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ありがとう『2gether』、かつて男の子になりたかった女にまた「夢」を与えてくれて。

これは、2020年春、アジアを中心に世界のBLファンダムを席巻したタイの実写BLドラマ『2gether』がわたしにもたらした救済と夢の話です。長文だし、最後のほうは泣きながら書いたのでけっこう気持ち悪いです。先に謝っておきます。ごめんな!

純粋に2getherの布教記事を読みたい方は、3月に萌え狂って書いた下の記事をご覧いただいたほうがいいかもしれません。


※以下は『2gether』最終回放送前にどうしても落ち着かなくなって書いたものです。ラストもそれまでのストーリーのネタバレもありません。

まず、感謝の気持ちを伝えたい。
ドラマ『2gether』を生み出したGMMTVのプロデューサー、監督、スタッフの皆さん、俳優たち、原作のJitta Rain先生、そして、このドラマを受け入れる土壌を準備したタイのすべての人々へ。

本当にありがとうございます。
そして大いなる成功おめでとうございます。
書ききれないほどの賛辞を日本からもお送りします。

さて。

まだ半分も終わっていないが、2020年は全人類にとってとてもしんどい年になった。昨年末から世界を襲っている「コロナ禍」で苦しんでいる人は、5月半ばとなった今も依然として多い。

日に日に世界的なストレスが高まる中、満を持してというか、奇しくもというか、タイのBLドラマ『2gether』の放送は始まった。未知のウイルスなんてどこ吹く風、「なにそれ美味しいの?」とでもいうように、タイの美しい陽気の中で爽やかに恋愛する男の子たちの姿に、どれだけの人が救われただろう。週に一度、たったの1時間弱。だがこれで「わたしはまだがんばれる」と思った人は少なくないはずだ。もちろんわたしもそのうちの一人だ。

このドラマを製作し放送するまでに、何年もの時間と数多の人々の努力があったに違いない。これには『2gether』に先駆けて作られたたくさんのBLドラマの実績を含んでいる。(だって考えてみてほしい。日本で『2gether』のようなドラマが「普通に」放送されるまでにあと何年かかるだろう? 記憶に新しい『おっさんずラブ』『きのう何食べた?』は、この国でどんなふうに受容されている?)

すばらしい作品を生み出したタイの関係者に1000%の賛辞を送りつつ、翻って自国を見てみると……。

「実写BLドラマ」というジャンルにおいて、現時点で日本はタイに大敗している。
この事実はしっかり受けとめなければいけないし、日本人はタイのエンターテインメント業界に敬意を払うべきだ(この記事を読んでいる人は、もう充分リスペクトしてると思うけど)(ほんとに課金させてほしいですね)。

また、アジアのBLブームの源流とされる日本の現代のBLクリエイターとBLファン、さらに広く言ってしまえば実写か二次元かを問わずエンターテインメント業界にいる人々は、この結果をもたらした要因についてよくよく考察する必要があると思う(私は一介のBLファンだけれど、隣接業界の端くれにいるので自戒を込めている)。

なんだか不穏なのでこの話はここまでにして……、ここからはより個人的な話を。

わたしは『2gether』ひいてはタイBLとの出会いを機に、ジェンダーやクイアのことを改めて考えるようになった。まだ思考がまとまりきらないのだが、とりあえずいったん文章にして残しておきたいと思う。

『2gether』の世界は、実にあっけらかんとしていた。損得や社会的立場など関係なく「誰かが誰かを好きになって、さてどうしよう」というシンプルなストーリー。まさにラブコメらしいラブコメ。

男同士だけど、だからなに?
同性同士であるということに、一般的な恋愛に付き物の障壁や問題以上の特殊な重みがない。あの世界の恋愛は、「自分の好きな人は、自分のことを好きになってくれるだろうか?」というシンプルな問いに落としこまれている。もちろん、舞台が大学だからまだ社会や職場のことまで考えなくていい作りになっているというのも大きい(しかしそれは男女の恋愛を描く時も同じだ)。

この『2gether』の世界観に触れたことによって、わたしはかつての個人的な「憧れ」を呼び起こされた。
すなわち、このドラマは、わたしがこどもの頃に感じ保留したまま意識の底に眠らせていた問題に、もう一度向き合うきっかけをくれたということだ。それは「男らしさ」「女らしさ」というジェンダーロールの問題だ。

そうそう、わたしはかつて男の子になりたかったのだ。
同じように男の子の世界に憧れたことのある女性はけっこう多いと思う。女性である自分には絶対に踏み込めない景色がそこに広がっているような気がして、それを覗いてみたい、という気持ちだ(推測だが、男性も女の子の世界についてそういうふうに感じているのかもしれない)。

わたしはとりわけ男の子たちの「自由さ」に憧れていた。
わたしはドのつく田舎の出身で、いまだに前時代的な性役割やら家父長制やらのニオイがする世界で子供時代を過ごした。そんな場所でわたしはとても苦しい思いをした。

