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青木さんと僕【3ー夢と現実】

(【2ー二人の小説家】から続く)

その後僕は卒業試験(卒論の口頭試問)にも合格し、無事卒業を決めた。
青木さんに結果を話すと「A判定だった?凄いね!でもあれはすごく良かったもの」と言って満面の笑みで喜んでくれて「今度お祝いに何か食べに行こうね!」と誘ってくれた。

7年に渡る苦闘の末、やっとのことで卒業した。
卒業出来たことは嬉しかったし、誇らしかった。
ボクシングに加え、胸を張って「頑張った」と思える2つ目のものを、ちゃんと結果を伴って終える事が出来た。

大学に入って良かった点の一つに、それまでだったら手に取ることもなかっただろうという多くの本を読み込むことが出来たという点がある。特に、ある分野やある議論においての一連の関連本を読むことで、ある問題から派生的に生まれる様々な議論を学ぶことが出来た。
そしてレポートや論文を書き、様々なものに対して“批評”できるようになった。

大学で七年間学び、少なくない知識を手に入れ、学問というものが、それぞれの学問分野が、それぞれの視点で以ってものを測る「はかり」であることを知った。
それぞれの様々な視点で諸々の事実を突き止める。
その事実という点と、また別の異なる点を繋いで線になり、形があらわれる。
まだ初学者に過ぎないとは言え、それを見つけ出すことは快感だった。

卒論はそういう意味でも素晴らしい体験だった。
チェーホフという歴史的な作家の『桜の園』という歴史的な作品に、多くの文献を駆使して、様々な点を見出して繋げて線を引き、まだ誰も気付いていない(と自分では思っている)形を作っていく。
そうした作業はある意味で、天上から見る神の視点に近い。

では、大学の七年を経て、その後書いた小説は「神の視点」に耐え得るものだったか?
残念ながら、それは全く違った。
書いて書いて何度も読んで消してまた書いて、そうして書き上げた小説を読むと、確かに満足感のようなものはある。
気に入っている部分もある。
しかし、そうして書き上げたものは、点としては良くても、線としては不確かで、せいぜい「形をなしている」という程度のものでしか無かった。
それは、書き上げて新人賞に出した2つの作品が共に一次は通過しても二次落ち、という結果でも分かる。

読んでくれた粂川先生には「構成はちゃんとしているし構造もある。でも、山口さんが現役の時にSNSで書いていたものに遠く及ばない」とも言われた。
確か、加えて「もっと自分の経験を通じて当事者感覚で書いた方が良いのではないか」というようなことも言われた。
その通りだと思う。

しかし、それらは卒業後に働きながら何とか時間を見付けて何とか捻り出して書いたものだった。
在学中にも書きたいとは思っていたし、書こうとしたこともあったが、レポートや試験勉強、アルバイトと並行することは僕には難しかった。

卒業して、仕事の昼休みには本を読み、書いた小説を読み直す。
仕事が終わってノートパソコンを開き、書いては消して書いては消して、二時間三時間掛けてやっと2行だけ書き進む。
ずっと温めていたネタを小説にしようと思い、そうだあの時の旅行のエピソードを、などと思い付き楽しく書いて、いつになくスラスラと書き進み、そうして1週間ほど書き進めたものを「ああ、これは自分にとって楽しいだけだった」と気付いて全部消して。

卒業してからは、青木さんとはあまりお会い出来ていない。
青木さんは教員仲間の伝手でめでたく復職して忙しくしていたし、僕もそれ程暇だったわけではない。
それに、どうやって書けば良いのか苦しんでいるところに、実家の借金問題も持ち上がった。それで僕も裁判費用を少々負担する為に職や住まいを変えるなどもしたこともあり、書くことはさらに厳しい作業になった。

粂川先生のアドバイスは正しいと思う。
しかしあの時、ボクシングに人生掛けて没頭出来た「僕」はもういない。
どうすればあの時のように書けるのか?
僕には分からない。

青木さんからは欠かさず年賀状と暑中見舞いが送られてくる。
僕はお礼も電話やLINEで返すのみ。
電話をすると、青木さんの声を聞く度に元気になれるのだが、自分の現状を青木さんに話すのは恥ずかしいという気もした。
卒業してから五年の間にお会い出来たのは、粂川先生が学会か何かの機会で来福した際と、大学の仲間が企画した英文学教授の横山千晶先生の講演会に誘った時の二度だけではないだろうか。

横山先生の講演会はシェイクスピアの戯曲に関するもので、それを皆で演じながら色々と考えてみようという(ざっくりし過ぎだが)もので、青木さんも与えられた役をいつもの笑顔で(斬り付ける相手を間違えながらも)楽しそうに演じていた。
その後の懇親会で美味しい料理とお酒で楽しく過ごして、青木さんと共にJRで帰宅中のこと。

