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ほめられたときの居心地

人との会話で、相手の人にほめられたり、「すごいね!」と言われたりすると、即座に「いえいえ、そんな」と否定したくなる自分が顔を出す。「はい」って受け止めることになんかムズムズと居心地の悪さを感じる。

でもそれはあんまりよくないことだと、つい最近知識レベルでは知ったので、ちゃんと実生活に取り入れようと頑張っている。そしてほめられたら「いえいえ」ってそこから芋づる式に出てきそうになる自分を落とし込める口癖をぐっとぐっと我慢して、「ありがとうございます」と頑張って言っている(笑)

本当は「私なんてたいしたことないです。めちゃくちゃ下手くそです。全然です・・・。」とエンドレスに否定したくなる自分の気持ちをぐっと抑えて。

このことを昨日のセッションでひろこさんに言ってみたら良いことを教えてくれたので、すぐにやってみた。

ひろこさんのtweetプロフィール貼らせていただきます。

ひろこさんが伝えてくれたことが、どんなことかというと、マイナスの思いを紙に横書きに書き出して、それを縦に破るとプラスになる、というものだった。なるほど~と思った。

よくポジティブシンキングとかって聞くことがあって、自分も頑張ってやってみようと思ったけど、なんか嘘くさくて、途中で疲弊したことがあった。なんか信じ切れなくて、本音じゃなくて、表面の上滑りになっていった。心の中に一杯ヘドロがあるのに、それをなかったことのようにして、表面だけ、になっていそうなのが、私にはしっくりこなかった。

昨日の時間、本当に言いたかった自分を否定する言葉を紙に書いてみることにした。

自分には出来ない。私なんてたいした人間じゃない。私には何の能力もない。出来るかどうかなんて、自信なんて全くない。人の前に立つのが怖い。人の前で話すのが怖い。みんなが私を攻撃してくるように感じる。こんな風に思っている私が出来ますなんて・・・。全ての人が敵に見える。誰も私の本当の友達なんていない。

「誰も私の本当の友達なんていない。」という言葉を書いた瞬間に、脳裏に浮かんだのは三女の顔だった。SNS発信を続けるにあたって、いつも的確に私に助言をしてくれて、やさしくあたたかく支えてくれた彼女の顔が真っ先に浮かんだ。そしてその次に夫の顔が浮かんだ。折れそうになるボロボロの私もちゃんと受け止めてくれる人だ。ちょっと見当違いのアドバイスで、「なんか違うんだけど~」、と思うことも多々あるが、一生懸命に私を理解しようとしてくれて、私を支えようとしてくれていることだけはハッキリと分かる。そしたらどんどんどんどん他の友人の顔も浮かんできた。

誰も本当の友達なんていないって書いてみたら、本当の友達の顔が浮かんできた。本当の友達って思える人、一杯一杯いる。究極的な本当の友達って言うのは無理だろうけど(それは三女であっても夫であっても究極的な本当の友人には絶対になり得ないと思っている)、そんな完璧な次元を求めなくていい。お互いを応援し合い、一緒に頑張ろうねって、思い合える人の顔は一杯浮かぶ。多くを望まなくていい。それでいい。今浮かんだ人たちの笑顔、伝わってくる思い、それだけが私のとっての真実。

マイナスだからって、封じ込めなくていい。マイナスと向き合おうとする、ちょっとの自分の勇気が、新しい気づきを与えてくれるということを、今知った。理論とか、教義とか、正義とかじゃない。本当に私の心が心からそう思って喜んでいる。浮かんでくる一つ一つの顔と、そこから伝わってくる思いに向かって、私は本当に心から思う。ありがとう。ありがとう。私と出会ってくれてありがとう。あなたたちに出会えたことが、わたしをまた新しい気づきへと向かわせてくれます。

思いっきり自分にマイナス言葉を浴びせかけてきた自分を認めたら、なんかスッキリする。マイナスじゃダメだって、見て見ないことにするから、どんどん膨れ上がるって思った。

少しずつ、少しずつ、ほめられることに馴れていこう。心から「そう言って頂いてありがとうございます。あなたにそんな風に思って頂けるなんてとってもとっても嬉しいです」って躊躇なく、即座に言えることを目標に(笑)「いえいえ」私をどんどん紙に書き出していきます。

ひろこさ~~ん!ありがとうございます!まだまだネタ出てきそう(笑)

焦らず自然体で、また発見したら備忘録残しますね!


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