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実験:死を迎える瞬間の自分との会話

立て続けに動物の出産動画に出会い、自分と会話したくなった。

人生の始まりと終わり。

自分の理解できる範囲では、人生の始まりは母親から生んでもらった瞬間、そして終わりは、この肉体での呼吸が止まるとき。

今朝、素敵な言葉を見つけた。
「未来の自分からありがとうって言ってもらえる自分でありたい」
究極の未来の自分って、死を迎える瞬間の自分かな、とふと思った。
その自分に「ありがとう」って言ってもらえる選択を今しているのかな。

「あなたが選んでくれた一つ一つが、今私に、この充足感を与えてくれています。百点満点て、何をもって百点満点というのか、欲を言えばきりがないけれど、あなたが、今この瞬間の私のために、ずっとずっと積み重ね続けてくれた選択に、私はありがとうを伝えます。
私がこうしたい、と望んだメッセージを、あなたは、可能な限り、受け止めてくれて、そして、あなたの大切なパートナーとその思いを共有して、心からの協力を得て、あなたはあなたの体を使って実行に移そうと努力し続けてくれました。あなたの情熱を、あなたの妥協したくないという強い意志を、私は今しっかり感じて、ここにいます。
あなたがその肉体をあなたと私のお母さんから授けてもらって、その意味を忘れて、自暴自棄になった時期は長かったけれども、その間違いを何とか正そうと、あなたなりに、真摯に人生の選択しようとした、あなたの真面目さを、今、しっかりと感謝で受け止めています。あなたがどうしても、こうありたいと思った人生、それは、ずっと私が送り続けたメッセージでもありました。
順風満帆にはいかない、たくさんの摩擦が生じたけれども、それでも、あなたの心の中にあったのは、まっすぐな気持ちだけだったことを、私は知っています。
私の声を受け止めようと、耳を研ぎ澄ませてくれてありがとう。たくさんの溢れる音の中から、私の声を聞き届けてくれてありがとう。あなたが真摯にそれを心がけてくれたことで、私は、今、この瞬間を、満たされた気持ちで迎えることが出来ます。」

赤毛のアンとか、アンネの日記のアンネとか、そのほか、自分以外の誰かと語り合う、という設定を、私の今までの人生の中で見かけたけれど、そうすることで、より深い自分の気持ちに出会えると、今、この実験を通して思った。

自分が好き、自分が嫌い。自分の本音と建て前。自分は本当はどうしたいのか。どんなに周りに人がいても、究極的に最後の最後まで(肉体のある間に関して)付き合うのは自分以外の誰でもない。
自分と一番の親友になる、とか、いろんな言葉があるけれど、どこまでそれを実感に落とし込めるのか。

今まで出会ってきた数々の、なるほど~と思ういろんな言葉、それをこれからの残りの人生は、どれだけ納得して自分と一致できるのかにつなげていきたい。

そのための実験場として、このnoteを活用していきたい。

【今までと今現在の自分の経歴】
どちらかというと内向的だけど、人と話すことは好き。だけど、好きすぎて裏切られたと思ってしまうことを繰り返し、少しずつ、人との距離の取り方を学ぶ。また、合う人合わない人がいるのだと、しっかりと割り切れるようになったこの頃で、随分心が楽になり、きっぱりと線を引くことを、ビクビクしながらも実践中。
先の先まで考えすぎての行動が、周りの人に理解してもらえず、誤解を生み、それに対して弁明できずに、一人でいろんなことを心に抱え込んできた思い出も多数。顔で笑って心の中で号泣していたこと数えられないほど。
だけど、自分をあきらめず、なんとか今世をハッピーエンドで終われるようにと、日々、自分や、自分の周りの人たちから学び中。
少しずつ、「私、大丈夫だよ。」と自分に本音として言える兆しが見えて、毎日を頑張ろうと、それでも一生懸命格闘中。
無理やりポジティブを実践しようとして、発狂して、を繰り返してきたけれど、今、そのバランスが見えそう、と安堵。
無理しなくていいよ。本音でいいよ。私が私を受け止めてあげるからね。私が私に一番メッセージを送りたいから、SNS投稿も継続中。

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