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母と別れて五年…

今日は母の命日。
あの日から一年。
母を思い出さない日はない。

今でも鮮明に覚えている。
母が倒れたときのこと、
震えた手でかけた119番、
救急車のサイレンの音、
救急隊が懸命に繰り返す心臓マッサージの音、
病院の待合室で言葉も出ない父と私と無邪気に動き回るリン、
駆け付ける兄と姉、
一本線の「0」というモニター、
お医者さんの厳しい表情と告げられた悲しい言葉…

この一年。

兄は職場が変わり激務に追われた。
姉は二人目が生まれた。
わたしもアメリカへ移住した。

母のことを考えないように
母がわたしたちをわざと忙しくさせたんじゃないかって思う。

あとを追うんじゃないかって心配していた父も生きようとしている。

お母さん、みんな一生懸命生きてるよ。

あの日、あのとき支え合った父・兄・姉、
支えてくれた旦那さんとリン、
一緒に泣いてたくさん励ましてくれた友人たち。

改めてみんなに感謝の気持ちでいっぱいです。

たった30年しか母と一緒にいられなかった。
でも30年も一緒に生きられた。

母は本当にみんなを照らす太陽のような人でした。
みんなを笑顔にしてくれた。

昨日何年振りかにフッと口ずさんだKiroroの『未来へ』。

「ほら足元を見てごらん。あれがあなたの歩む道。ほら前を見てごらん。あれがあなたの未来。」

まるで母からのメッセージのようで、涙が溢れた。

たくさんの人たちに支えられながらまた進みます。しっかり前を向いて。

「未来へ」

お母さん。
今日も空が青いよ。
母のような温かい陽射しを浴びながらリンと公園で遊んでいます。

娘は母のもとに生まれてとても幸せです。
生んでくれてありがとう。

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これは、母が亡くなって一年後にFacebookに書いたものである。

そして、今日。

あれから5年が経った。

いろんな出来事はもっともっと前のような 気がするんだけど、母の死だけはついこの間のような感覚でいる。

やっぱりこの日になると、
心がぎゅっと締め付けられ、
おでこのあたりがグッと熱くなり、
目には自然と涙が溢れ、
小刻みに手や身体が震える。

これを書いていている今、この瞬間も。


もう、一生。
これは、一生なんだろうな。

毎年、この日に、なぜか旦那はいない。

一番ハグして欲しい日に。

でもそれも一人でどっぷり母のことを想い、浸る時間なのかもしれない。


今朝、子供たちが起きてくる前に
ベランダで空を眺めていた。

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そしたら、家の中から二人の悲鳴が聞こえてきた。

「おかぁぁぁさぁぁぁぁーーーーーん!!」

起きてきた二人が半ベソで私を探し、
パニックになっていた。


『母という存在の大きさ』


朝起きて、姿が見えないだけで不安でいっぱいになるんだよね。

何歳になっても、母が朝いないと自然と探し、
「お母さんは?」って家族に聞いたよね。


今、行き交う人を見ながら思うのは、
みんな、産んでくれた人はいる。

その産んでくれた人をおかあさんと
呼べない状況の人もいるかもしれない。

一緒に暮らせていないかもしれない、
代理で産んでもらったり、養子だったり、
誰に産んでもらったのかわからなかったり、 
苦しい思いをしている人もいるかもしれない、

でも、自分という命を「産んでくれた人」は必ずいる。

あぁ… 話が壮大でやっぱり上手く表現できないな。。


でも、今日はわたしにとって、
そんなことを考える一日なのだ。 



会いたいな…

でもわたしの前に生身の母が現れることは
もう二度とないんだな…

触れることもできないんだな…

声を聞くこともできないんだな…

メールも返ってこないんだな…



そんなやりきれない想いを、

やさしく、
あたたかく、
やわらかく、
そして力強く、

ギュッと抱きしめながら…

こうして、毎年文章に起こすことで
わたしは母の死と向き合い、
母の命と共に生きていく。

命を繋いでくれた母に、

ただただ…

感謝。

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