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カオナシの正体は何なのか【千と千尋の神隠し考察】

千と千尋の神隠しに登場する、不気味さが印象的で一度見たら忘れられないキャラクター、カオナシ。今回はこのカオナシが何を象徴しているのか、私なりの考察をお届けします。

私は最近マルクス経済学を学び始め、その中でふとカオナシが現代の資本主義を体現しているのではないかという仮説に行き着きました。その理由を4つに分けて説明します。

欲望で肥大化する

カオナシが最初に食べたのは風呂場を見回っていたカエルでした。彼はカエルに砂金をちらつかせ、その欲望を引き出すと、瞬く間にカエルを飲み込みます。そして、カエルの足を得たことで、少しずつ巨大化していきます。

このシーンをもう少し分解します。最初は怪訝な表情を浮かべていたカエル→カオナシに砂金を見せられる→欲しがってカオナシに近付いていく→飲み込まれる。

この場面は、資本主義が「欲望」によって成り立つことを示している。そして、そこに近付きすぎた人々は飲み込まれてしまうことを表現しているのではないでしょうか。資本家は人々の欲望を利用して資本を蓄積し、さらなる成長を遂げます。カオナシもまた、人々の欲望を吸収して成長するのです。

何でも生み出す万能性

カオナシがカエルや人を食べた後、広間で千尋に「何が欲しいんだい?」と問いかけた場面を覚えていますか?彼が出せるのは砂金だけではなく、欲望に応じてさまざまなものを生み出せるのです。

これは、資本がさまざまな形態を取ることを暗示しているかもしれません。お金、商品、サービス…資本主義が人々の欲望に合わせてその姿を変え、際限なく欲望を引き出し続ける様子が描かれているように思えます。

生き物ではない存在

この映画の登場キャラクターは皆、感情を持つ生き物ですが、カオナシだけは例外です。彼は生気のないお面と、透けた足を持ち、どこか異質な存在です。これは、資本が実体のない無機質な存在であり、人々の欲望に依存して成り立つものだということを象徴しているのかもしれません。資本は、何もないところから「社会的な何か」として膨れ上がり、人々を支配するのです。

簡単に崩れる脆さ

カオナシが巨大化したにもかかわらず、千尋が渡した泥団子一つで元の姿に戻ってしまうシーンは印象的です。これはバブル経済を彷彿とさせます。大きく膨れ上がった資本が、ちょっとしたきっかけで崩壊する…そんな資本主義の脆さを示唆しているのではないでしょうか。

このシーンでは、カオナシが作り出した砂金などの全てが消え去り、何も残らないことにも注目すべきです。膨れ上がった資本とは、結局実体のない「ただの紙」に過ぎなかったのです。

番外編:神様の世界にカオナシがいるのはなぜか

それでは、カオナシが資本主義の象徴と仮定して、なぜ油屋にカオナシがいたのでしょう?まず、油屋は八百万の神様が疲れを癒しにくる温泉です。よって、川の神様や神社にいる神様、ヒヨコの神様など、人間社会のどこでも存在する神様が登場します。これは、「森羅万象あらゆるものに神が宿る」という神道に由来していると考えられます。

そして、カオナシもそういった敬意の対象、不動の存在になりたかったのではないでしょうか。カオナシはなんでも作り出せます。よって、人々はカオナシの周りに寄ってきます。しかし、人々はカオナシのことを信じているわけでも、神様だとも思っていません。ただ欲望のままに引き寄せられているだけに過ぎないのです。

欲しがられるけれど、なんだか虚しい。

資本主義を擬人化しカオナシに演じさせるとするのであれば、きっとそう言うでしょう。どこか悲しそうな表情、自信のなさそうな声からしても納得できます。そしてカオナシは神様の仲間入りをしようと油屋に来ますが、古き良き生活に根付いた神様にとって、カオナシが引き起こすのはその逆です。つまり人々は欲望に溺れ、欲しがり、最終的には飲み込まれて身動きが取れなくなってしまうのです。

さいごに

カオナシに関する議論、ぜひ皆さんの意見もお聞かせください!

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