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自分はもっと出来る!の底にあったもの

こんにちは!琳Rieです。
私は結構前から何かの鑑定みたいなのを受けた時に、『あなたは自分で、「もっと自分は出来るはず、もっと自分は出来るはず!」って想っているよね。』とちょいちょい言われていました。

『確かにその通りだね。もっと出来るから全部やって下さい』とか言われる事もあったし。
自分でも「うん。そーね。いつもそう思ってるかも。。」という感想があった。
でも、ただそれだけだった。
何でもっと出来るって思ってるんだろう?
って。そこにあんまり疑問を持たなかったの。
『もっと出来ると思ってるけど、全部やるにはもう少しの学びが必要だ』というリーディングもあったんだけど、人生においての学びって事ねーぐらいで、その想いを掘り下げる事は今までなかったの。

でも先日、コンサートでやっぱりまだまだだなぁと自分にダメ出しした時に、「何でもっと出来る!って思い続けるんだろう?」って疑問が湧いたの。。

で、自分に聞いてみた。
そしたら、若い時にこーだったらもっとあーだったのに。。とか、若い時にこの事に気付いていたらもっと成長出来てたのに。とか、自分への後悔の念と、ダメ出しと、そして究極のところ

『人のせい』にしてる自分がいる

だった。。。
奥の奥の深ーーくで人のせいにしてた。

『人のせい』の課題は過去世からの課題で。
「罪人だった」記憶が多い私は自分にダメ出しすることも多くってこれまでに大分消化してきたつもりだったのだけど。。

今回はそこを更に深く追求してみて、『人のせいにしてる』を消化するより、そこを更に奥に追求する事が必要だったんだなって思ったよ。
何で人のせいにするの?の奥にあったのは、、

『怖い』だったんだ。

変化を怖がってる、赤ん坊の丸まった自分のビジョンが見えた。

変化が怖かったんだね。ほんと赤ん坊のように甘たれだった。
でも変化が怖いだけじゃないなと思ったから


何が怖いの?って聞いたら

『孤独』って。

その時にイメージと体感が起こったんだけど、
暖かくてお母さんのお腹に居る時のような、羊水に包まれたような『私達は一つ』というワンネスの塊から、『個』として切り離されて、一人で生きていくのが怖かった。悲しかった。変化しなきゃいけないのが嫌だった。帰りたかった帰りたかった、帰りたかった、、あの暖かいワンネスへ。。

人が怖かったのは、人と関わる事で、切り離された別々の『個』である事を認識させられるから。。『孤独』を感じさせられるから。。

それが『私はもっと出来る!』の底だった。。

今色んな考え方や意見に人々が別れていて一見『分断』が起こっているようにも見えるけど、
本来意見は違って当たり前で、考え違ってよくて、で、『個』がそれぞれ輝く。それをお互い認めて愛して行く。それがもうそろそろ出来る時代になったからこそ起きてる出来事じゃないかな。と思えるようになった。

いよいよ『ワンネス』に戻っていく時代になったんじゃないかなぁ。。。

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