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娘の命④ー慣れないアメリカの病院での生活ー

入院生活延長の日々が始まった。

三日間は夜ごはんに家に戻り、 ごはん食べて息子をお風呂に入れて寝かしつけたら また病院に戻るってしてたけど、 四日目からは夜は家に帰ることに。

本当は夜中も授乳したい…

でも病院側に、

「上の子との時間を大切にして欲しいから、昼だけ来て夜は帰りなさい。」

と言われたのでそうすることに。

そういう配慮、好きだな。

朝9時ごろ家を出て、夕方の授乳が終わったら18時か19時ごろ家に戻る。

朝も夕方もラッシュの時間で、片道30分が1時間かかる日もあった。 運転苦手なわたしは、車も多くて帰りは暗くて怖かった。。

正直、土日もぶっ通しで2週間この生活を繰り返すのは、産後の身体にかなり堪えた。

でも娘のため。

このときはそんなことも考えず毎日必死だったんだ。

(これがあとから数ヶ月も苦しむことも知らずに…)


個の国、アメリカでは、看護師さんたちで個のやり方。
みんな言うことが違う。。

搾乳して持って来いと言われ持っていくと、

「4時間以内のしかダメよ」

と言われ、泣く泣く排水溝にサヨナラしたり…

でも翌日行くと、

「なんで持ってきてないのよ!冷蔵なら三日よ!なにしてるの!!」

と、本気で怒られたり。。。

他にも、

娘はチューブだらけなのでオムツを替えをやってくれる人。

「じゃ、オムツ替えといてね」ってどっかに行く人。

しょっちゅう気にかけてくれ、「何かすることある?おっぱいちゃんと飲んでる?」と声をかけてくれる人。

こっちから声をかけないとずーっとに放置の人。

「おっぱいあげるときは私が出してあげるから、呼んでね。飲んだらまたベットにわたしが戻すわね。」 とチューブや機械を慎重に纏めながら手伝ってくれる人。

「じゃあ起きたらおっぱい飲ませておいてね。」
と、去っていく人。

授乳終わってランチはできるだけ1時間くらいで病室に戻るようにしていた。それでも娘が起きて泣いたときにすぐに電話をくれ、わたしが帰って来るまであやして待っててくれる人。

電話をくれず、わたしが戻ったら「さっき泣いたからミルクあげたわよ。もう三時間くらい起きないと思うわ。」って人。。

わたし何のために病院来とんねんー。。
病院内におるんやから起きたって教えてよー。。
泣く泣く搾乳。。。


朝、電話をくれた看護師さん、

「泣いてるけど、いつ病院着くの?ミルクあげるわよ」

わぁ!朝に電話くれたの初めて!親切!

「待ってて!今向かってる!あと20分くらい!」

「でも彼女ハングリーよ。もうミルクあげるよ。」

と、すごい面倒くさそうな声。。 

今あげたらまた3時間後やん。。
週末なのに、朝一家を出るとき寂しがる息子とバイバイして向かってるのに。。
待ってて!!って待っててもらったけど、着いたら泣いてる娘を抱っこしてて、その表情はめっちゃ嫌そうだった。。


まだある。
 
「あなたはママだからガウンは着なくていいように伝えておくから。」 と初日に言われていた。

ガウンとは、青いビニールの服。
 
でも数日後は別の看護師さんに「なんであなたはガウン着てないの?誰が着なくていいって言ったのよ。」と怒られ、 その日からガウンを着ることになったり。。


なんなんだ。。。。。


毎日オイ…って思いながら過ごしていた。


そんな中、救いだったのは娘が元気だったこと!

わたしが来ると口を開けて手足をジタバタさせて嬉しそうな表情をしてくれた。

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お母さん頑張れるわ。。。。

そして義母が毎日毎日持たせてくれたお弁当も、 本当に美味しくて、すごく支えになった。

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義母のお弁当を2週間も食べるなんて、もう一生ないかと思うと涙も出てきた。


さて、そんな風に慣れない英語・慣れない病院生活、家との往復生活は2週間無事に過ぎていき、明日はいよいよ退院の日。
  
もう延びたくないよ。。

お義母さんは三日後に帰国予定…

無事に帰れますように…

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