見出し画像

卒親のジレンマ

なんでも体験してみないとわからないし、その人それぞれが必要があって必要な体験をすることになってる。

振り返ってそう思った昨日から今朝にかけての自分の気持ちをアウトプットしておきたい。

勤務中に娘が通う中学校から電話があった。
「今日の部活にまだ○○ちゃん来てないんですけど。」
慣れない仕事を始めたばかりの私、ただでさえあたふたしているとことに、さらに動揺を促す情報。
家に何度電話しても出ない。
何度も学校から電話がかかってくる。

私が勤務しているのは学校。「さあ、これから楽しく有意義な子どもたちとの時間を。」と自分なりに張り切っているのに、自分の子供がそんな状態で、外に目を向けている場合じゃないじゃないかと自分を責めてしまう。旦那さんにも連絡を取る。
結局、11時まで寝ていたとのこと。あれだけ夜更かしせずに早く寝ろと言っているのに、もう全くいうことを聞かない。子育ての何をどう間違えたのか、時間を巻き戻したら、どうすべきだったのか。いや、巻き戻せないから、今からどうすればいいのか。

愛情不足なら、スキンシップが大切だと、娘が寝るまで添い寝しようとしたら嫌がって、いかに私が出ていくかを画策しようとしている。
「歯を磨いて布団に戻ってきたらお母さんココから出ていくから。」
そう言ったら、嬉しそうに、「分かった、じゃあ歯磨いてくるから、戻ってきたら早くココから出ていってよ。」と足取り軽く出ていく。

あれだけ「ママじゃないとダメ。ママ行かないで。」と私を追い求めていたのに。こうして立場はこんなにも逆転していくのか。

夜になって旦那さんと意見交換をした。
「男の人って、自分の子供が学校行ってない状態だからって、働いている自分に対して自責の念持たへんやんな。」
専業主婦から徐々に徐々に働こうとシフトチェンジしてきた私は、今も揺れている。やっぱり、自分の子供をちゃんと世に送り出す自立に専念しないといけないのかと。(専業主婦じゃなくても世のお母さんはいろんな思いを抱えているかもしれない)
こんな風に外で働く私は間違っているのか、しかも学校という職場で。しかも、自分の子供たちと同年代くらいの生徒たちと関わっている場合じゃないんじゃないかと。
はるか昔、第1子妊娠中に出会った妊婦さんが「出産したら保育士の仕事に戻る。けど周囲の人からそれでいいの?と言われている」と言っていたことをふと思い出した。
子どもがある程度大きくなったら、そんなジレンマから解放されると思っていたけど、親っていうのはいつまでも親なんだなと思った。親というより、母親と言った方がしっくりくるかもしれない。

何が正解で、何が不正解かわからない中、これが自分なりの最適解だと、手探りで、その時その時最大限の押しつけかもしれない愛情を降り注ぎ、もうこれだけやったから(やったつもりかもしれないけれど)、さあ、これから、自分の自立だ、自分の模索だと決めた矢先に、こうして私に向けられる問いかけ。

小学校になったら手が離れる、中学校になったら手が離れる、高校になったら、大学行ったら、社会人になったら…。
結論、親はいつまで経っても親。母親はいつまで経っても母親。

今回の一連からの気づきは、自分自身の母親の愛情。
その時の私には理解できなかった母の思い。
こうして、母親という役割を過ごすことで、母の一つ一つの思いをなぞっている気がする。
私が反抗期だった時、どれだけ母の中に葛藤があったんだろうと。

私が人間として成長するために次々と現れる試練というかプレゼントというか、なんというか。

母を思ったとき、母の母、祖母にも思いが及んだ。
つながっている。ずっとずっとつながっている。

きっとこれからも、自分の子供を見て、自分の心が揺れて、母を思い出して、祖母を思い出して、さらに、ずっとずっとはるか昔に思いをはせるのかなとふと思った。

そして娘は、今日もギリギリに走って学校へ行った。
(昨日、私が余計なやり取りの時間を取ってしまったせいもある。娘はさみしそうにする私に罪悪感を感じたのか、謝りに来た。親は親として、子どもにそんな感情を抱かせちゃいけないのかもしれないけれど、やっぱり一人の人間として、そして特に家族だから、我慢できずに思いのままを伝えてしまう。親として失格だけど、スッキリ正直にお互いわだかまりなく生きていきたい。)

結局、結局、こうすれば正解・不正解、じゃなくて、自分と向き合いながら、いろんな人と出会いながら、最適解を導きながら、与えられた時間を大事にしていくことかな。

**********************************
サムネ画像を選ぼうと、「母親」や「お母さん」を検索ワードに入れて、いくつかの作品を目にして、今、じんわりと胸がいっぱいになり、涙が込み上げてくる。どんなに成長しても、かわいかった時の記憶はぬぐえない。だけど、それにしがみついていても行けない。子どもは変わっていく。成長していく。離れていく。それが自然。そうして、依存関係から、自立した人間同士の関係へと移行していく。私は頭で、それを何とかしなければいけないと思って、本当はかわいくて抱きしめ続けていたい子どもを「さっさとお互いに自立しないといけないんだ」と突き放そうとし、自分の心を無理して封じ込めようとしていた。
可愛いね。かわいかったね。大事だったね。必死だったね。頑張ったね。成長したね。ホッとしたね。もう私がいなくても、生きていけるくらいに大きくなってくれたね。そこまで出来たね。よく頑張ったよ私。だからって、無理やり突き放さなくていいよ。まだまだかわいいよ。大事だよ。いつまでも、いつまでも。きっとずっとずっと。
だって、あんなに必死な思いをして生んだんだから。

文章を書き終えて、サムネ画像を選ぶときも、私のアウトプットは止まらない。自分に優しくなりたい。その一手段として、こんな風に、文章化できることを、心からありがたく思っています。
画像選択に際して、出会わせていただいた数々の作品、ありがとうございます。そして今回使用させていただき、ありがとうございます。
**********************************


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?