見出し画像

「間に生きる」〜社長と全国行脚して挫折しまくった東大生が見出した希望〜

こんにちは!このnoteを開いてくださってありがとうございます!

地方から上京してきた大学生がある人物に魅了されて長期インターンを始め、その人のカバン持ちとして一番近くで1年間を過ごし、全国各地に赴いて農家さんや漁師さんから話を聞く。その中でどんなことに心を動かされ、何に悩み、自身の中でどのような変化を感じつつあるのかを記してみたいと思います。おそらく後半は内面の吐露のようになると思いますがぜひ読んでいただきたいです。

1.最初の2ヶ月間

さて、自己紹介が遅れました。改めまして東京大学法学部3年の吉良倫太郎(きらりんたろう)です。学校では法律を学んでいるんですが、いわゆる「地方創生」や農業・漁業など一次産業に興味があり、昨年4月からその関係のポケットマルシェ というベンチャー企業(以後、「ポケマル」と呼称)で長期インターンを始めました。冒頭、僕が魅了されカバン持ちをした人物というのがそのポケマルの代表 高橋博之プロフィール、以後「博之さん」と呼称)です。博之さんのどこに魅了され、彼はどんな主張をしているのかを細かく記すと長くなり過ぎるので今回は避けます(ちなみに『都市と地方をかきまぜる』という彼の著書に影響され飛び込みました)。

1回目の緊急事態宣言が発令されていた昨年4月に僕のポケマルインターン生活がスタートしたわけですが、最初の2ヶ月ほどはリストアップやメール対応など事務的な業務をリモートで行う日々でした。それでも博之さんの掲げたビジョンに共鳴して集まったスタッフの人と一緒に働くことができ、SlackやGoogleドライブに自由にアクセス可能なので、ポケマルで今何が起こりこれからどのように進もうとしているのかを体感できる環境はとても刺激的でワクワクするものでした。

2.突如、社長と2人で全国を回ることに⁈

しかし転機が6月に訪れます。
未だに忘れもしません、自宅で業務をしていたときに突然電話が鳴り、直属の先輩から「博之さんがまた全国を回るらしいんだけど、一緒に回ってみるつもりある?」と言われたのです。

博之さんは頻繁に現場を回ります。「答えは現場にある」が口ぐせの1つで、自分の目で生産現場を見て、自分の耳で生産者さんの声を聞き、自分の口で直接思いを届けるためにもう10年以上現場を回り続け、実際2年前には「平成の百姓一揆」と題して全国47都道府県での講演と生産現場の視察を行いました。

元号が令和になり、ポケマル誕生のきっかけである東日本大震災から10年が経過するという節目を前に、この10年で何が変わり何が変わらなかったのかを自らの目で確かめ、思いを直接届けたい。ということで再度博之さんが全国47都道府県をまわるらしく、その担当になってみないかというのがその電話の内容でした。

自分が憧れた人の会社で働けるだけでなく、その当人と時間を共にして全国を回ることができる。その事実がただひたすらに嬉しく、家の中をまるで小躍りするかのように歩き回りながら人生が大きく動き始める予感にワクワクしたのを昨日のことのように覚えています。

3.全国行脚の様子

こうして急遽インターン先の社長と一緒に全国47都道府県を回ることになりました。来年の3月11日までに全国を回るためのスケジュール設計にはじまり、全体の予算管理、チラシの作成、47回分の会場の選定、募集ページの立ち上げに集客、当日のロジ作成に宿やレンタカーの予約、そして各開催地で協力いただく方とのメッセージのやりとりなど慌ただしく歯車は回り始めました。

少しだけ全国行脚の様子をご紹介します。

熊本

2020/7/20(月)2カ所目の熊本県は道の駅での開催。
植木町というスイカが特産の地区ですが、農家さん同士、そして農家さんと町や道の駅の職員さんの緊密なコミュニケーションが印象的で溌剌としたエネルギーを感じる地域でした。
※コロナ禍のため定員を半分に制限したりマスクやアルコール消毒を徹底するなど十分に対策を講じての開催です。

