自然の摂理に学ぶ、私たちの心の持ち方について考えてみた

2020年の私の抱負のひとつに、「批判の心からの解放」というものがあります。

世知辛い世の中、どうしても肉体的、精神的な痛みやそれに伴う不満、不安、辛さや妬みなどを感じやすくなって、自分が追い込まれる中でネガティブ要素の元を批判したり攻撃したりしたくなる気持ちが湧きがちになります。人間なので、当然そういうのはありますね。

ブラック企業、パワハラなどの「それはあかんやろ」的なところに、正義感全開で批判する気持ち、少し前までの私もそうなのでよくわかります。

ですが、批判しているときって、自分は満たされていないんですね。押さえつけられた不満が感情爆発となって、考えるより叫ぶ・・・みたいな状態になります。

このことに気づいてから、どうやって自分の気持ちを「批判しない」方向へ持っていくのかをずっと模索してきました。(自分の心と対話しながら、批判せずとも気持ちが納得できて、怒りや正義感を他者にぶつけないと心が晴れないことから解放されて素直な本音でいられる方法ということです。)

そうして最近、自分の中でようやく「解」に近づけるのではないか?というものが見えてきました。

それは、「本質を知るための努力」なのだと思います。知らなければ目の前に見える不都合な出来事に怒りを覚え、批判が生まれますが、知っていれば批判対象の根っこを見抜いて、自らは冷静な判断ができると思うからです。

その中で、ずっと考え続けてきた「自然の摂理」から見た、自然をデザインする要素から人間社会を読み解く、ということについて語ってみたいと思います。

【もくじ】

①「自律的な生命の営み」から学ぶ自然の成り立ち

②「自浄作用」から学ぶ自然の成り立ち

③「弱肉強食」から学ぶ自然の成り立ち

④私たちが受け入れないといけない、自然の成り立ちが教えてくれるもの

⑤「自浄作用」と「利他性」について

⑥最後に。

①「自律的な生命の営み」から学ぶ自然の成り立ち

私たちが目にする、美しくも残酷な面を備え、生命を紡ぐ営みが新陳代謝を促す、生命あふれる大自然の姿。

学校で習った、食物連鎖という残酷な営みが生命全体の絶妙なバランスを保ち、多様性が複雑かつ自律的な動きを通じてこのバランスを支えるという台自然の姿。

「億」の年数を経てなお、紡がれ続ける生命の営み。

この営みの姿を学ぶことで、人間社会にある営みの根っこを知ることができれば、ブラック企業やパワハラなどの私たちの心を不快にすることに対して、感情論や正義感で攻撃するところを、冷静な「指摘」として表現できるのでは?という視点で書き綴っていきます。

・・・

「利他的(共生)、利己的」「集団組織の姿」について教えてくれ、多様性とは何か?を示してくれる、アリと植物の関係性のお話

タンポポを食い散らかす害虫に抵抗できないタンポポ自身が、アリに助けを求めて自らを守りながら、アリが自分たちの食料を得るという共生関係と、害虫が自分が生きるためにタンポポを食べてしまう利己的な行動についての記事の紹介です。

いずれの存在も自然界の営みには「なくてはならない」存在です。

ネキリムシというタンポポにとっての天敵がタンポポを瀕死の際に追い込むまで食べつくしたタイミングで、タンポポは生き残るためにアリの好物のジャスミン酸を含んだ植物ホルモンを放出してアリに助けを求めたそうです。

甘いものが大好きなアリさんたちは、喜んでこの香りにひきつけられます。

その植物ホルモンに反応したアリたちは、ネキリムシを自分たちの食料とすることで、お互いが生き延びることにつながりました。(これが共生という関係です。お互いのメリットのために協力し合っています。)

食べられてしまったネキリムシのことを思うとかわいそうにも思えますが、生きるための戦いとはやはり「残酷」なのだということを自然の営みは教えてくれます。

この利己的なネキリムシが繁栄してしまうと、タンポポは絶滅してしまいます。しかし、ネキリムシのような存在がたくさんいないと(さまざまな植物の天敵)、アリが食料を十分に確保できないことにつながります。

