「日能研」やら「四谷大塚」やら、大手の学習塾が活況を呈し始めていましたが、私が通うことになったのは、「東京エクセル進学会」という個人塾でした。結果的には、この塾通いが私の居場所となり、支え、将来を方向づけることになります。

 結論を急げば、私はこの時に、「東京エクセル進学会」で国語の講師をしていた小池先生と出会ったのです。先生は当時すでに、絵手紙作家としての活動を始められていましたが、それで生計を立てられるものでもなく、いわば“アルバイト”として、塾の講師をされていたわけです。

 先生は、声の大きな熱血漢でいらっしゃいました。そして喜怒哀楽をまっすぐぶつけて来られます。例えば、子どもが授業に遅れてくると、「おい、何で遅れた!」「急いで来たか?走って来たか?」とやるわけです。その迫力に、子どもたちは竦みあがるのですが、先生は続けて「(通塾の)電車の中でも走って来たか!」と真顔で仰います。(電車の中を走っても、意味ないのにな)などと思いつつ、その嫌味のない熱意を受け取るのです。小池先生は子どもたちに人気の講師でした。

 先生は、子どもを“のせる”のもお上手でした。授業を始める時には、子どもたちの拍手で教室に先生をお迎えする習わしだったのですが、拍手が“ぴたっと決まった”時の先生は、まさに破顔一笑。なので子どもたちも次第に拍手をエスカレートさせ、三三七拍子の音頭をとったりするようになりましたね。そうしてノリノリで勉強に取り組むわけです。うまく“のせられた”ものです。

 小学生だった私たちは、先生が絵手紙作家として活動されていることを、すでに知っていました。そして先生は私たちに、小学校の休暇中は毎日、先生宛に手紙(絵はなくてもよかった)を書くよう求めました。先生からも何通か、お返事の葉書をいただきました。当時の私は(今でも?)ぼんやりした子どもだったので、先生には葉書でも叱咤激励され放しでした。私たちは先生お一人に書けばいいのですが、先生は子どもたち全員(30名くらい)に書くわけです。そのことからも、先生の放つ熱量が知れます。

写真1・先生からいただいた葉書。いま私は、当時の先生の年齢を一回りほど過ぎたくらい。先生の“迫力”に、少しでも近づくことができているだろうか。

 中学受験は、第一志望に逆転合格(いったん不合格とされるも、補欠からの繰上げで入学)を勝ち取りました。先生からは、巻物(?)のような祝いの手紙をいただきました。

写真2・先生からいただいた手紙。巻物状なので、相談室のテーブルに広げてみた。宝物でありお守りでもある。

 その後私は、暗黒の思春期をなんとか生き延び、大学生になると、友人に誘われ個人塾の講師をするようになりました。しかも国語の!これも何かの縁でしょう。脳裏には、在りし日の小池先生の姿があるのですから、5年間(修士課程修了まで)精一杯務めましたよ。楽しかったなあ。そして今でも、大学の非常勤講師として教壇に立つとき、先生の“何か”がよぎる瞬間を感じることがあります。

 大学を卒業して十年ほど経ったころ、毎年のように開催されていた先生の個展を、銀座の鳩居堂まで訊ねたことがありました。突撃訪問だったにも関わらず、画廊の方に事情をお話しすると、在廊していた先生に取り次いでくださったのです。挨拶をして握手を交わしたのですが、先生は私のことは憶えていらっしゃいませんでした。私にとって先生はたった一人ですが、先生には、毎年毎年たくさんの生徒さんがいらっしゃったのですからね。その後、お目にかかる機会を作れなかったことが、返すがえすも残念です。

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 「ヘタでいい、ヘタがいい」そんな絵手紙が輝くのは、そこに心の“熱量”があるからです。どこかぼんやりした、冷めたところのある私は、“熱量をもって取り組む”こと、いただいた葉書にあったように“迫力”をもって取り組むことを、先生から教わったのだと思います。今でも、へこたれそうになることは、多々あります。それでも、もう少し、頑張ってみます。見守っていて下さると嬉しいです。末筆ながら、改めて、小池邦夫先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 長々とした自分語りに最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

(おわり)

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