ライン頭信用なし。自力なし。差しの決まり手なし。番手登録の6番車

1日何をすることもなく、ただノートを書き始めてしまった。
ノート側もこんな不足の事態を予想してないだろう。
さっき、窓を開けてタバコを吸った。最近は、寒さを恐れてからか、窓から顔を出して吸うのを控えてたが、なんか外の空気を鼻から目一杯感じてみたい気分だった。
窓を開けると、想像してた寒さは微塵もなく、春特有の生ぬるい匂いがした。

おれは、春が嫌いだ。春になるとメディアが何かとつけて、「心を入れかえろ」と言ってくる気がする。新学期やら新生活やらで
春になっても何も目新しいことが起きない俺にとっては、吐き気を催すことにしかならない。

こうして実家に暮らし、朝昼晩と平然と飯が出てきて、家賃がかからない生活をしていると生きてる意味がわからなくなってくる。
話は戻るが、窓を開けてタバコを吸っていた時、ハチがせっせと住処を作っていた。蜜を届けて、消えてまた届けて。威勢のいいことだ。俺は何もせず、脳脳とタバコを吸っている。
彼らは生きるために生きるてると感じた。生きる意味を考えることができないことは前提として、本能的に生きようとしてる。

人間は生きようとして生きられないじゃないか?

またこんなことを考えてると、昔の心理学者が、「この現象は、、」とか言って名称を付けたがる。唯一無二の存在になりたいと思ってる俺にとっては、奴らの術中にハマってはいけないとまた抗う。そして「この現象は、、」

またやってしまった。反省の効かないなぁおれは。

人間社会と動物社会を比べてみたら、動物社会の方がシンプルな気がする。自然に出てしまえてば、他の動物を襲うことやエサを盗んだりしても許されるからだ。

人間社会は、生まれたそばからルールというものが存在する。それは法律であったり、モラルの話であったり。主に小学生の道徳の授業で教わるあれだ。

人の物を盗んだらダメです。人を殺してはいけません。

逆に言ってみると、人の物は盗んでいいです。人を殺しても良いです。
響きだけ聞いても、どっかのライトノベルのタイトルみたいだ。
想像を容易くさせるならば、ウォーキングデッドの世界観が当てはまるだろう。ウォーキングデッドも結局は人間同士の戦いになってる。
確かにルールは大事だ。特に道徳的の部分。

結局何が言いたいかって!俺にもわからない。

最後まで読んでくれたあなたに、果敢にジャンケンを挑もう。

ジャンゲン!ポン!

チョキを出したあなた!
今、人差し指と中指を伸ばしていますね!よし当たった。占い師になろうかな。まぁ哀川翔モデルのチョキだったらハズレたけど。グーとパーを出した人は、性格悪いってことで。

オチもまとめもないこんな痛い文を書いてしまった理由は、映画「モリーズゲーム」の独白場面に影響を受けたから。是非見て欲しい。商業的映画だか、セリフは一丁前だ。

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