この事例のほかにも、「樹液でアリに助けを求めた樹が天敵から救われた」話などを過去に読みました。

植物とアリが共生関係にあるけれども、それは「天敵」という存在あってこそであり、天敵がいなくなるとエサが少なくなるアリもまた生きることが難しくなり・・・

土地に限りがある限り、天敵がいなくなった植物が増え続けることもできない・・・。(生き物の死骸が栄養分にならないと植物もまた生きられないのでしょう)

生きるために戦ったり協力するのですが、それぞれの生き物がなくてはならない存在なんですね。

ちなみに、アリが集団行動で統率された動きを見せる場面がありますが、このアリたちは命令されていないのです。そして、働きアリの2割がここでがんばっていますが、8割は巣で休んでいます。(笑)

・・・本当の組織の活性化には、この「余裕」というものがないといけません。「ブラック企業」は本質の「認識不足」ですね。

この記事を読んで考えさせられたのは・・・

・「利己的」な人の存在を批判したり否定したりする前に、「生物多様性」としてバラバラな個性のひとつとして存在するという認識が必要なのかも?ということ。

これは例えば、こんな認識ができそうです?(2つの例を挙げます)

生命が絶滅するほどの大災害に見舞われたとき・・・

何かあった時に自分だけ生き残ろうとする臆病な人が食料を備蓄していて、助け合っても生き残れない環境下で自分だけ生き残るケース(種として生き残るための個性)

助け合う人々が分け与えながら生き延びる中、自分だけ・・・の人が排除されて生き残れないケース(これも種として生き残るための個性)

こう読み解くと、大自然のデザインとは、「生き残る」ことを最重点においていることの理解につながりそうです?

「利他性」「利己性」どちらも生き残るために必要な個性であって、否定するものではないということですね。

・「残酷」は営みを紡ぐために必要な要素

「食べないと自分が死ぬ」というのは覆しようがない大自然のデザインです。そして、生まれてくる数と食べられて減る数のバランスで、(不思議と)自律的にバランスが取られて、種は存在し続けることができます。

「残酷」は本当に受け入れがたい要素ですが、やはり生き残るために必要な要素です・・・。

・・・

「利他的」な自然活動については、「ミツバチと花」の関係が有名ですね。花粉を受粉してもらうために蜜を出す花と、生きるために蜜を集めて、身体に花粉をまとわせて飛び回ることで植物の種の保存に協力するミツバチの関係です。

巣から出て花粉を集めるという、外敵の大きな危険がある役目を寿命が迫ったミツバチが請け負うことや、その寿命の短さ(最短1ヶ月とか)など、ミツバチの生態を知ると切なくなりますね・・・。

掃除、育児、巣の防護(プロポリスを作ります)、採蜜➡エサづくりや保存などを、誰に命令されるでもなく自律的に行います。

②「自浄作用」から学ぶ自然の成り立ち

自然から学ぶべきとても大切な要素として、「自浄作用」というものがあります。代表的なものは「水」ですね。

「水の流れ」こそが全ての生命を維持するものです。そして、それは「生きている地球」が絶えず活動を続けることで生まれます。

「水の流れ」が止まると、川もダムも土砂が堆積し、水は汚れていきます。水自体の生命力が奪われることにつながるのでしょう。

コップにお水を入れてほったらかしにしていると、腐って飲めなくなると表現するとイメージしやすいかもです。

以下のブログに書いていますが、海流の流れが弱まると、海の栄養分すら弱まってしまうという事実があります。

「動く」ことで自浄作用を働かせ続けることは、生きる根本でもあるということを教えてくれます。

このブログでは、人間社会の「自浄作用」について、「意識レベル」のステージアップというテーマで書き綴っています。人の心の自浄作用の「解」のひとつだと思います。

③「弱肉強食」から学ぶ自然の成り立ち

動物の世界には、草食動物と肉食動物が存在します。

弱い立場の草食動物のほうが、繁殖力が高いです。これは、捕食される数より繁殖数のほうが勝たないと絶滅してしまうからです。

力のない子どもや、ケガや老いで弱くなった個体は捕食される可能性が高まるでしょう。

お正月の3が日に、「知覧特攻平和会館」の見学と、お墓参りに行くことで、生命を弔うお正月を過ごしたのですが、そのお墓参りの帰りに、大阪府堺市にある「ザビエル公園」に立ち寄りました。

