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様々な正しさの中で

自戒を込めて書こう。
僕は、昔は2ちゃんねるから懐かしきmixi、Facebookなど、ウェブ上の様々なスペースで様々な「議論」をしてきた。
ここであえて「議論」とカッコで括ったのは、そう呼ぶに相応しくない仕様もないやり取りに終始したことも数えきれないくらいあったと考えているからだ。

とはいえ、それらの「議論」が全て下らないものだったと考えているわけではない。中には自分の考えを改める経験になったものや、「こういう考え方もあるのか」と目を丸くしたことも、意識することのなかった視点そのものを与えられたという気になったこともある。

中でも、mixiで友人申請を貰ったある方の、知識の範囲、様々な視点、自己形成とその理解、そして議論の進め方には多いに影響を受けたと言って良い。

小中高と怠惰な劣等生で、カンニングなんかも平気で学校の勉強など屁とも思っていなかった僕が、ボクシング引退以降に「勉強をしなければいけない」と思って、知人から紹介を受けた慶應義塾大学の通信教育課程で勉強しようと思ったのも、その方の影響が大きかったのだろうと思う。

そして、僕にとって良い影響のあった「自分のためになる議論」とそうでないものの違いは何かというと、それはやはり相手とのコミュニケーションが取れたのかどうかということに尽きると思う。

人間は先験的に持っている条件、そして生まれてきた環境、経験的な影響、本人の意思や努力で培った諸能力によって「自分」を形成する。
この「自分」というのは厄介で、どのように自分を知った気になっても、そういった「自分」の何かを評価しようとした時には他者について知らねばならず、他者を知ろうとするのは尚更に厄介だということだ。

勿論、学校のテストなどといった分かり易い外部評価はあるだろうが、それで全てが分かると思っている人はいないだろう。

そして、SNSなどで起こる議論が厄介な点に、お互いが共有する明確なルールのようなものは存在せず、お互いの人格や考え方が共有出来ていないこと、そして最も厄介なことが、お互いの主観的なものは殆ど交換が不可能だということだ。

だから、知らない人間と意見の異なる内容について議論する上では、それぞれの正しさをそれぞれが一方的に述べるだけで全く噛み合わないということがよくある。

議論になるのは政治などの時事問題だが、そもそもこういったものには「これが全く正解」というものはなく、同様に「小さな正解」というべき正しさがゴロゴロと転がっているからだ。
より正解に近いだろうという蓋然性のようなものはあるだろうが、それを判定するものがおらず、多くの場合時間が経ってから始めて分かるものだろう。

お互い全く噛み合わない議論を双方が正しいと思って続けていながら、その実両者ともにほんの小さな、部分的な正解でしかなかったりする。
全面的な正解は無いかも知れないが、だからと言って極めて部分的な、小さな正解では頼りない。

だからこそ、議論を有益なものにする為にコミュニケーションをとる必要がある。それは、先に「殆ど交換することは不可能」といった主観的な内容を思い合うことに他ならないだろう。
それは、相手が何を考えているか、何を重視しているかを分かろうとし、分からなければ質問するということだ。

一方的に自分の正しさを主張するだけでは議論による実りは少ない。
僕自身は、上に書いたような態度を心掛けたいとは思っているものの、いつの時もそう出来るというわけではない。

このようなことを書こうと思ったのは、全く不快で実りのないやり取りを、つい昨日やってしまったからだ。

そして以下に紹介するこのような記事を読んだからということもある。

この記事の内容を要約すると、トランプ大統領の発言と情報機関の公式声明が矛盾しており、その理由はトランプ政権の高官がコロナウィルスの「中国武漢の研究所からの流出説」を補強するような情報を入手するように圧力を掛けたからだという。

また、この記事ではトランプ政権はブッシュ政権と同じ過ちを繰り返していることが綴られている。

コロナ禍における自身の失策を誤魔化す為か、或いはかねてからの対中国的な政策の一環としてかは分からない。
しかしこのような論立ては、まずコミュニケーションの拒否から始まっており、トランプ政権が自分の目的のために部分的な事実、「小さな正しさ」だけで(他にもっと「正しい」ことはあるにも関わらず)それが全く正しいと強弁しようとしていることの証明である。
しかし重要なのは、トランプ政権が推す正しさよりももっと確かな事実、もっと「大きな正しさ」があるということだろう。

きちんとコミュニケーションをとって、より確かな、大きな正解を導き出したいものだ。





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