弟がアリを食べた日1ーようこそアマアリ島ー

『弟がアリを食べた日』

 プロローグ

 帰宅すると弟のさくらがいた。

 庭にしゃがみ込み、アリを指でつまんでいる。親指と人さし指にはさまれ、アリは手足をばたつかせていた。

 大きなアリだ。うちの庭にこんなアリがいるのかと疑いたくなるほど巨大なアリだ。おそらく我が家の庭をとりしきるボスアリなのだろう。彼の手下のアリは麻薬を売り、商売敵を拳銃で撃ち殺し、ボスのためにメスアリを手配している。ボスはメスアリと交尾しながら、裏切り者をあぶり出すための算段をしている。彼は、ここのドンなのだ。

 そんな無敵のボスアリが今は身動きがとれない。弟の屈強な指が、ボスアリを支配している。彼にとっては想像外の事態だ。権威をはぎとられた王ほど無力なものはない。恐怖と混乱の極地で、ボスアリは途方に暮れている。

 さくらはその様子を無表情で眺めている。ただその目には好奇心が浮かんでいた。

 僕は驚愕する。好奇心? そんなものが弟の感情に存在するのか? こんな目をしたさくらを見たのはじめてだった。

 さくらはアリを口にほうり込んだ。アリは弟の奥歯で噛みくだかれ、喉を通過し、胃の中に落ちていった。味と舌ざわりを堪能するように、さくらは目を閉ざしている。その姿は、亡命した外国人が祖国を思い浮かべ、郷愁にうちふるえているようにも見えた。

 暑い日だ。強烈な日ざしが照りつけ、頭がぼうっとする。門と玄関をつなぐ石畳がかげろうでゆれている。車のボンネットで目玉焼きが……いや、ぶ厚いステーキでも焼けるほどの陽気だ。そんなかんかん照りの下で、僕は弟がアリを食べている光景を眺めている。何だ。この状況は?

「うまいのか?」

 僕の問いにさくらがこちらを向いた。兄で男の僕ですら、どきりとするほど整った顔だちだ。十数年見ているのだが、見なれるということは一切ない。女子たちがさくらに夢中になるわけだ。

 さくらは一般の素人なのだが、ファンクラブが存在していた。勝手にファンサイトまで作られている。僕も一度のぞいたことがある。さくらをかくし撮りした写真を掲載していた。一部にモザイクがかかっていたものもある。その一部とはもちろん僕だ。

 さくらと僕は本当に兄弟なのか? 人生でもっとも問われた質問がこれだ。その気持ちはよくわかる。僕だって疑問をもつぐらいだ。他人が不思議がるのも無理はない。何度か母親にきいたこともあるのだが、「……そうねえ。たしかに兄弟なんだけどねえ」と首をひねっていた。産んだ本人ですら確信をもてないほど、僕とさくらは違っている。

 いや、かんちがいしないで欲しい。僕はブサイクというほどではない……と自分にいいきかせている。まあそこまではひどくはない顔だ。ところがさくらと比較されると、気の毒なほどブサイクに見える。身長二メートルの人と並ぶと小さく見えるのと同じようなものだ。辞書の『不公平』の用例に、僕とさくらの顔写真を掲載して欲しい。これほどわかりやすい不公平もないだろう。

「うまくはないよ」

 自分とさくらを比べてただただぼう然とする、といういつもの儀式をしていると、さくらが小さな声で答えた。

「ならアリなんか食べるな。腹こわすぞ」

「その心配はないよ。もうできたんだ」

「何が?」

「準備さ」

「準備?」

 さくらはすくっと立ち上がり、玄関に向かった。準備という言葉が気になったが、僕も家の中に入った。

 その一時間後ーー短い昼寝から目覚めると、さくらはアリクイに変身していた。毛むくじゃらで顔と舌が長い。そして、アリを食べる……あのアリクイだ。

 さらに僕とさくらはアリクイの島にいた。アリクイと人が共存する島。その名も『アマアリ』島だ。

 弟がアリを食べた日ーー

 僕の世界は一変したのだ。


 1 ようこそ、アマアリ島


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弟がアリを食べた日1ーようこそアマアリ島ー

浜口倫太郎

200円

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作家、放送作家、コンテンツエージェンシー。株式会社Noola代表取締役。著書は『AI崩壊』『22年目の告白ー私が殺人犯です』『廃校先生』『シンマイ!』『私を殺さないで』など他多数。公式サイトは、http://rintarou.info/
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