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AIが奪い取る”生きる意味”

「Google画像検索」がさらに進化した。「レンズ機能」である。
画像からAIで要素を検出し、類似画像を提案してくれる。

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タグ付けが未完了の画像も、ただウェブサイトに掲載されているだけの画像もすべてごっそり引っこ抜いて分析をし、リスト化し分析をかける。

「Our mission is to organize the world’s information and make it universally accessible and useful.」
[Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにすることです。]

世界情報を整理する」そんな未来にまた一歩、強力に近づいた。

全マーケットが価格ドットコム化した世界線

GoogleさんはCMをながす。
お出掛けをして、素敵な物を見つける。Googleレンズで商品をスキャン。その場でオンライン購入する。

画像2

彼らがいるのは、全マーケットが価格ドットコム化した世界線。最安値以外は”劣”となる。その極度に最適化された未来でぼくたちは生きる意味を感じながら心豊かに過ごすことはできるだろうか。

つながりとか生きる意味とかを求めるぼくたち人間が、“いいな、これ”と心躍ってモノを購入する。

そこからさまざまなな購買コスト、関わり、ざらつきを排除。関数的に最適化して供給するシステムと技術は、物を買う意味を与えてくれるだろうか。

“意味“がなくなる世界線

つまりそれは、生きる糧を手渡すときに、生きる意味を捨て置いてしまうことと同義なのではないだろうか。世界から好き、とか、これがいいよね、といった感情が、意味の手渡しが起こる領域がどんどん矮小化されていくように感じる今日でした。

どう対抗するか

意味を奪い取るなら、紡ぎ出すしかない。物語れ、とは自分の世界を言葉に変換し、意味を紡ぎ、流布させ、誰かと共有すること。

それが歴史を学ぶことであり、本を読む意味であり、自分が生きる意味につながるっぽい。という事が最近ぼんやりとつかめてきた、気がしています


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