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親目線で「こんな僕でも社長になれた 家入一真著」を読んでみた

この本を読む人は、自身も起業したい、そのヒントを得たいと思い、手に取るのだろう。

しかし、2人の子供を持つ母親である私にとって、この本は「親としての教訓」がたくさん詰まっている本であると感じた。


申し遅れてしまったが、私は0歳の娘と2歳の息子の2児の母である。

そして、あまり世の中や学校という空間に合わせるのが苦手という性質を持っている。

私にとって、学校という小さい世界は時に私を息苦しくさせる空間でもあった。

2人の子どもを産んで、ついつい考えてしまうのは、将来この2人の子供をどうやって教育していきべきなのか?ということである。

自分自身が受けてきた教育は、果たして正しかったのか。
その道を子供に歩ませても良いのか。

まだまだ考え始めるのは早い、と自分でも思う。

しかし、それでも、私の脳みその片隅に、いつか考えて、答えを出すべきこととしてこびりついている。

さて、今回読んだ、「こんな僕でも社長になれた」は、今をときめくエンジェル投資家の家入一真氏の著書である。

中学校時代の、もっと言うと小学校時代のちょっとした出来事がきっかけで、学校に通えなくなり、引きこもりとなった家入一真氏が、どうやって起業したのか、そして、GMOの子会社となり、東京に上京したのか記されている自叙伝である。

私の脳みその片隅に、子供をどうやってこれからは育てるべきか?という問が常にあったせいか、「起業家としての成功するためのヒント」よりも、「親として子供にどう接するべきか」という点にフォーカスして読み進めてしまった。

というわけで、この記事では、「こんな僕でも社長になれた 家入一真著」を読んで、親として感じた教訓」を書いていきたいと思う。

なお、もちろん、本の中には起業のヒントとなるようなこともたくさん書いてあります。そのことについては、また別の記事にて時間があったらまとめようと思います。
また、波乱万丈の家入氏のストーリーは、単純に読み物としても楽しめます。

教訓1 親が子供を直接変えることはできない

些細なことがきっかけで、引きこもりになってしまった家入氏。

父親に毎日のように学校に行くようにせっつかれる日々。

しかし、父親は家入氏を変えることはできなかった。

家入さんが一番変わることとなったきっかけは「新聞奨学生」になったことである。

新聞奨学生とは、新聞配達をしながら大学や予備校に通う奨学制度のことだそう。要は、働きながら学校に通う制度である。

親から離れ、下宿先の所長ご夫妻や先輩との付き合いをする環境で、家入氏は自分を変えることができ、引きこもりから脱出できたのである。

なお、家入氏が最初に起業した会社名は、「株式会社paperboy&co.」。

「paperboy=新聞を売る少年」である。

家入氏にとって、会社名に「paperboy」とつけるほどの強い思い入れが、新聞奨学生時代にあったと言える。

また、家入氏が「…このままではいけない」と奮起する小さなきっかけが、山田かまちの芸術であった点も興味深い。

引きこもる家入氏を、母親が無理やり山田こまちの個展に連れていくのだが、ここで、家入氏は大きく影響を受けることになる。

さて、私は何が言いたかったかというと、「結局親がどんなに子供をせっつこうが、結局は子供を変えることはできない」ということである。

家入氏が変わったのは、父親や母親に諭されたからではない。

理由は推測だが、どうしても子供は親に甘えてしまうからだと思う。

なので、親が子供を変えたいと思ったら、間接的に変えるしかない。

おそらく、家入氏の両親は、本に書いてあること以外にもたくさんのきっかけを家入氏に与えているのだと思う。

その中で、たまたま効果的だったのが、本に書いてあるように、母親が連れて行った山田かまちの個展であり、父親が購入した中古パソコンであり、親から離れた環境である新聞奨学生としての環境だったのだろう。

