自分の能力の限界を決めつけ、挑戦することをやめ、頭を下げる。その途端に青春は失われ、大人になる。


大学生終盤を迎えると、よく両親から「大人になりなさい!」と叱られることが多くなってきた。

叱られることで「大人」という言葉の意味を探す日々を過ごしている。

辞書には、 「十分に成長した人。成人。 考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること」と明記されている。

これだけを聞かされても、やはり「大人」という概念は身につかない。

あるまとめサイトでは、「精神的に自立している。金銭的に自立している。自分一人で生活できる。責任がある。人のために頑張れる。一般常識を持っている。」

今の現状と照らし合わせると、欠けいる点は「金銭的に自立している。」ことだけと感じる。じゃあ、共産主義であれば大人になれるのか?いや、なれないだろう。


僕は、まだ子供だ。それは自覚している。

大学入学当初は、大学を卒業して社会にでれば「大人」になれると思っていた。それも今となっては、違和感を覚えてる。じゃあ、結婚して立派な邸宅を構えて、何人か養える分の経済力があれば「大人」になれるのか?


会社説明会で登壇している人は、「大人」だ。通勤ラッシュの早朝の電車に乗っている人は、「大人」だ。コンビニに止まっているバンでタバコを吸っている人も「大人」だ。ゴミ収集車に乗って決められたゴミを回収している人は、「大人」だ。


「大人」の答えは、岡本太郎の本に書いてあった。

「自分の能力の限界を決めつけ、挑戦することをやめ、頭を下げる。その途端に青春は失われ、大人になる。」


行っている行為に、青春が介在しているか?ということ

やっぱり、まだ僕は子供だ。

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