好天に恵まれた中、たくさんのハトたちが思い思いに歩き回って草をついばんでいた中、ふと目に留まったハトちゃんがいました。

なぜか動かずにキョロキョロしながらじっとしているので、気になってそばに寄ってみると・・・

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足を一本失っていました。残った足のきれいな赤色からも、おそらくこのハトちゃんはまだ若いです。

切ない気持ちがあふれたので、ハトちゃんの前に座って10分ほどいっしょにいました。「このハトちゃんの足を奪った出来事は何だろう・・・?」「自分は思うように元気に動き回れない中、まわりのハトたちをどんな気持ちで見つめているのだろう・・・」などと思いながらも、何もしてあげられない自分。

たくさんの群れに囲まれながらも、このハトちゃんが生きていくのはあくまで「自力」。誰も助けてはくれない自然の厳しさ。

こういうことを強く感じるひとときでした・・・。

そのほかに、草食動物には知られざる??ある行動があります。それは・・・

「いじめ」なのです。

これは草食動物が種として生き残るための、本能に刻まれたものなのだと思います。

草食動物は、生き残るために群れを作ります。見張り役を置くことで、できるだけ早く危険を察知して逃げのびるためです。

そんな群れの中で、自らがより生き延びる確率を上げるために、「いじめ」は行われます。

人間社会でも同じですが、いじめられた個体は心身ともに弱っていきます。

そして、肉食動物に襲われたときにどうなるか・・・

「弱った個体」ほど、逃げる力を失っているので捕食されやすくなります。

弱った一頭を犠牲にすることで、群れは生き延びていきます。

いじめられて犠牲になっていく個体のことを思うと、本当にかわいそうな気持ちになるのですが・・・

自然界には捕食される「残酷」のほかに、「いじめ」という「残酷」があるのだということを教えられます。

④私たちが受け入れないといけない、自然の成り立ちが教えてくれるもの

「残酷」「弱肉強食」「利己性」といった、人間社会で弱い存在の方が批判するこれらの要素について、私も共感はしますが、「自立した思考」を持つためには、これらの要素を否定せずに受け止めないといけないと考えるようになりました。

そのうえで、生きていくための「自浄作用」や「利他性」といった、「幸せにつながる生き方」の要素について、深く考える必要があると思います。

・・・

①「利他性」「利己性」は、生き残るための多様性のひとつ

どちらも、さまざまな災厄からも生き残るために必要な「多様性」の要素です。(種として生き残るための個性)

「ギバーとテイカー」という人のタイプがあります。その中間の人も多いですね。

「与える者は与えられる」というものが「ギバー・・・利他性」、奪い、搾取し、上に立ち、支配する「テイカー・・・利己性」と言われるものです。

人間社会の難しいところは、「みんな平等共産主義」は権力者「テイカー」に支配されて全員弱者になって丸ごと搾取されて弱っていくけれども、「弱肉強食の資本主義」は自然の摂理に合うので発展しても、強者「テイカー」が弱者を支配して搾取してしまう・・・という、「どちらにしても弱者は搾取される」というデザインになってしまうところですね・・・。

「利他性」がないがしろにされている社会と言いかえてもいいかもしれません。しかし、そんな社会でも他者の幸せを本気で考えると、自然から思わぬご褒美が得られます。

下のほうに書いているのですが、心の底から小さな生命や自然に思いを馳せるような、弱い存在への優しさを持って思いにふけると、自然に溶け込むような至福の感覚が得られます。

「利他性」は、「相手に与えて幸せにすると、自分も与えられて幸せになる」という共生関係です。

人間は本来、群れで共同生活をすることで生き延びてきた種です。共同生活を成り立たせるために、狩猟生活を長く送っていましたが、男が狩り、女性はそれ以外の分業だったそうです。

「はじめ人間ギャートルズ」のゴンがとうちゃんとマンモスを狩りに行って、かあちゃんが身の回りの世話をしてくれる、あの世界観?でしょうか?(笑)

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それぞれの得意を活かして、お互いに分け与えあって生きてきたのでしょう。これも利他性ではないでしょうか?

