お花ちゃんとお話ししてごらん
結婚する前、同僚と将来子どもが出来たとき、子どもと一緒に花咲いているのを見つけたら、子どもになんて話しかける?って言う話題になった。
「きれいなお花だね」って言うとか、「お花咲いているよ」って言うとか、そんな会話の中、私はタイトルに書いているとおりのことを心の中で思っていた。
「ねえ、ねえ、○○さんはなんて話しかけるの?」
「ちょっと恥ずかしいけど、思い付いた台詞がある。お花ちゃんとお話ししてごらん、て」
「いやあん、かわいい。きっと子ども喜ぶね。○○さんの子ども素直に育ちそう(笑)」
インスタグラムに投降するようになって歩いていると、自然と花が目に入ってくるようになった。通り過ぎても、気になって戻り、写真を撮りたい衝動に駆られる。だから、寄り道だらけになってしまう(笑)まるで森の中の赤ずきんちゃんのように。(って自分をかわいく言い過ぎ(笑))
今まで花には全く興味がなかった。むしろ嫌いだった。子どもが母の日と言ってカーネーションを旦那さんと一緒に持って帰ってくれたことがあったが、私はそれを、ありがとうも言わず、「もう二度と花を私に買ってこないで。私は花が嫌いだから。」と突き返した。
なぜかというと、枯れたか枯れていないかの花を捨てるのが悲しいから。
自分でそれを捨てることが苦しいから。
インスタグラムで写真を撮ることはその場限りで、投稿した花はずっとそこにそのままある。
私は本当は花が大好きだったんだと、思う。
歩いていて、ぱっと花が目に入ると、お花さんたちがまさに私に話しかけているように感じる。
「ほら、私ここにいるよ」
「私を撮って」
「私に気がついて」
こんな日常から、独身の日の女子トークを思い出した。
Instagramに投稿するようになって紫陽花のいろんな色を今年初めて知った。
SNSの発信により、いろんな自分が見えてくる。いろんな本当は好きだったものが見えてくる。発信することでアンテナが勝手に高くなっていく。オタク気質の私はそうしてさらにのめり込んでしまう(笑)
今、お花ちゃんたちとお話ししているのは、子どもではなく私になってしまった(笑)
子どもたちが小さい頃、よし、この台詞を言うぞ!と思って「お花ちゃんたちとお話ししてごらん」って子どもたちに言えたときはやっぱり嬉しかった。子どもたちは小さくて素直だったから「うん、おはなたん!」と言ってくれていた。有言実行出来たことにはただただ感謝である。
今度は孫に言えるときが来たら嬉しいなあと、未来のために、と言うよりも、今の自分のために、いや、何のためでもなく、ただ本能の赴くままに(笑)投稿をせっせと続けている。
気づけばあちこちに花が溢れている、そして、その可憐さに、毎日感動できることが嬉しいと思う今日この頃です。
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