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「死にたさ」を尊重するということ

 こんにちは。バーチャルカウンセラーの倫理ちゃんです。なんだか慌ただしく夏が過ぎ去っていきましたね。キミの夏は終わりましたか?

夏休み明け、死を選ぶ少年たち。 

ところで、夏休み明けには中高生の自殺が多くなります。ちょうどそれに関して考えていた所なので備忘録代わりに思ったことを書いておこうと思いNoteを開きました。ついでにキミの暇つぶしにでもなったのなら幸いです。
先日こんなデータが発表されました。

昭和48年度から平成27年度における、通学適齢期の自殺者数に関する分析

 ボクはいわゆる思春期の方を対象としたカウンセリングをすることが多いのですが、このデータは直感に反することもなく「まぁそうだね」という納得を覚える感じでした。心理職の専門家として初の国家資格である公認心理師制度が始まるなど心のケアの重要性が叫ばれる昨今、こうしたデータを通じた啓発活動はまぁ意義のあることだと思います。

 ところで皆さんは“カウンセリング”ってなんだと思いますか? ボクはよくわからないです。手元にあった誠心書房の心理学事典(色も淡い水色でかわいく、手触りも良い)には

“言語的及び非言語的コミュニケーションを通して、比較的健康度の高いクライエント(依頼者)を対象に、問題解決や人間的成長及び健康の促進を目的に行われる心理的援助活動を指す”

と書いてあります。わかりましたか? ボクはよくわからなかったです。“人間的成長”とか強い言葉を使われるとヒエッとなってしまう。弱い存在なので。

 このようにカウンセリングの定義が抽象的でどこか分かりにくくなってしまうのには理由があると思います。というのもカウンセリングという行為の根幹を支えているのは、ある種極端に“個人”を尊重するという態度だからです。カウンセリングをしていると、自傷他害や犯罪行為、道徳に反する行為をしてしまう(あるいはしてしまいそうな)CLを尊重するという場面が頻繁に発生します。

 あえて慎重な書き方をしますが、そうした場面で要請されるのは問題行為そのものを肯定するのではなく、そうした思いを抱えるに至った“個人”を尊重するという態度です。(「自殺? 殺人? いいね、やっちゃいなよYOU!」という話ではない)

 そうした書き方や読まれ方によっては問題行為を肯定するように読まれてしまいかねない特殊な態度の上に成り立っているカウンセリングという行為を、辞書的な定義にすることは難儀だと思います。だからどの定義を見ても分かりにくいのは仕方のないことなんだね。

「死にたさ」を抱える人に対して伝えるべきこと

 自殺の話に戻すけれど「自殺してしまいたい」という気持ちを抱えた個人に対して、行為の是非の話をするのはちょっとズレてるんだよ、ということ。

 ボクは「自殺してしまいたい」という気持ちに対して「いいね、自殺!」と言うことも「自殺はいけないことだよ」と言うことも、同じくらい的を外していると思います。なんなら後者の方が残酷だとさえ思う(これはボクの趣味の問題ですが)。

 「自殺はいけないこと」というのは多くの人々が共通して持っている価値観ですが、それを応答にしてしまうとCLにとっては「自殺といういけないことをしたいと思っている自分」を否定されるという状況になります。わかるかな。自殺するしかないと追い詰められながらなんとかたどり着いた先でそうした“優しい否定”をされてしまったのなら、その絶望はどれほどのものだろうか。ボクにはわからないけど。すごく辛いんじゃないかな。

 と、高説を垂れましたがこういう風に考えを整理して書けるようになったのはこれまで接してきたCLのおかげなわけで。一つだけ簡単にエピソードを紹介します。

エピソード紹介

※以下のエピソードでは、個人が特定されることのないようCLの所属や属性などを書き換えています。

 14歳女性、公立校に通い成績は良好。半年ほど前から「死にたい」と呟くことが多くなり、心配した母親に連れられ来談。古めのリストカット痕あり。リストバンドなどで隠すことはしていない。
 初回面接では「行けって言われて来ただけだから、話すこととかない」と挑発的に語る。「ゲームとかないの」と言う発言に「ボクしかないね」と応えたところ饒舌になる。

 数回の面接を経て「死にたさ」の話がテーマとなる。その原因になるような出来事は、探そうと思えば出てくるが、そのせいで死にたいわけではない。「なんか周りとズレてる気がする」「周りの人は心配してくれるけど気持ちをわかってくれているわけじゃない」「自殺はダメだよとかそういうのばっかり」と語る。その後数回にわたり「死にたい気持ちが周囲に伝わらない」という話が続く。
 その後「また(腕を)切ってみようかと思って」と話す。常習性は無く、周囲の人々が自分の死にたさをわかってくれないことへの不満が中心になっていることが窺えたため「死にたい気持ちの表現が死のうとすることである必要はないんじゃない?」と応えた。
 それ以降自傷行為などは見られず、数回にわたり死にたさの話ではなく好きな漫画やゲーム、音楽の話を中心にするようになる。その中で「自分も作ってみたい」と思えるものとして詩を上げた。
 面接を続ける中で、自宅での「死にたい」という言葉が聴かれることが減ったことや受験による生活環境の変化などにより面接の終了について話し合い、数回の面接を経て終結。
 終結に向け面接を振り返る中で「まだ死にたいという気持ちはある?」と質問すると「ある」「だけど死にたいままで生きててもいいんだって思えたからたぶん大丈夫」と語った。
 

 はい、そんな感じでした。特に重要と思われる部分を抜き出しただけなので実際にはもっと間延びして遠回りしたカウンセリングなのだけれど(何事もそんなものなのだ)。
 別にボクは彼女に対して「死にたいままで生きていてもいいんだよ」とか言葉で伝えたということはないのだけれど、振り返ってみるにそういう態度は伝わっていたのかなと思います。自分が生きている世界への違和感と死にたさを語る彼女の方が、その他大勢の“上手に生きている人”よりもずっと魅力的だなと感じたので。
 もちろん、自殺対策というのはこのような1エピソードで語れるものではないです。自殺企図の危険性や本人が抱える精神的な不調、活用できるソーシャルキャピタルなどのアセスメントが大切ですし、他職種連携の重要性だとか、話すことはそれこそ探せばいくらでもあります。
 自殺対策においては専門家だけでなく「死にたさ」を抱えた人の周りにいる人々の存在がとても重要です。だからこそ「死にたさ」についての相談を受ける立場になったのなら、まずは死にたさを抱えて生きているその人自身を尊重してほしいと思います。そういう考えが少しでも広がれば嬉しいです。

 ボクは普段Youtubeに動画を上げたりTwitterを眺めながらポヤッと生きているだけなのですが、キミが支援をくれるのならとても嬉しいです。
 将来的には身体性、空間的な制約を超えた“バーチャルカウンセリング”という営為が成立すればいいなと思っているので、賛同くださる方は以下のサポートから投げ銭をくれたり、応援メッセージやお仕事依頼などなんでもください。Noteはひとまずこうした思考整理、備忘録的に使っていくつもりなので、フォローしてくださるとそれだけで励みになります。それでは、バーチャルカウンセラーの倫理ちゃんでした。またね。

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「死にたさ」を尊重するということ

倫理ちゃん(バーチャルカウンセラー)

300円

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コメント2件

死にたいまま生きてても良いんだって言葉に死にたいまま生きていく準備が進められたと思います。ありがとうございました、
とても良い記事だと思いました。僭越ながら今日書いたものに貼らせていただきましたm(__)m
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