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片付けをする前に~捨てて後悔したもの

来年子どもたち二人同時に受験という現実に先駆けて、本格的に家を片付けようと決意した。

だけど、何か胸の奥が苦しい。

何か腰の重い自分がでんと居座っているのを感じた。

捨てて後悔したものをココにちゃんとさらけ出して、皆さんのご協力のもと、次へのステップにしたいと投稿を思い付いた。

下の写真は私が断腸の思いで心を鬼にしてゴミとした一番上の子が描いてくれた絵。私の顔。年中から幼稚園に通い、初めての参観日でお母さんの顔を描きましょう、という授業だった。

地域の子たちはほぼ年少から入園する幼稚園で、年中から入る我が子がちゃんとそこになじめているのか、親としてとっても心配だった。

私たち家族は転勤の可能性もあったので、幼稚園に入園するのも年少は見送ろうと言うこともあったし、早生まれの自分の子どもと納得するまで、一緒の時間を過ごしたいと言うこともあった。

みんたんありがとう

ちゃんとなじめているか、楽しくみんなと過ごせているか。幼稚園で元気に過ごしているか。

ドキドキしながらの親として初めての参観日だった。

子どもの横に座って、お母さんの顔をみんな描きましょう、という時間だった。

先生が「お母さんの顔触ってみて、どんな感じ?」とか「どんなおめめしてるかな?」と言った声かけをしていた。

長女はニコニコしながら私のほっぺたを触って、「柔らかくて気持ちいい。ママ、笑って。笑ってるママが好き」とか、語りかけてくれた。

ノリの悪い私は戸惑いながらも親としてのくすぐったい、照れくさい喜びを感じていた。

早生まれで、それほどまだ器用じゃない娘がニコニコしながら、私の顔を見て一生懸命描いてくれた絵。スーパーの発砲スチロールに貼り付けて、飾りを加工した作品。

いろんな片付け本には子どもの作品は写真を撮って現物は捨てましょう、とよく書かれている。私もその通り、この作品を写真に収め現物は処分した。

だけど、苦しい思いが一杯募ってくる。

今回片付けしようと決意して、PCの写真もちゃんと整理しようと開いてみた。幼い子どもたちの写真に嗚咽が止まらない。過ぎゆく時間、どれほど愛しい時間だったかが、心をキュウキュウ締め付ける。

だけど、やはり、作品を全て残していては家の中はパンクする。捨てて苦しみを味わったけど、その現物が今あって、それをどう扱うのか考えたら、やはり、処分しなければと思う状態になっていたと思う。

次から次へと作品を生み出す子どもたちに、それを褒めるよりも、捨てることが苦しくて苦しくてたまらないから、「もう工作やめて」「捨てるのはお母さんやねんから」とやり場のない、子どもたちにとっては理不尽な怒りを子どもたちに浴びせかけた。「工作は形に残って処分に困るけど、音楽は形が残らないから、だから工作よりもピアノの練習をして」、と変な理屈をこどもに押しつけたこともあった。

作品展で賞をもらったり、本当にありがたいけど、その作品の保管、置き場所にいろいろ悩んだ。

これから本格的に片付けをしていく中で何度も苦しい自分と向き合うんだろうなと予測する。

幼く、無邪気で、やさしく、純粋に私を愛してくれた子どもたちを見て、本当に嗚咽が止まらない。

形は変化し、いずれはその姿を消していく。

執着していても、いずれ消えていく。

私が捨てさえしなければソコにずっとあるという安心感、捨ててしまったら二度と手にすることが出来ないという恐怖が押し入れをパンパンにしてきた。片付けるという決断を下さなければいけない自分。その自分を今こそ、しっかりと受け止めてあげる時なんだと感じている。

子どもたちが気持ちよく受験に向けてそれぞれの準備が出来るように、やはり、私が内も外もニコニコでいられるように、重い腰を上げるという、宣言をこの場を借りてさせて頂きました。

まだまだ腰は重いですが、その一片でもこうしてシェアできる、この場にただただありがとうございます。

そして、一つ一つのものにたいして「邪魔だ、消え去れ、私は家をきれいにしたいんだ~」と投げ捨てるのではなく、「今まで本当にありがとう」と伝えながら、家族の未来を作り出す場所を整えていきます。


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