見出し画像

note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第73話

前回までのあらすじ
時は昭和31年。家事に仕事に大忙しの水谷幸子は、宇宙人を自称する奇妙な青年・バシャリとひょんなことから同居するはめに。亡くなった母親の誕生日会をバシャリが開催する。

→前回の話(第72話)

→第1話

「私が教えたのですよ」

バシャリが代わりに答えた。

近頃、幸子の感情色が暗いことに気づきました。幸子はフタが閉じているので、普段は感じませんが、仕事のことを尋ねたときだけ、暗い感情色が噴出したのです。

これは仕事上で重大な問題が発生したのだろうと思い、幸子の銀行に原因を探りに行きました」

「銀行に行ったの?」

「ええ、そこで西園が、幸子は銀行を辞めたと教えてくれました。

銀行の仕事が嫌いだとは知っていましたが、幸子の性格から辞めることはないと判断していたので意外でした。余程のことがあったんですね」

バシャリが一人頷いた。あなたのせいで辞めたのよ、という言葉が喉元まで出かかったが、それを何とかおさえてから訊いた。

「あなた、辞めた理由は訊かなかったの?」

「はい。西園は教えてくれませんでした」

おそらく西園さんが気を利かせてくれたんだろう。本当にありがたい先輩だ。

「そこで周一にすべてを伝えました。幸子が銀行を辞めたことや、杉本学園に興味を持っていることも。

すると周一がミシンを直すことを提案したのです」

お父さんが静かなまなざしでわたしを見つめ、おもむろに封筒を手渡した。百合子さんが返してくれたお金だ。

「この金はおまえが使いなさい」

「そんなの無理よ」

あわてて封筒をつき返した。これは、お父さんの人生のすべてだ。そんな大切なものを使えるわけがない。

でも、お父さんは封筒をわたしの手に押し戻した。手の甲にがさがさした感触が伝わる。お父さんの手だ。

「静子が死んでからはおまえがこの家を支えてくれた。これはおまえが稼いだ金と同じだ。

これからは俺の給料でおまえたちを養える。夜の工場も辞めて、これからはおまえと健吉と一緒にいられる時間を増やすつもりだ。

洋裁の世界に興味があるのなら、この金を学校の授業料に使いなさい

「でも……」

希望から目をそむけ、ただひたすら耐え続けることが、わたしにとって生きるということだった。

いつの間にか、そうすることに何の抵抗も感じなくなっていた。だから突然それから解き放たれても、ただうろたえるばかりだ。

そのとき、バシャリがおだやかに語りはじめた。

「幸子、以前私が星野にもうすぐ答えは見つかりますよ、と言ったことを覚えていますか?」

わたしは頷いた。「ええ、覚えてるわ」

「あれは星野だけに言ったのではありません。幸子、あなたにも言ったのですよ」

「わたしに?」

「そうです。星野は導かれるままに小説の世界に出会いました。

そして、幸子。あなたは洋裁の世界に出会ったのです。ミシンを踏む幸子からは黄色の感情色がふき出していましたよ。

ぜひ、杉本学園で洋裁を学びなさい」

まだ、ふんぎりがつかなかった。お父さんがぽつんと言った。

「ーーお母さんもきっとそれを望んでる」

ふいに思い出した。お母さんが鼻歌を口ずさみながらミシンを踏んでいたとき、感極まったようにこう言った。

「お母さんも学生だったら洋裁の仕事がしたかったわ」

わたしに語りかけたのではなく、わたしと同じ歳だったころの、過去の自分に話しかけるような口調だった。

浮き立つようなお母さんの背中を眺めながら、わたしも同じ気持ちを抱いた。それは日々の生活の中でほこりをかぶり、なくしたことすら忘れていた感情だった。あの想いがゆっくりとよみがえってくる。

その気持ちが消えてしまわないように、そっと胸に手をあてて、わたしは目を伏せた。

「……わたし、やってみるわ」


バシャリが感激の声をあげる。

「そうですか。素晴らしい。星野に続き、今日は幸子の旅立ちの日ですよ。さあ、ビールです。

今日は周一の稼ぎで、朝までビールを痛飲することにしましょう

と、ぐびぐびビールを飲んだ。健吉が珍しくきゃっきゃとはしゃぐ。その様子を見て、バシャリが何かを思い出したように、

「そうだ。健吉、あれがあるでしょう」

と、健吉に目配せした。途端に、健吉が気恥ずかしそうにうつむいた。

「ほらっ、健吉」

バシャリがうながすと、ようやく覚悟を決めたのか、一枚の紙をわたしにさし出した。

それは、わたしの似顔絵だった。緑のワンピースに身を包んだわたしが、にこにことわらっている。そして、幼い字でこう書きそえられていた。

『おねえちゃん、いつもありがとう』

そのたどたどしい文字が胸にしみ込み、目の奥がじんと熱くなった。ほら見たことかと言わんばかりに、バシャリが健吉に向きなおった。

「どうですか健吉、私の言った通りでしょう。あなたの似顔絵は贈答品に最適ですよ。

この幸子の表情が、いい証拠です。気難し屋の幸子が、感激のあまり声も出ませんーー

「もうっ、黙っててよ」

涙がぽろりとこぼれた。絵がじわっとにじんだので、いそいで拭きとる。せっかく健吉がくれた絵が台無しだ。

でもーー涙が止まらない。

バシャリがおどけた口調で言った。

「幸子、泣いてますか。いいですか。涙が止まらないときは上を向くといいですよ。

涙がこぼれません。これはアナパシタリ星人のおばあちゃんの知恵ですよ

「もう黙ってって言ってるでしょ。何よ、何よ……みんなしてわたしを泣かせて……もうっ、知らないわ」

ぷいと顔をそむけたけれど、涙は次から次へとあふれた。

最近、泣いてばかりだわ……

なかば呆れながら、わたしは泣き続けた。

16

ミシンを踏む足を止め、針をゆっくり上げる。バシャリが飛びつくように訊いた。 

「幸子、できましたか?」

「ええ、できたわ」 

わたしは、新品の腹まきをバシャリに手渡した。らくだ色の腹まきに『バシャリ』と大きく刺繍が入っている。

素早く身につけると、バシャリは大げさに身をふるわせた。

「なんと優雅で繊細な腹まきでしょうか。これならば、冬にかき氷を食べてもお腹への災難を阻止できるでしょう。

まさに鉄壁の防護です。幸子は、ますます腕をあげました」

「そう……良かったわね」

ミシンを直してから何枚目の腹まきかわからない。腹まきを作る腕だけが格段に上達した気がする。

ミシンの腕があがるのはいいが、腹まき専門のデザイナーになった覚えはない。

バシャリが縁側に座り込んだ。二月も末になったのに外はまだ肌寒く、庭の樹々もまだ冬めいていた。わたしは火鉢を置き、その隣に腰を下ろした。バシャリが何気なく尋ねた。

「幸子、もうお仕事は慣れましたか?」

「ええ、おかげさまでだいぶ慣れたわ」

わたしは、すでに新しい職を得ていた。

第74話に続く


よろしければサポートお願いします。コーヒー代に使わせていただき、コーヒーを呑みながら記事を書かせてもらいます。