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死について

数年前、お葬式があった。
お寺で、葬儀後の食事の際に、お坊さんがお話をしてくれた。
脂ののった、40代くらいのお坊さんだ。

従兄弟のお姉ちゃんが質問した。
死んだ人はどこにいくのか、だったと思う。
死んだのはその従兄弟の父親だ。火葬の際、炉の扉の前で、父親から離れようとしなかった。

お坊さんは、死んだ後の物語を話してくれた。
目がきらきらしていた。


ああ、取り返しのつかないこと、大切な人の死をまだ体験していない人ではないか、と思った。
すばらしい本を朗読しているような雰囲気だった。

あとで聞いてみると、両親は健在、遠めの親戚がなくなったことがある、といった死の経験のお坊さんだった。


死から遠いお坊さんだったけど、
だからこそ、話せることがあると思う。
だからこそ、本当に悼んでいる人、そして、傷んでいる人に対しても、そのような物語を伝えられると思う。
それぞれが、故人に想いを馳せているような、あたたかい雰囲気の食事会であった。


こんなハッピーなお坊さんいるんだな。
だれもかれもが生きていて、寄進で新しいお堂がたち、来る人が絶えないお坊さん。


苦労を買う必要はない、と考える私には、いまの世にふさわしいお坊さんだとおもった。
存在がハッピーで、その様子にのっかって、良かったこと、感謝していることがするする出てきた。
とても大切な思い出となった。

死は、とりかえしのつかないことだ。
そして、どうしようもない。

いまだに、受け止めきれない死がある。
言葉通りの意味で、あれ、死んだのかな。お葬式で、目が閉じた顔をみたよね。
でも、本当にいなくなったのかな。
いなくなることなんてあるのかな。
何年たっても、そう思っている。


それは、死者をひきとめる行為ではないと思う。
とても個人的なことだから。

起こったことをまるごとわたしに内包していて、
それが私の中でどうなるかは、わからない。


#死の体験
#異人たちを見て思い出したこと
#クレアフォイが好き