オリンピックのやってこなかった夏

ここ最近、これが自我の目覚めか!じゃあ、今までの私は幼児だったのか?という感覚に陥ることが度々あった。
どういうことかというと話は単純で、元彼に振られてから、そしてその後好きな人ができてからというもの、自分の気持ち、他人の気持ち、客観的に見た自分を区別して想像する習慣がついた。
落ち着いた、安定した関係から久しぶりに「恋をする」状態に陥ると、楽しいことが増えた反面、悩むことも増えたわけで。
「恋愛は脳のバグ」この言葉が何度脳裏をよぎったことだろう。

「お互いに好き」だと信じてやまなかった。にも関わらず、いつの間にか相手の気持ちは離れていってしまっていたことをようやく受け止め始められたとき(それは別れてからずっと後のことだった)相手のほんとうの気持ちは、どう足掻こうとわからない、と気付いた。
どんなに仲が良いつもりでいても、毎日ひとつ屋根の下で暮らし、手を繋いで寝ていても、気づけなかった相手の気持ち。
当然私自身の思考に偏りがあって、反省すべき点があって、
その上で、自分以外の万物に対して「絶対」なんて存在しないのだということを思い知った。
ちなみに断りを入れておくと、だからといって相手の気持ちを考えなくてよい、とは思っていないし、特に近しい相手であれば、出来る限り相手の気持ちを知りたい、わかりたい、と思うことに変わりはない。
さらに、自分が思い悩んでいる時に共感してくれた友人には本当に感謝している。だから、「慮ること」はこれまでも、これからも大切にしていきたい。

まだ書き足りないが、明日は休日出勤なのでここまで。書き足すのか、新しいページに記すのかは気分次第。

最後に、こんな私はいま「でもだって撲滅キャンペーン」をひとりで実施している。
キッカケは友達との会話中、論理が飛躍しているにもかかわらず「だからそれは〜」と言った発言に対して指摘されたこと。「だから」が撲滅対象に入っていないじゃないか、とお叱りを受けそうではあるが、ひとまず、否定から入るクセ、自分の思考をダイレクトに言葉にする癖を改めようとして、キャンペーンを始めた。
もうすぐ夏がくる。オリンピックのやってこなかった夏だ。そして私は、また歳を重ねる。夏生まれなのに、夏が近づくと胃腸が弱くなるのは納得いかないけれど、それでも夏が好きだ。
あんなに空が綺麗な季節はないだろう。夏の海、空、お祭り。全てが私のお気に入り。

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