そして今、「利他性」の社会の実現への研究が進んでいます。

のちほどお話しますが、「利己性」の悪い面を、「インセンティブ」や「共通認識」で利他性と利己性の共存という社会デザインを作り上げる研究です。

そして利己性は、誰もが多かれ少なかれ持つものです。否定や批判よりも「利己性の行き過ぎの指摘」が必要だというのが私の考えです。

②「残酷」も自然のデザインの要素

「いじめ」「パワハラ」。

どんなに法律やルールを作っても一向に減らないですね。当然だと思います。生きる本能の一部ですから。

法律やルールを作っても、余計に息苦しくなるだけで、より陰湿な形で繰り返されるだけでしょう。そして、なくならないと思います。

私は、生きるために必要なのは「生命力」だと思います。その生命力は、「孤独な強さ」・・・「本当の自立」にあると思います。

「いじめられたら」場所を変えて生きる勇気と生きる実力を身につけることで、「NOを突き付ける」行動力を養うしかないと思います。心が傷ついたらそう簡単に回復しません。

これには「孤独な勇気」が必要ですね。社会の成り立ちや正体も勉強する必要があると思います。

ちなみに私は会社組織に「NO」を突き付けました。半分仕事、半分投資という形で生きています。

世の中を否定して、自分の思い通りにならないことに縛られて、不満と批判を撒き散らすことで自分がくすぶっても自分がしんどいだけで世の中は何も変わりませんが・・・

同意はしなくとも、世の中を受け入れて「自分の考え方」を変化させて適応しながら行動するほうが生き生きしますし、上手くいけば行動が世の中にある何か(身の回りの何か)も自分自身も変えることができるかもしれません。