海 かずなりさん

鳥取 山

農家さんだけでなく海や山で自然と向き合っている方にも会いにいきました。
1枚目は秋田県にかほ市の漁師 佐々木一成さん(写真 左。右が博之さん)。
この日はベタ凪でとても気持ちよかったんですが、やはり陸から小舟に乗り込み岸を離れると「もし何かあったら死ぬかもしれない」という恐怖を感じます。身をもって自然の雄大さと怖さの一端を感じるとともに、死を背後に感じながら1日1日を生き、人生を楽しみキラキラと輝く漁師のみなさんに圧倒されました。
2枚目は京都大学を卒業後に鳥取県で林業家になった加藤翼さんの現場を訪ねたときの様子(写真中央が翼さん)。自分と同じく博之さんのもとで1年間インターンをして生産者さんの力強さに触れた結果、大きく人生の舵を切った翼さんの言葉は似たような境遇にある自分によく沁みました。

こんな感じで47回分の深すぎる思い出があるのですが長くなっちゃうので今回は省きます。こちらに各回の詳細なレポートが載っているので興味の湧いた方はぜひ読んでください。

ー ー ー

さて、ここからやっと本題ですが実は博之さんと一緒に全国を行脚し本当にたくさんの尊敬できる方にお会いする中で、何やらモヤモヤとした自分でもどう扱えばいいのかわからない感情が生じはじめました。たしかキャラバンをまわりはじめて2ヶ月くらいたった8月くらいからはじまり、今なお感じてはいるのですが、やっと少し自分の中で整理ができた気がするのでここに記してみたいと思います。

4.熱中するのが怖い

「吉良くんは若いやつには珍しくとても安定感があるね」
「こなし仕事になってしまってるんじゃないか。工夫や改善がぜんぜん見られない」

どちらもキャラバンの最初の方に博之さんから言われた言葉です。単純に仕事に向き合う姿勢への言及だったかもしれないのですが、自身を顧みたときに思い当たる節があり、このあたりから少しずつ自分自身について考え向き合う時間が増えたように思います。

自分で言うのもなんですが、僕は小さい頃からずっと優等生、あるいはクラスの中のしっかり者でした。小学校の頃から学級委員や生徒会長をして、勉強はもちろんスポーツや部活動にもそれなりに取り組んでいました。別に優等生を「演じている」というわけではなく、自然とそのポジションにおさまっていたという感じで小中高、そして大学生活を過ごしてきました。

一方で、全国を行脚し多くの人に出会う中で、何かに熱中するのが怖い自分、感情を揺さぶられるのが怖い自分の存在にも次第と気づきはじめました。冒頭のこなし仕事になっているんじゃないかという指摘もこの一例な気がしますが他にも思い当たる節は多々あります。

例えば映画を見て感情移入するのが怖いのです。たとえ人目が気にならない状況であっても感情が揺さぶられるのが怖くて、少し目を背けたりわざと別のことを考えたりしたくなるのです。数名で議論をするときだってそんな自分が顔を出している気がします。自分が何を感じどう思うかを積極的に主張するというよりは一歩引いたポジションをとり、議論全体の整理をしたりうまく発言できていない人に話を振ったりする役回りを無意識にとっています。

もっと言うと悩むことや考え続けることにも人一倍の恐怖や抵抗があるような気がします。何か感情を揺さぶられるような出来事があったり悩みの種が生じたとしても、「いつもの自分」でいられなくなることを無意識に恐れてしまい、その気持ちを時間が過ぎて忘れるのを待ったり別のことで気を紛らわせたりしてしまうのです。

これらは完全に無意識で自分でもよくわからないうちに、熱中せず一歩引いて「ちゃんとした」自分でいよう、リスクをとって新たな手法にチャレンジするよりは安定的に現状を維持しようと動く自分がいることに思い当たりました。

5.自分の「好き」がわからない-1

キャラバンを回っていてもう1つ気づいたのが「地方創生をしようと思って地方創生をしている人」はいないということです(より正確には、自分がお会いして輝いて見えた人の中には見当たりませんでした)。

あくまで自分の好きなことに手を出しそれにハマっていく中で、結果として誰かのためになっていたというお話がとても多かったのです。

そうしたときにふと、自分は何が好きなのかがわからなくなったのです。

思えばこれもさっきの「ちゃんとしたいと思う自分」とつながっている気がします。無自覚のうちに、「今この状況で何が求められているか」を察知して行動してしまうのです。しかも、その「正解の行動」をすると周りの人が喜んでくれる。別に自分も無理をしているわけではないし(というより行動したいように行動しているだけ)、周りの人も感謝してくれる。思い返してみるとこんな風に生きてきたんだと思います。