青木さんに卒論をチェーホフにした切欠について聞かれたので、宇野重吉の「チェーホフ『桜の園』について」(麦秋社)という演劇ノートの話をした。
台詞と状況を説明する簡単なト書きと呼ばれる言葉だけで成り立つ戯曲作品(特にチェーホフは作品そのものついて多くを語らなかったようだ)について、宇野は当時のソ連に行くなどして作品に鋭く切り込み、チェーホフによって語られることのなかった様々な意図を井戸から汲み出すようにして明らかにしている。

いったん話し終えたところで、青木さんを見ると、青木さんは唐突に「宇野重吉は日大芸術学部なんですよ!」と自分の母校の名前を挙げた。
そして更に「林真理子や吉本ばななも日大芸術学部なんです!」と言って、いつもの柔和な表情を残しながらも、何か闘志を感じさせるように眉間に皺を寄せて眉尻を吊り上げたので、感じるものがあって、青木さんに「負けられませんね!」と言ったら首を振りながら「いやあ負けられない!」と歯を食いしばって真剣に言い放った。

「なんて人だろう」と思った。
青木さんは既に七十代後半。
青木さんより四十近く若いにも関わらず、僕は思った以上の自分の力の無さを嘆くばかりでどうして良いか分からずおろおろするばかり。

卒業後、特に成果はないままに五年が経ってしまった。
勿論、大学の七年間が無駄だったとは思わない。
しかし「何をやっていたんだろう」と思うことはある。
慶友会の会長を引き受けて物凄い時間を掛けて規約を作るなどしたが、あんなことしなければ良かったとか、そもそも大学に、とか、色々とあった筈の人生の分岐点というものを思って嘆く。
時には、ボクサー時代にまで遡って、やっぱりあの時辞めておけば、とか逆に、あそこで引退せずにまだ続けていれば、とか。
本当に下らない。

勿論、恐らく誰しもがかつてあった筈の分岐点について思うことがあるに違いない。
青木さんだってそれを考えることはあっただろう。
そういえば、ずっと以前にある高名な詩人に見出されたことがあったが、彼の誘いを断った(確か賞金が安かったとか)ということを口惜しそうに、後悔の念を感じさせる物言いで語っていたことがある。
他にも色々あったに違いない。

こうして青木さんと出会ってからのアレコレについて書いている今、青木さんからそれまでに聞いていた、青木さんの人生についての色々を想像している。

高校教師をしながらの詩人としての生活を、自費出版で同人誌などを発表していた経験を、定年退職してからの大学院生としての生活を、奥様のご病気、そして慣れない現場仕事を。
恐らくは大変な思いをしたであろうそれらについて思い、蹴飛ばせば良い程度の小さな石ころにつまづいて思い悩む自分が馬鹿らしく思えてくる。
青木さんは全力で現在と向かい合い、必死で夢に向かって戦っているのだろう。

青木さんと最後にLINEの通話機能を使って話したのは、そろそろ1ヶ月前、広島の自動車工場で期間工をしていた時のことだ。
青木さんは以前と全く変わらない、朗らかで、優しげな声で「大変だったねえ。でもあれだけ書けるんだもん。大丈夫だよ」と励ましてくれた。

僕は青木さんをある種の偉人だと思っている。
青木さんは元高校教師で元詩人。
高校教師定年後に25年ローンで住宅を購入し、国立大学で修士の資格を取得してその後小説家になる夢を抱きながら教職に復帰している。
とても面白い経歴だが、青木さんのことを知っているのは、青木さんが実際に関わった人以外にはごく僅かだろう。身近な人以外には、殆どの人が青木さんのことを知らない。
しかし、青木さんは、彼と関わった多くの人に良い影響を与えている。

僕は子供の頃から世界最強のボクサーになりたかった。
今の僕は、作家になって素晴らしい小説を書けるようになりたいと思っている。
僕はずっと「何者かになりたい人」だったわけだが、それはきっと「自分ではない何者かに」という意味で、ある種の自己否定から入っているのだと思う。
現在の僕は「こんな筈ではない」と思いながらも、どこかで「きっと何者にもなれずに終わるのだろう」とも思っている。しかしそれでもまあ、何者にもなれなかったとしても、それでも、青木さんのようになれるのなら良いかなあと思う(勿論それも難しいだろうが)。

僕も青木さんのように、活力があって、好奇心が強くて勉強熱心で素直で、驕らず威張らず誰にも優しく、皆に愛される。
そういう人間になりたい。

ここまで書いて冒頭を読み直すと「それ程長くはならない筈だから」と書いたにも関わらず1万字を越えてしまった。
ちなみに、こうした書き物を書いていることは青木さんには話していない。
青木さんはこれを読んでどう思うだろうか。
読んでもらう事なくアップしたら怒るだろうか(あまり想像出来ないが)。

さて、しばらく前からこの書き物に終わりが近づいてきていることを感じ、どう閉めようか少しばかり考えたが、すぐに「これしかない」と思い当たった。

青木新六さん、ありがとうございます。
あなたに会えて良かった。


【ポケットの蝉―青木新六詩集 】







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