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辛いとき、たくさんの「はじめて」に出会う

新型コロナウイルスに対するニュースが、連日のように報道され、世界的にみても社会全体が不安に包まれているように感じる今日この頃。コロナは正直怖いが、我が家ではコロナ以上に、異常事態(父に言わせれば、超緊急状態)が続いている。

母が精神を病んだ。

文字面だけ見れば、非常にシンプルで、一言で完結する出来事なのだけれど。現実は、一言では到底表現できない苦痛と、悲しみと、憤りを感じる非日常な生活が私を待ち構えていた。

毎朝、起きることが怖い。なぜなら、大抵枕元に母親が来て、私はもう終わりだの、バチが当たっただの、死にたいだの、辛いだの。それはそれはもうネガティブな言葉のシャワーを浴びながら起床しなければいけないためである。

毎日、家の外に出る瞬間が怖い。なぜなら、母親が必死に私に縋り付いてくるからである。行かないで、私を見捨てないで、そばにいて、辛いの。こんな言葉をかけられながら、外出するものだから、外に出る間は、物理的に開放はされていても、内心穏やかではない。母の怯えた顔つきが頭から離れないのだ。

母が、なぜ私をこんなにも頼るのか。それには明確な理由がある。一つは、父親が母の面倒を見つつも、母に対して昔から常に高圧的な態度を取るからである。しかも無意識にである。つくづく、王子のように大切に育てられた韓国人の男というのは、たちが悪い。父の世界の中心は、ジジイになっても自分である。

父が母に対して一生懸命に尽くしている姿勢は、尊敬できるし、頼りにもなるが、あくまでも父が考える範囲の中に限ったことであって、母親の心に寄り添っているかと言われると、答えはNOだ。自分が考えていることが全て正しいと彼は思っているし、自分に従わない奴は存在価値がないと思っている。それを母親も痛いほど理解しているからこそ、余計に頼りづらく私に擦り寄るのだろう。

もう一つは、私が母にとって「育てた甲斐のある自慢の娘」であることが大きい。母は元々、自己肯定感が低く、自分に対するコンプレックスが多い人だった。自分ができなくて悔しかったことは、娘には全てさせよう。そう意気込んだ母は、長女である私に、惜しみなく時間とお金を投与して色々なことをさせてくれた。このことについては、父も母と同じ姿勢だった。

わがままをたくさん聞いてもらった自覚がある分、父親と母親が私に対して「こういう風になってほしい」という理想を持っていたことは薄々感じていたし、なるべく叶えてあげたいとも思っていた。そのような理想像を一つ一つ叶えて喜ぶ父母の姿を見ることは、正直とても好きだった。

長く、幸せな、ぬるま湯のようなものに浸かっていたのだと思う。7年間留学していた分、両親と離れて暮らしていた時間も長く、喧嘩も少なかったし、反抗する気持ちも全く起きなかった。むしろ、とても感謝していたし、両親は私の支えになっていた。両親との関係は、血の繋がりと、親孝行の気持ちを含めた「ギブアンドテイク」のようなもの。そう偉そうに考えていた。

母の鬱は、一変に家族の状況を変えたわけではなく、むしろ徐々に、ゆっくりゆっくりと変化させていった。その分、気が付きたくなかった、自分が今置かれている状況と、それに対する自分の感情と向き合わざるを得なかった。普段、チラッと思っていても、気にすることのない、他愛のない感情たち。チクッと刺さった言葉。それらを、無視できなくなっていた。

長女だし女の子なのだから。親が困っている時に、親の面倒を見るのは当然。という価値観のもと、母のメンタル面のケアに限らず、家事についても当然の如く押し付けてくる父親。しかも、自身が辛い時は、自らも娘に甘え、時に八つ当たりしてくる父親。

父とのパワーバランスにおいて、元々弱い立場に置かれていることを自覚し、「子供」という、自身よりも、より弱い立場の私に依存してくる母親。今まで、たくさんあなたのわがまま聞いてきたじゃないの。私のわがままも聞いて、と甘えてくる母親。

今までもっとも頼りにしてきた人たちが、一変に私を頼ってくる。
こわい。こわい。苦しい。

こう感じてしまった自分が情けなくて、情けなくて、しかも悔しくて、かといって母の言葉を聞き続けて寄り添い続けることに対して限界もあって、頭がパンクしそうになった。体も限界だったのだと思う。一日中、涙が出るという体験を、人生で初めてした。情緒不安定になって、精神的に上がったり下がったり、常に緊張していたり。初めてだらけの経験をたくさんした。

もともと、とてもポジティブな性格が影響して、ネガティブな思考を理解できない、というか正直しようとしていない面が私にはあった。けれど、母の鬱を通して、底無しの不安と、取り立てて何もないけれども辛くなる、という気持ちは、実際起こるのだと強く思った。

あるいは、今までの自分だと気に留めないような本、映画、音楽が気になったり、実際作品に触れてみて、ずるずると共感し、感情移入するといった瞬間が増えた。なんだか、自分自身の気持ちが、いつも以上に「素直」になっている気がした。通常時の自分の精神は、割とマッスル感が強いんだなと興味深かったし、少し反省もした。今までの私、強がりすぎてたな、と。

あと、友人たちにかりた&おすすめしてもらった本たちにも、私はパワーをもらっている。特に、家族や近しい人に関係する内容の小説であったり、詩集に心を持っていかれる。今の自分が小説や詩に自分の思いを自由に乗せることができるからだと思う。最近で言うと、辻村深月さんの『傲慢と善良』、若松英輔さんの『悲しみの秘義』は、心に響いた部分が多かった。

『傲慢と善良』を読み終わったあと、本の実際の内容と趣旨からは少しずれてしまうけれど、私が、自分の父と母に感じている気持ちは、それこそ傲慢な部分があると感じた。それは、父と母が私に望む、善良な「いい子」をある程度演じて来れてしまったからこそ生まれた感情なのかもしれない、と思ったりもして、自分の中で、相反する思考と感情は、平気で共存するということに気が付いた。

『悲しみの秘義』では、この言葉が、心に深く沈んだ。

愛することには、ときに静かな苦役を伴う。しかし、人はその苦しみにも意味があることを知っている。ここでの「仕事」は、金銭を手に入れることではない。人間が、その人に宿っている働きをもって、世界と交わる営みを指す。子育て、病む者の介護をはじめ、家族の無事をおもんばかることが、重要な人生の仕事であるのはいうまでもない。               

私は、両親に対して、葛藤し落胆し、共に苦しんでいる部分もあるけれど。それでも彼らを愛しているんだな、と思った。また、彼らも私を愛しているんだな、と。家族って、こういうもんなのか、と。はじめて、自分と家族のあり方について、じっくり考えた。この先、自分が作るかもしれない「家族」についても。

このnoteを書いている今も、母が精神を病んでいる現実自体は、あまり変わっていない。でも、それでも、周りの人たちによって、知ることができた、たくさんの「コトバ」で、今の自分の気持ちや感情、あるいは今の自分の立ち位置について多くのことを考える機会をもらった。現実は、まだまだこれから。改善余地もたくさんあるけれど、とりあえず、もう大丈夫。明日も、また新しい言葉を追い求めて、自分を大切にして、家族を愛していく。それが今の私の目標だ。

本日はここまで。








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