辻谷陸王

名刺代わりの短編置き場。 ブログ:https://riq0h.jp

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最近の記事

Entering

 あれは保健の時間のことだった。はっきりと覚えている。ただでさえ学年合同授業はちょっとした珍事だ。ひんやりとするアルミ天板の大きな机が並ぶ総合室で、年老いた先生がのろのろと聴診器を配っていた。聴診器は隣り合った子と二人一組の割り当てらしく、僕は不用意にくるくる回る円形のスツールを両手でがっちりと抑えながら相手の子と向き合った。その子はさらなる慎重さでスツールの回転機構への不信任を露わにして、一旦立ちあがってから姿勢を変えて座り直した。  先生の話によると、今日は心臓の動きを観

    • Overwritten

       あまり記憶には残っていないけど、私は幼い頃に一度死にかけたらしい。なにかに気を取られやすい質だった私はその時、するっとママの手をすり抜けて車道に飛び出した。いくらなんでも車が危ないってことは当時の私にも解っていたはずなのに、今となってはそんなに気になったものがなんなのかも分からない。  次の瞬間、横からすごい力で吹き飛ばされて、すぐに目の前が真っ暗になって、目が覚めたら真っ白な部屋のベッドで寝ていた。パパとママと知らない人たちが周りにたくさんいて、目が合った途端に抱きしめら

      • 人生やり直せるからって勝ち確だと思うな

         急な話で申し訳ないけど君は人生をやり直せることになった。現在の人格と記憶を保ったまま、任意の過去の自分に時間移動できる。いわゆるタイムリープってやつだ。君がよく知るであろう言葉で表せばね。ああ、僕が誰かは気にしなくていいよ。問題はやり直したいかどうかだ。今の自分にすっかり満足しているなら断れるが……どうせ断らないだろ? 僕調べでは対象者の七十三パーセントが五分以内に合意している。誰しも人生に不満はあるものだね。さあ、まずはいつ頃の自分に戻りたいか決めるといい。  ただし、新

        • ノイズキャンセリング

           その洞穴は足腰まで浸かる水たまりを越えた先にあった。両脇を切り立った高い崖に囲まれ、道は狭く、反対側は鬱蒼と茂った山の森林に遮られている。ゆえに侵入経路はここ一つしかない。昨夜の雨露と思しき雫が両脇の崖を伝って落ち、できあがった水面が陽光をてらてらと反射している。  ウィリアム・ソイル隊長率いる王家の守護隊〈ロイヤルガード〉は崖の手前に整列していた。黄金色の輝きを放つ板金鎧と兜に身を包んだ金髪碧眼の剣士が五名、馬車に運ばせた梯子で崖の上に登った弓兵も他に十名いる。  しかし

          マンション自治会怪異退治係

           昼下がりの静寂を突き破るがごとく打ち鳴らされたチャイムに、僕は結構な怒りを覚えつつ応じた。例えるなら「はあい」と「あ゛あ゛?」の中間をとったぐらいの感じだ。  やや大げさにドアを開け放つと、そこにはいつか見たような顔つきの老人が立っていた。記憶は曖昧だがきっと同じ階の住民に違いない。瞬時に公共的な表情を取り繕った僕に、それを知ってか知らずか老人はぶっきらぼうに言った。 「あんたに決まったから」 「はい?」 「自治会の」 「ん?」 「アレの係にだよ」 「……と申しますと?」

          対革命耐性

           被害者は九十二歳の高齢女性。死因は自動車の衝突による全身打撲、および内出血。事故現場は都市低層部の二車線道路沿い。  被害女性は脳内に緊急用身体制御インプラント『フェイルセーフ』を着用していたが事故当時は作動せず、なんらかの理由で身体機能を失調し、歩道から車道にはみ出したものと思われる。  この時、走行中の自動車の運転ソフトウェアは被害女性を完全に検知していたにも関わらず、停止や回避を行わないまま通常速度で正面衝突した。搭乗中のユーザは車内の保護システムにより無傷。

          主観現実権

           早川はこの日、勤めている会社のオフィスにある一室に呼び出されていた。旧弊な彼の会社は今時でも都内に広いオフィスを構えており、そのうちの大半の部屋は明らかに使用されていなかったが、毎日決められた時間にロボット掃除機が巡回しているおかげでどの部屋も常に清潔さが保たれていた。それは、今しがたドアをノックしたこの部屋も例外ではなかった。  殺風景なその一室には印象の薄い何人かの若手社員がいた。そして無個性なモノトーンの長机とパイプ椅子が、二者を隔てる形で置いてあった。「早川部長、