お金のハナシ

 このところ、思考の8割をお金が占めている……と書くと酷く浅ましい人間のようだが、私は誠実にお金のことを考えているのだ。というのも、この頃失敗があまりに多かったからだ。

・古本屋で数千円かけて購入した雑誌が、ネットで数百円で売っていた
・衝動買いした高い靴が足に合わず、売ったら百円にもならなかった
・好きなアーティストのCDを買った。ところが買うお店を間違えて、特典をもらえなかった(あの人と握手できたのに!)

 ……なんてスケールの小さい失敗なんだろう。
 それなのに、こういう失敗をした時に、まるで人生を棒にふったかのような悲劇的な気分に陥る自分に気づいた。
 また、先日は不用品を売ろうと思い立ち、どうすれば一番高く売れるか考え続けていた。ふとそんな数百円単位の損得の為に時間を潰している自分が情けなくなった。

 子どもの頃から、私には物欲というものがなかった。親にもほとんど強請らない子だったらしい。
 小さい頃ポケモンが流行していて、「ポケモンパン」なるパンが子どもたちに大人気だった。なぜならそのパンを買うと、ポケモンのシールがついてくるから。子どもたちは皆口を揃えて親に「ポケモンパン」をねだっては、シールをgetし、友達と交換したり、自慢し合ったりした。
 私はそんなシールには全く興味が無い、隅っこで漫画ばかり描いている小学生だった。
 ところが、噂を聞きつけた母が1個だけ「ポケモンパン」を買ってくれた。そしてなんと、運よく人気のあるキャラクターシール(確かピチュウだった。ピカチュウの顔をますます童顔にしたあれだ)を手に入れてしまったのだ。ふつうの子どもなら小躍りするはずだ。
 でも私は違った。人気者を、すぐに友達にあげてしまった。そのキャラクターが特に好きではなかったし、シールを集めることの意義がよく分からなかったのだ。
 
 モノは欲しがってはいけないもの。お金は貯めるべきもの。幼い頃からそんな冷めた考えを持っていた。
 冒頭に挙げたような小さな失敗をするようになったのは、ひとつの進歩である。この頃、物欲が出てきたのだ。アルバイトをするようになり、自分で稼いだお金で欲しいモノを手に入れることの快感を覚えてしまった。
 すると今度は、「お金を無駄に払いたくない」という欲望と「モノを手に入れたい」という欲望との葛藤が始まるのである。

 つまらない人間だな、と思う。

 今まで私は心のどこかで、自分は他人とは違う価値観を持った人間なのだと思っていたような気がする。でも、結局私だって損はしたくないし、お金やモノが欲しい、ありふれた感性を持った人間なのだ。そう思い当たって、猛烈に虚しくなった。

 お金とモノ自体に価値がある、という幻想が蔓延っている気がする。
 お店に一度入れば割引券を渡される。芸能人のライブがあれば使う予定の無いグッツを買うファンが殺到するし、まあそれはファン心理として分かるけれど、本を買って満足して、読まないで積んでおく人も多いらしい。街中はありとあらゆるブランドの宣伝文句で溢れている。
「みんな、お金とモノが欲しいよね。できるだけ、得がしたいよね。」
 このような「世間的な価値観」が前提にあって、人々が少しずつ騙し合って利益を追求するのがこの世の中だ。(と私は勝手にイメージしている。)
 こういう仕組みがなんだか嫌だった。嫌々ながら、乗っかるしかない。この世はお金で回っているわけだから。

 でも、なんだか腑に落ちない。
 社会人になって、もう少し自由なお金が増えたら、お金で買えるシアワセを追いまわして、損だの得だのと一喜一憂しているうちに歳をとるのかも知れない。
 そんな未来の自分は、教室の隅で漫画ばかり描いていた頃の自分とは決定的に何か違う。人生の目標がいつの間にか世間的な価値観に沿ったものにすり替えられてしまった感じがして、なんとなく嫌だ。

 お金について考えはじめたのには別のきっかけがある。知人やアーティストなど、私の尊敬している人間が不思議と似たような発言をしていることに気づいたのだ。
 それは、「お金は、自分にモノやサービスを提供してくれる他者へのお礼だ」ということ。お金は、得をするための道具じゃない。恩返しの道具なのだ。
 このような考え方に触れたことは大きかった。今は「本やCDが売れなくなっている時代」らしいし、私はもっと作り手の為にお金を払わなくてはならない、と考えるようになった。
 こういう、利益至上主義とは別の次元にある価値観への信頼を失いたくないなと思う。 
 
 目に見える損得に拘っていると結局損をする、と思う。
 お金やモノ以外にも、この世をぐるぐるまわっているものは沢山ある。例えば私は知識を得ること、作品を鑑賞することが好きだ。そうして得た知識、経験、表現技法、アイディア、言葉、センス、認識、思想、そういうものを自分の中で消化して、文章にしたり、作品にしたり、話題の種にしたり、仕事に生かしてゆく。
 これって輪を成していませんか。そしてこれらこそが、一番大切なものなのでは、と思う。少なくとも表現したい、発信したいという目的を持つ人間にとっては。

 数字は目に見えるから、みんなすぐに信じてしまう。100円得をしたと思うと簡単に安心できる。だけど一冊の本から得られるものの価値を信じるのは難しい。それは目には見えないから。だからケチな人は、文庫本一冊買うのも躊躇ってお金を貯めこみ、貴重な経験とすれ違ってゆく。
 それは何よりも勿体ないことだと思う。

 金銭的な損得勘定や世間的な価値観に惑わされず、目に見えない大切なものを得るためにお金を払えたら、それが理想だ。表現の為、仕事の為、学べると思ったら一円も惜しまずに自分に投資したい。優越感を得るためでも、流行に乗るためでもなくて、自分の感性が欲している経験を得る為にお金を使いたい。そして、好きな作家やアーティストのためにお金を費やして、彼らにお礼をしたい。
 それは、損じゃない。他人から見て損に見えることも、私の価値観の中では絶対的に損ではないのだ。

 と、言い切れるようになりたい。

 だけど、このような理想を叶える為には、お金が必要なのだ。皮肉なことに。