親としては、ついつい、言葉で子供を諭したくなってしまう。

しかし、その行為は子供の反感を買うだけだ。

親は、環境やきっかけを与えることしか、子供を変えることはできないのである。

教訓2 根底には子供への愛が必要

この本を読むまで、私は「幸せになるためにはお金が必要だ」と思っていた。

もっと我が家にお金があれば、お金を気にすることなく、英語や幼児教室といった習い事をさせることができて、子供を幸せにできるのに、と思っていた。

しかし、この本を読んで「お金よりももっと重要なのは子供への愛」であると気づかされた。

しかし、家入さんの家は決して裕福ではない(というか、極貧と言っても過言ではない)。

しかし、家入氏は本の中で

貧乏でも幸せだった

と言っている。

その理由は、両親の工夫と愛である。

家入さんの父は日曜大工が得意だったようで、拾ってきた自転車の色を子供好みの色に塗り直したり、拾ってきたタンスを自宅に合うようにカスタマイズしたりしていたらしい。

お金がなければ、知恵と工夫を使うのだ。

家にはお金がなかったから、欲しいものを我慢しなくちゃいけないことも、少なからずあった。
 それでも、あの頃の僕は、毎日が本当に楽しかった。楽しい中で、心から素直に笑うことができた。

家入氏は幼い時に、両親の愛をたくさん感じていたからこそ、引きこもりになっても、家族を恨まず、再起することができたと私は感じた。

子供を真正面から愛すること。

お金がなければ、知恵と工夫を使うこと。

私はこれを自分の2人の子供にも実践していきたい。

教訓3 愛だけではダメ。お金がないと家族は壊れる

この本では、家入氏の両親が子供を愛していた多くの事例が述べられている。

家入氏が小さい頃、父親が仕事の合間をぬってキャッチボールの相手をしてくれたこと。

家入氏が山田かまちの影響で絵を書いているのを見て、油絵の具のセットを購入してくれたこと。

引きこもりになった家入氏のために、中古パソコンを購入してくれたこと。

前述の通り、家入さんの家は極貧と言っていいほどの貧乏なので、物を購入するのは、かなりの思い切りが必要である。

母親も忙しい中、子供の話に耳を傾け、家入氏が体育祭を脱走したときは、家入さんの父親に向かって

一真が帰ってきても、絶対に怒鳴らんで。怒鳴ったら離婚します。

という言葉まで発している(家入さんの家は典型的な昔の家で、九州男児の父親がかなりの権力を持つ家だったそうなので、この発言はかなり愛のある発言である)。

引きこもりだった家入さんがいきなり学校のテストで高得点をとり、学校の先生にカンニングを疑われた時も、母親はすぐに先生の講義の電話をかけている。

何が言いたかったかというと、家入氏は両親にめちゃくちゃ愛されているのである。

しかし、それでも、家族は崩壊した。

家入氏の父親は自己破産。両親は離婚することとなってしまった。

きっかけは、借金である。

母親は借金を返すために、水商売をはじめる。40代半ばからの身体で、仕事としてそれをやるのは負担も大きい。父親も、遅くまでお酒を飲んで、ベロベロに酔っ払って帰ってくる仕事はやめてほしいと思っている。

母さんのことを想うばかりに、1日も早く水商売をやめて欲しい父さん。
 家族のことを想うばかりに、辞めたくても辞められない母さん。そんな二人の激しい口論は延々と平行線を辿った。

家族の存続には、お金が必要。愛があっても乗り越えられない壁がある。

そして、いつか無慈悲に、家族は崩壊する。

愛だけでなく、家族を持続させるだけのお金をしっかりと稼ぐことが必要。

そんな資本主義の現実をこの本から突きつけられた。

教訓4 情報を敏感に仕入れるべし

高校を中退した家入さんに「大検」があるという情報を持ってくる母親。

正直その本を読んだ時、私の感想は「え?大検の制度、知らなかったの?」であった。

確かに、当時はインターネットも未発達で、検索したらなんでも答えが出てくる時代ではなかったとは思う。

ただ、それでも…大検についての情報を仕入れるのが遅いのでは…と感じてしまった。

親として、子供をサポートするには、情報をもっと敏感に仕入れる必要があることを感じた。

さいごに

「こんな僕でも社長になれた 家入一真著」を読んで得た教訓を最後にまとめる。

教訓1 親が子供を直接変えることはできない
教訓2 根底には子供への愛が必要
教訓3 愛だけではダメ。お金がないと家族は壊れる
教訓4 情報を敏感に仕入れるべし

家入氏の生い立ちを追った結果だと思うが、この本には家族のことがふんだんに盛り込まれている。

その結果、起業家になるヒントだけではなく、子供を育てるために親として認識しておきたい教訓も得ることができた。

難しい言葉は使っておらず、サクッと2時間程度で読めるので、子育てで忙しい母もぜひ手にとって欲しいと思う一冊である。




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