たとえば、勉強で良い成績をおさめていても、年を重ねるごとにあまり褒められなくなった。あからさまには言われないけれど、周囲の人々が私に望んでいるのは「良い結婚、良い家庭」だと感じた。なぜならわたしの家族は「これからは女だってバリバリ仕事をする時代だ」という決まり文句を吐くその口で、「大学は県内がいいんじゃない」「就職は市役所か地元の銀行がいいんじゃない」などどと言ってきたからだ(田舎で育った人間には、これらの意味するところが良くわかると思う)。

まあ、そういうクソみたいな圧力にさらされた反動で、自分でお金貯めて東京に出て、大学院まで修了してそのまま東京で働いている今の自分があるわけだが。

地元に比べれば東京はまだマシだと思える。味方のフリをして背後から攻撃してくる「身内」というものがいないから(ただし、都会の敵は敵らしい顔をしているとは限らないので、これはこれで厄介だ)。

だがしかし。
なんというか、ここに来てわたしは、もうだいぶ「女」の人生に疲れてしまったというのが本音だ。女らしい女、抗う女、かわいげのある女、闘う女……ああ、なんでみんなそんなに「女」に形容詞をつけたがるの?

昔のわたしは、男たちがとても羨ましかった。
女を見つければそこらじゅうに罠をしかけてくるおかしな抵抗勢力に妨害されることもなく、ありあまる体力でなんでも自由にやっているように見えた。女に差し迫る将来の心配(結婚とか出産とか)なんて全然ないのだろうとも思えた(だってあいつら、精子が出る限りはおじいちゃんになったってこどもが作れるんだぜ?)。

しかしさすがに今の私は男がそんなにいいものではない、ということを知っている。彼らだって男らしさの鎖につながれて苦しんでいる。

つまり、だ。
男も女もみーんな苦しいってことだ。なんという世界。なんという不幸。日本、終わってない?(もしかして新型コロナってリセットボタン?)

ところで、わたしはBLは実社会で苦しさを感じている女性がみる夢の一種だと思っていた。女であるというだけで苦しむことのない世界がそこにあるからだ(まあほとんど女は出てこないんだけど)。現実世界には同性愛への偏見がまだまだしぶとく残っているというのに、BLというフィクションではそれが男女の恋愛よりも自由で解放的に描かれる不思議。その根源にあるのは、わたしが昔感じていた男の子の世界への憧れではないか、と。

それは甘いけれど罪深い夢だ。
実在のゲイ男性たちの現実とあまりに乖離している。BLファンは、彼らの存在を勝手に理想化して拝んでいる。もし逆の立場だったらさぞ不愉快だろう。そのため、罪の意識と「女性らしい」恥じらいから、「腐女子」は地下に潜りより深い夢の世界へ沈んでいく。

しかし、『2gether』は夢と呼ぶにはまぶしすぎた。
男も女も、同性愛者も異性愛者も、みんな誰かを好きになったら、各々のやり方で思い悩んで奮闘している。その様子を性別で茶化すようなヤツはいない。

このことが、閉じていたわたしの目を開かせた。

わたしはずっと思っていた。
わたしは身体も心も女性だし(たぶん)、これまで好きになった人はみな男性だ。男の子の世界や身体に憧れることはあるけれど、いわゆる性的マイノリティにはあたらないだろう。でも「女らしくあれ」なんて言われるのはまっぴらごめんなんだ! 自分の在り方や美しさは自分で決める! ほっとけ!

周りから言われる「◯◯らしく」なんてない世界。
好きなものを好きといったら、みんなが応援してくれる世界。
わたしの身体はわたしの好きなように。
あなたの身体はあなたの好きなように。
あなたの感情はあなたの好きなように。
わたしの感情はわたしの好きなように。
もし、わたしとあなたのそれが、幸運にも交わることがあったら、とてもすばらしいことだ。

これがわたしがかつて夢想していた世界だ。どうせそんな場所はない、と諦めてしまっていた世界だ。

だけど、ああ、なんてことだろうか……。フィクションのドラマの中ではあるけれど、『2gether』ではそれが少なからず実現しているように見える! たぶんこれはまだ夢なんだろうけど……。そんなことはわかっているんだけど……。

古来、人間は自らが想像できるものは実現してきたという歴史がある(わたしがこどもの頃はSFの中だけだと思っていたことが、今では次々と実現している)。

だから夢の目撃者は多ければ多いほどいいのだ。だって、「こうであったらいいな」と思う人が増えれば、それだけ実現する可能性が上がる。具体的なプロセスはあとで考えれば良いのだ。幸いにも、これは科学や技術の問題ではなく、人々の心の持ちようの問題なのだ。

『2gether』はこれまでにないほど多くの人を巻き込んで夢を見せた。現実世界に苦しむすべての人間を救う夢だ。きっと叶う。

ありがとう、『2gether』。
わたしはすっかりあの頃を取り戻した。
I have a dreamだよ、まったく!

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