私の中の『ふるさと』を感じる瞬間。
私は方言がとんでもないことで有名な青森の出身だ。
青森には『津軽弁』と『南部弁』という二つの方言がある。
それぞれに住まう民は対立しがちな存在と知られており、私はというと津軽弁を操る方の民であった。
そして、私は今でこそ標準語を基本の言葉として使っているものの、それを獲得するに至るまでには自分のアイデンティティが揺らぐ葛藤があったりもした。
今から遡ること19年前。高校生活も終わりに近づいたある日、クラスの仲間たちと『これからみんな地元を離れ都会へ繰り出すわけだし標準語を話す練習をしよう』ということになった。
無論、この会話も全て訛っている。
「へば、今から訛らない練習すんべ~」
「んだね~」
早々に訛ってしまう。もうどうしようもない。
あの地の空気を吸っている間は標準語になど到底なれないのだ。
そんなコントとも思しき練習を重ねた末、晴れて大学生となり私は札幌に住み始めたわけだが、早速都会の洗礼を浴びることとなる。
どこに行っても一言二言話すと必ず言われるのが
「どこから来たの?」
「観光で来たんですか?」
という『あんた道産子じゃないでしょ』という確認の問いなのである。
うるせぇ、ばかやろう。訛ってたらいけねぇのかよ、こんちくしょう。
お前らだって、から揚げみてーなやつザンギって呼んだり、なまらって言ったり、そこそこ訛ってるじゃねーか!!
幾度となく同じことを聞かれるというのは人を不快にさせ、そして不安を抱かせるに充分なのだ。案の定、その不安は「言葉を直さないとダメなのかな…」という思考回路へと発展していった。
どうにか群衆に馴染めるよう必死にイントネーションを直し、それっぽく装う術を身につけたものの、次に待っていたのは地元での洗礼だ。
りんごちゃん、変な言葉使うようになったね。
偉そうな話し方するね。
いきがってんの?
浮いている。私は確実に浮いている。この言葉ではどこに行っても浮くのだ。
私自身も、津軽弁と北海道弁と標準語が混ざり合い、語尾をどうすれば正解なのかがわからなくなったりもした。
自分がどんな言葉を話すのが正解なのかわからなくなるなんてことが、幼児ならまだしも18歳やそこらで起きうるなんて考えもしなかった。
アイデンティティの崩壊、と書くと大げさではあるが、実際のところ少々そのような気持ちになっていたのである。
地元を離れた私を待ち受けていたのは『生まれ故郷へのコンプレックス』だった。
そんな気持ちになりながらも必死に言葉を直す努力をしたというのに、時折「訛ってるとカワイイ」「訛ってるとモテる」などという会話を耳にするたび愕然とし苛立ちを覚えた。
直さない方がよかったのか…?
私は可愛さを放棄したのか…?
訛ってたら訛ってたで色々言ってくるくせに、外野というのは時に無責任な言葉を投げつけてくるものだ。放っておいてほしい。
しかし、時も経ち、標準語にも慣れてくると肩の力が抜け自然と地元に帰ると言葉が切り替わるようになっていった。
普段は使わない言葉も、スッと思い出して使える。
なんと言うことだ、私は晴れてバイリンガルになったのだ。
もう、アイデンティティもぐらつかない。
今思うと、地元では言われたことのなかった『訛っているね』という言葉を幾度となくかけられ続けることでコンプレックスが芽生え、その訛りを方言をどうすべきなのか持て余していたのだと思う。
端的に言うと、恥ずかしさを感じたのだ。
今となっては周りの声など気にせずそのままでも良かったと思うものの、当時まだ経験の浅い学生だった私にはそれを跳ね返すだけの心のゆとりはなかった。
しかし訛りのない言葉を手に入れたことで会話がスムーズになったのは確かだと思う。今はそれ自体全く苦ではないし、それが当たり前になっている。努力は無駄にはなっていない。
だからといってそれだけが正解というわけでもなく、そうしなきゃいけないというわけでもない。
方言も標準語も、どちらも素敵だ。
恥ずかしがる必要なんてなかった。
帰省をし、新幹線や飛行機から降り立った瞬間、自ずと津軽弁モードに切り替わる。
私はこの標準語から方言へ切り替わる瞬間がなんとも好きだ。
自分の根底にある『ふるさと』を感じる瞬間でもあるから。
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