別にそんな自分が嫌いなわけではありません。でもあまりにその道一筋だったからこそ、自分の「好き」がわからなくなったのかなと思うのです。

6.自分の「好き」がわからない-2〜迫る進路選択〜

ちょうどキャラバンを回っていたのは大学3年生の1年間で、まさに同期は就職活動真っ只中です。否応にも将来の進路の選択というものがチラつきます。全国を行脚する中で、自分の人生の舵取りを自分で行い、自分の好きなことを追求した結果、周囲の人を笑顔にしている。そんな人たちに出会ってしまったときに、じゃあ自分は何が好きなんだっけと足が止まったのです。

少し冷静に分析してみるとこの年代の多くの人が似たような状況になるのかもしれません。

少なくとも大学まではある程度のレールが敷かれています。だいたいの場合、学力というものさしによって自分のとりうる選択肢が見えてきて、自分と同じような学力や志向の人が目指す場所を当たり前のように目指して走ってきました。

勉強自体は苦じゃなかったし、難しいことを理解して人にわかりやすく伝えるのも好きだったので受験勉強に励み、苦戦もしたし偶然の産物でもあったのですが今の大学に入りました。高校生のときから地元に貢献したり誰かのために働きたいという思いは強かったんですが、明確にやりたいことがあったわけではなかった僕は、国家公務員から民間まで幅広く選択肢のある法学部に進学しました。

見方によってはまだまだレールは続いています。弁護士など法曹関係を目指す人もいれば、国家公務員や民間の大手(コンサルや銀行、広告業界など)を目指す人もいます。別に彼らを全く批判する気持ちはなく、実際崇高な志のもとそれらの業界を目指す友達も多くいます。

ただ、全国を行脚する中で自分の人生の舵取りを自分で行い、めちゃくちゃ大変かもしれないけどキラキラと輝いて生きている人たちに出会ってしまったのです。土日も関係ない分刻みのスケジュールの中で義憤に燃え、少しでも社会を良くしようと吠え続け、まさに毎日を燃えるように生き切っている高橋博之という人物に出会ってしまったのです。

そうしたときに自然と自分の足は止まり、自分自身に向き合う時間が増えていきました。

そしてこんな風に悩み続ける自分に博之さんはこう声をかけます。

「頭で考えたって答えはわからない。自分の心の声に耳を澄まし、自分の目で現場を見ろ。そうすると人生の目的の方が自分を見つけてくれる」
「人生が思い通りにいく人なんていない。スケジュールの決まった旅行ではなく、行き当たりばったりの旅のように生きろ」

なんとなく頭では意味が理解できるものの、上述したようにそもそも自分の心の声が聞こえないこともあり、なかなか悩みは晴れませんでした。

7.自信の喪失-1〜試行錯誤を繰り返し考え続ける力〜

少し客観的に自分の状況を振り返ってみると、短期間に多くの人と出会い、博之さんという一人の人物と深くつきあったことで、自分の本来の姿・輪郭をおぼろけながら感じ取れるようになってきたのかなと思います。

こうして少しずつ自分がどんな人間かわかってきたのですが、それと時を同じくして自信を持てなくなってしまったのです。

自信を失った理由は明確でした。これから社会に飛び出し生きていく上で必要になると感じはじめた能力を自分が全く持っておらず、逆に自分の強みはあまり有用ではないと感じたのです。

先ほども少し述べた通り、おそらく僕は答えをすばやく見つけ(覚えて習得し)、それを安定的に運用していくのが得意です。でも社会のほとんどの事象には答えなど存在せず、自分の頭をひねり出して作った仮説を粘り強く正解にしていく力が必要に感じました。

僕はなぜか昔から地方を元気にすることに興味があるようなのですが、社会課題の解決においては一層上記のような力が要求されるように感じたのです。

数学の問題を解くことになぞらえると、僕は先生に教えてもらった解法パターンをしっかりと要領よく理解し、それを運用して何問も安定的に解いていくのが得意です。でもこれからの社会で必要とされるのは、答えを誰かから教えてもらって解く力ではなく、自らの頭で悩み続け、何度も試行錯誤しながら問題を解いていく力のように感じたのです。このギャップを認識したときに、たじろぎ自信を失ってしまったのだと思います。