③「弱肉強食」から学ぶこと

弱い存在は、生き残りのために少しでも生存確率が上がる生存戦略を取ります。

わかりやすいのは、昼行動すると見つかって捕食されやすいので、「夜行性」になるというものですね。

すると、自分の身体は夜に適応できるように、「夜目が利く」ように自分を変化させて適応させていきます。

私たちは、この「生存戦略」と「変化に適応」することに学ぶ必要があるのだと思います。

単純労働の世界しか知らないと、「同じような職場」ばかり転々として、自分の環境を変えることができなかったりします。

先日、ある記事に「無職の26歳男子が、逆玉の輿で無職のまま億万長者に」という、「ホンマかいな?」という内容がありましたが・・・

「まじめに働く」という世間一般の常識を疑って、女性に好かれるにはどうすれば?的なことを考えていたそうです。

この話を「こいつクズやん」と、頭から否定して批判するのは簡単ですが、この生存戦略と自分を変化させる努力のしたたかさは、私は必要だろうと思います。

お金がないならあるところに行くためにどうするか?・・・こういう発想があるかないかなんでしょうね・・・。

社会保険料や税金が上がる時代、いよいよ国や会社(組織)を頼りにできない時代がはっきり見えてきた中、「弱者の生存戦略」を真剣に考えるべきタイミングかと・・・。

それには、「自分だけの思考と視野」を持ち、世の中の姿を知り、自分の芯をぶらさない、「孤独な自立」を果たすことが必要なのだと思います。

これを「黒い羊」というのです。

⑤「自浄作用」と「利他性」について

「自浄作用」。それは生命力を吹き込むものなのだと思います。

家の中で何年間も押し入れの中で眠っている「モノ」。その「モノ」は活用されずに、死んだように眠っています。

メルカリでは、そうした眠っている「モノ」を他者に販売することで、覚醒させます。

こうして、「モノ」は新たな所有者の手によって目覚め、生き返ります。

元の所有者はスペースが空き、お金を手にできます。そのお金を有効活用できれば、お金自体も活きますね。人から人の手へと流通することで。

都会で流行の、乗った分だけ課金が発生する「カーシェアリング」。

自家用車は稼働時間よりも眠っている時間のほうが圧倒的に長いですが、シェアすることで車は生き続けます。

自家用車は乗らなくても車検や税金はかかりますが、シェアすると必要な分だけのお金で済みます。

貸主はチャリンチャリンと課金で収入を得られます。一台の車でたくさんの人に貢献しています。

「モノ」ひとつとっても、こうして「自浄作用」が働きます。

「自浄作用」のポイントは・・・

動き続けること。

で、自浄作用が働くようになります。

日本経済がなぜ停滞するのか?・・・「内部留保」という企業の巨額の溜め込みと、「預金」という国民の巨額の溜め込みのせいで、お金は眠って腐り続けています。自然の摂理からすると、お金が死んで動いていないので経済が死ぬのは当たり前なのですね。

働く大人になぜ明るさが少ないのか?・・・規則とルールで縛られて、上司部下の立場で縛られて、お金の支払いに縛られて・・・心が縛られて行動も縛られて、ガマンが多く、動いていないですね。自然の摂理からすると、心が死んでいるので思考力も気力も死んでしまうのは当たり前なのですね。

引きこもりがなぜ腐っていくのか?・・・家から動かないと、心が死ぬのは当たり前なのですね。どんなに辛くても、生きるためには動くしかないと思います。

なぜ日本が世界から取り残されていくのか?・・・時代が変わるのに、昔の価値観に縛られた社会の姿なので、当たり前なのですね。

私から見ても、日本は本当に「自浄作用」の少ない社会に見えます。

冷たい言い方をすると、社会が腐って病む人が増えると、メンタルケアの需要が伸びてビジネスチャンスが生まれるかもですが、それを見越して心理学の勉強をする、そのぐらいの視野と思考力は持つ必要があると思います。

思考の幅を拡げることも、自分自身が巻き起こす「自浄作用」なので、頭も身体も動かすことは大事ですね・・・。

・・・

アメリカの株式市場が、高い株価をさらに更新し続けています。おそらく「バブル」でしょう。

「バブル」といえば、1929年の世界恐慌、1989年の日本のバブル崩壊、2001年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショック、2018年の仮想通貨バブル崩壊が有名ですね。興味のある方は検索してみてください。

これらは全て、「富を増やしたい」強欲な投資家の行動によって引き起こされています。「自己の儲けたい欲望」を実現させる行動です。

資本主義は、「弱肉強食」の論理が自然の摂理とマッチし、強い存在が自分の実現したいことを実現することを通じて、産業を世界中で発展させることに成功しました。その過程で、弱い者は搾取され、強い者が独占するシステムができあがりました。

しかし、それが行き過ぎたのが今の社会です。

自然破壊や公害など、地球を痛めつけることも続いています。

格差は世界中で広がっています。

意外と知られていないのが・・・日本でお札を発行しまくって(金融緩和)、日経新聞では「お金がジャブジャブ」と表現されるほどに「お金があふれる社会」になっているのに、そのお金は株式市場の株価を上げる役割になり、経営者は限界まで賃金を絞って浮かせたお金を「株主様」の配当に回し、会社の貯金(内部留保)に回し、

賃金を絞られた私たちにとってのお金は貴重品になっているという、投資家なら当たり前のように知っていることです。

知らないまま「貧乏」になっているんですね。

「桜を見る会」では税金が私物化という話ですね。

これらは全て、「中央の管理者がいる」、すなわち運営者の「権力」があることから起こっています。

この「中央の管理者」が「利他性」ならいいのですが、たいていの場合、「利己性」になっています。

理由はそのほうが「自分に都合がいい」からですね。自分が潤うというインセンティブです。

これを「中央集権」と言います。

この中央集権には大きな問題点があります。

組織が大きくなり、お金がたくさん集まるほどに、少数の人たちが独占してしまいます。

もうひとつ、株式市場で起きている問題点は・・・

経営者が投資家に利益を融通している➡従業員や業務委託オーナーなどとの利益相反が生じていて、現場は頑張っても報われにくい、という致命的な点です。(これが現場が死んでいく大きな要因です)

これを「非中央集権」に変えていこうという動きが活発化しつつあります。

・・・

「ティール組織」というものがあります。上下関係をなくし、本音で行動できる生き生きした組織です。そのために、ルールは自分たちで考えて納得できるようにもしたりします。