8.自信の喪失-2〜動物的な力〜

あともう少しじめっとした話が続きます、お付き合いください。
もう1つ、圧倒的に今の自分に欠けているなと思ったのが動物的な力と勝手に名付けた能力です。

社会をより良くする・変革するとは言っても、結局目の前の人間ひとりの心を動かし、協力してもらうことからはじまるはずです。それも並大抵の信頼では足りません。何があろうともこいつになら背中を預けられる、そんな信頼関係をどれだけ構築できるのか。

目の前の人間を笑わせる力のすごさも改めて感じています。たとえ初対面であろうとも、自分から心のバリアを解いてにこやかに会話し、時たま機転の効いた返答をして笑わせる。そんな人だったら相手も心を開いてくれる気がします。

9.僕の自信を失わせた高橋博之という男

こうした能力を全て博之さんが持っていたのです。というよりは、社会をより良くしようと日々もがき続ける博之さんを間近でみる中で、こうした能力の重要性に気づきました。

少しでもいい方法はないかといくつもの案を試し挑戦し続ける。自らの心を開いて傾聴し、喜怒哀楽を全開にしながら強力にまわりを巻き込み同志を増やしていく。

そんな博之さんに圧倒されるとともに、翻って自分が現在持っている能力の使い途の少なさ、社会の変革に必要とされる能力との乖離に愕然としてしまったのです。

自分の目から社会を前に進めているように見える人たちは、自分の志や好きなことを追求し、他人からの評価に気を揉むことなく素直に自分の感情をぶつけ、正解のない世界で挑戦し続けている。でも自分は何が好きなのかもわからないし、ちゃんとしよう、ちゃんとみられたいと無意識に思って生きてきたし、どちらかというと正解を教えてもらって(やり方を覚えて)それをうまく運用することで生きてきた。

多くの人と出会うことで自分本来の姿が見えてきて、社会課題を解決する上で必要とされそうな力も見えてきて、そうしたときに両者にあまりに大きなギャップを感じていつの間にか自信を持てなくなってしまったのです。

10.諸々が重なり塞ぎ込んでしまった2カ月間

あんなに毎日が楽しみでしかたなかったポケマルでのインターン生活もいつしか暗い心持ちになってしまい、なぜか萎縮してしまう自分がいました。先輩たちは自分のことを気にかけ優しい言葉をかけてくれるのですが、オフィスに出社してもどうにも伏せ目がちになってしまい自信なくびくびくしてしまう自分がいました。

そしてタイミングとは重なるものです。12月の半ばから2月の頭にかけてこれまで経験したことがないくらい心がどんよりとしてしまう日々が続きました

緊急事態宣言の再発令に伴い、年明けからは博之さん一人での行脚となったっため自分が現地に同行することはなくなりました。そして期末試験期間でもあったのでほとんどの時間を家で一人で過ごすことになりました。また3月には公務員試験や民間の本選考が始まるので、先延ばしにしていた進路選択の〆切も迫り焦りがありました。加えて、自分の弱さや悩みをさらけ出しある種、心の拠り所となっていた人との別れも重なりました。

11.自分の役割〜「間」に生きる〜

こんな感じでちょっと精神的によくない状況が続いていたのですが、多くの人と出会い、それが故に苦しんでいた自分を救ってくれたのもまた人間でした。

浪人中の友人や高校同期、サークルの同期に後輩、そして同じくポケマルでインターンをしている友達など、思い切って現在のしんどい状況や悩みを打ち明けた自分の話を聞いてくれたり、普段通りに接してたくさん笑わせてくれたり本当に救われました。

こうして真っ暗闇のトンネルの中を友人の力を借りて時には立ち止まりながらも少しずつ進んでいく中で1つの気づきを得ました。

人にはそれぞれの役割がある。まずは尊敬する人の真似をして型を身につける必要があるけれど、吉良くんは俺ではない。吉良くんには吉良くんの役割があるはずだよ」

これはキャラバンの道すがら博之さんにかけられた言葉です。でもやっぱり頭では言葉の意味を理解できるものの、自信なくさまよっていた自分には腹落ちしないでいました。

ただ、友人と話しているときにふっと見えてきたものがあります。僕は「間」に生きることができるのではないかと思ったのです。

先ほど述べたような博之さんが持っている力、社会を進めるのに必要だと自分が考える力をタイプAの力と名付けます。具体的には、何度も試行錯誤しながら仮説を立て、思いをぶつけることで強烈に他者を巻き込み同志を作っていく力。イメージ的には何もないところに火を生み出すイメージです。

一方、もともと自分が持っている力をタイプBの力とします。すでにある程度できあがったものを利害調整をしたり時にはアップデートしたりしながら維持していく力や物事を順序立てて考え、混沌とした状況を整理していく力です。小さな火種を大きくし安定化させるようなイメージを持っています。

そうしたときに、僕はタイプAとBの間の人として生きることができるのではないか、それが自分の役割なのではないかと思ったのです。

具体的には、もともと圧倒的にタイプBでそれしかできなかった人間が、タイプAの発想や生き様の一端を理解し少しだけタイプA的なこともできるようになりつつある。そうすると、タイプBでありながらもタイプAの気持ちも理解できるAとBの間の人として、両者のギャップを埋め、価値をかけあわせて集団や社会を前に進めることができるのではないかと感じたのです。

思い返せば小さい頃からの勉強のやり方もそうでした。何か新しいことを習うときにすぐに理解できるというよりは少し苦戦するタイプでした。でも、めげずにくらいついていく中である時パッとできるようになり急成長できたのです。できなかった時期があるからこそ苦戦するポイントがわかり、人にわかりやすく伝えるのも得意だった自負があります。

だからこそ、AとBの間に生きるという役割にとても納得感を覚えたし、別に博之さんのようなタイプAの力を100%身につけることができそうにないからと言って落ち込む必要はなく、数%でも身につけることによって一気に成長できる可能性があるかもしれないと再び希望を持つことにつながりました。

12.ある1つの決断とこれから

こうして気温が次第に上昇するのに伴い、少しずつ気持ちが晴れはじめたのが2月の半ばでした。しかしこのとき同時に1つの決断をしました。

1年間の休学です。

理由は消極的なものも積極的なものあります。このままでは心が壊れてしまうという自覚や進路選択を先延ばしにしたいという怖さもあったと思います。感染症の影響で昨年1年間はほとんどキャンパスに立ち入ることがなく、このまま学生生活が終わってしまうかもしれない悲しさもあったかもしれません。

でも少しだけ心の声に耳を傾けられるようになっていた気がするのです。これまで僕は、〇〇をするために今はこれをするという風に目標を設定し、あるいは自分を納得させ走り続けてきた自覚があります。中間テストで点数をとるために数学を勉強する、なるべく選択肢を広くもつために法学部に進む、地方創生について学ぶためにサークルに入ってみる、etc.

でも博之さんのもとで1年間全国を行脚した自分の心は一度立ち止まってみることを求めていました。おぼろけながら見えてきた今の自分に足りない力・身につけたい力や自分の社会における役割。これからの1年間を進路選択や卒業するための単位を集めるために使うのではなく、見え始めたものをたしかなものとし、目的ではなく意味を探して思いのままに生きてみる。就活でこんなことを言うと相手にされないかもしれませんが、僕はそのように感じこの決断に至りました。だからまだ何をするか明確に決まっているわけではありません。

ー ー ー

最後にご紹介したいのが昨年の鹿児島県は屋久島でのキャラバンの一幕です。

僕は何もないところから火を生み出すことは得意じゃないかもしれない。でも、その火種をより多くの人に届け、広く燃え広がらせることによって社会を少しだけ前に進める役割は担えるかもしれない。そうすることで、この恵まれた環境や博之さんをはじめ多くの方から受けた恩を社会に還元してみせようと思っています。

まだまだ苦戦すると思いますが、でこぼこした自分の強みも弱みも受け容れて、たくさんの人に支えてもらいながら一歩ずつ進んでいきます。

P.S. お父さん、お母さん、妹、じーちゃんばーちゃんへ
どうしても恥ずかしくて面と向かって感謝の気持ちを伝えられないのですがいつも本当にありがとうございます。心配の電話がかかってきてもつれない返事をしてしまうし、少し考えていることがあってもなかなかうまく伝えられません。
大学に入るときも自分の不手際に文句を言うでも失望するでもなく2年間も猶予をくれ、さらにもう1年時間がほしいという願いにもやりたいようにやればいいと許してくれました。それどころか心配してくれるほどです。
まだまだ心配をかけるし一生こどもではあるけど、折れそうに見えて色んな人に支えられて少しずつ丈夫になっている気がします。
いつも本当にありがとうございます。近いうちに帰ります。

(2021/03/05 吉良倫太郎)

ー ー ー

SNSは主にTwitterを使っています。ぜひつながってください!
このnoteをシェアしていただいたり、感想を送ってくださるとより一層励みになるので、よかったらお願いします😊


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?