上から言われたことに従うのではなく、自分で考えて行動するのですが、その分、自分自身も自分の意思でがんばって成長する必要がありますね。

「自由と責任は同時に背負わないといけない」ということなので、生き生きしたかったら努力もしましょう!ということです。

これって「自浄作用」が働きますよね。

この組織には大きなポイントがあって、「自分らしく本音で」というポイントと、「自分の得意でがんばる」という、自分自身のポテンシャルを出し切るという本質があります。

この本質を引き出すためには、「ルール」や「常識」など、同調圧力で息をひそめないといけないことや、「権力者に忖度する」という自分の本音を殺してしまうことをなくしてしまわないといけません。

そのため、えらそうな管理職はジャマなのです。(笑)だから上下関係の伴う役職をなくすのです。(リーダーもメンバーの一員であり、パートナーなんです)

この組織形態には、「存在意義」を語るトップはいますが、基本上下関係はなく、指示ではなくアドバイスがくるので、自分で考えて行動を決定します。

「非中央集権」とは、自分たちの自主性を持って組織運営に「貢献」しながら参加者みんなで創りあげていくものです。

・・・

「仮想通貨」。この名前を聞くと忌まわしい思い出の方も多いと思います。

これが今の資本主義の形を変えるかもしれない・・・など、大半の人は頭から信じもしないでしょう。

もちろん、技術的にも今すぐ変えられるわけもありません。しかし・・・

そんな「バカげたこと」に、世界中の優秀な人たちがワクワクしながら人生を賭けて本気で取り組む動きがあるのです。

「トークンエコノミー」というのですが、お金の代わりみたいな「トークン」を発行して、運営するサービスなどに協力してくれたりお客さんになってくれた人などに、報酬としてこの「トークン」を渡します。

この「トークン」、サービス自体に参加者が増えると、価値がついて値段が上がるという要素があります。

代表的な「ビットコイン」は、最初ピザ2枚がビットコイン10000枚とかだったそうですが、今はビットコイン1枚(1BTC )88万円なので、ピザ1枚1000円なら880万枚買えますね。(笑)・・・これは事実です。

なので、初期の参加者には魅力的な報酬ですね。稼いだトークンの価値が上がればうれしいし、自分ががんばるほどにそうなっていくと思うと。

そして、ビットコイン以降に生まれたトークンの運営者は「株式会社」ではなく、「財団」です。(一部は違いますが)この違いは、「利益を追うか追わないか」です。

財団はたいていトークンを大量保有しているので、参加してくれるみんなにあまり口出しせず、協力を仰いでみんなが力いっぱい頑張ってくれるのを応援することで、トークンの価値が上がればみんなハッピーになりますね。

「利己的」な人が自分のために運営に参加しても、それが「貢献」につながると、結果として「利他性」につながるという仕組み。

「ティール組織」もそうですが、「非中央集権」にすることでみんなが生き生きして、自主的に行動する流れが生まれることで、ひとりひとりの「自立」、全体の「自律」、そして「自浄作用」が生まれます。

この「非中央集権」を理解するには、自然の成り立ちを理解することがとても大切なのだと私は思います。なぜなら、大自然の姿こそが「非中央集権」かつ、自律的に動き、それぞれの生き物が精一杯生命力を振り絞って生きる、「自立」の姿を示し、動き続けることで「自浄作用」を生み出し続けているからです。

これが世界の主流になったとき、きっと私たちの住む世界の姿は、「努力しない者には残酷かもしれないけれども、生き生きした社会」になるのだと私は信じています。

・・・

⑥最後に。

「批判しない」ことをテーマに考えると、ここまで深いところまで考える必要があることに気づきました。

もちろん批判されてしかるべき事も存在するのですが、「批判する」というのは、「自分の思い通りにならない」ことの裏返しでもあります。

「思い通りにならないから怒る」のは、内容によっては自分の「驕り」の現れになります。そして、「驕り」は、「中央集権の管理者」と同じ意識レベルにもつながります。

私自身の今年のテーマとして、追及していきたいと思います。










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