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沖縄慰霊の日。~高校生だった私が看護師になって思うこと。~

昨日、6月23日は沖縄の慰霊の日。
遠い昔…ではなく、まだたった75年前のこと。
年々『昔』になっていくはずなのに、私にはなぜか歳を重ねる毎に『近く』なっていく気がする。

これは書くか本当に悩んだ。
私の未熟な文章では、表現力がなく不快な思いをされる方もいるだろうし、何より当時の方達に対し失礼になるのではないか…と。
だが、ニュースで何度も沖縄戦の事が風化してきていると心配する声を聞き、私も書いてみようと思った。

高校の修学旅行で、生まれて初めて『沖縄』に行った。
今から約20年前のこと。
その当時は沖縄出身のアーティスト達がメディアでかなり活躍していた。
私もファンの一人で、歌ったしファッションも真似ていた。
そして沖縄をイメージさせる花、ハイビスカスも人気だった。
前髪や制服のセーターに、ハイビスカスのヘアーアクセサリーを付けた高校生が沢山いた。
当時の私の沖縄へのイメージは、そんな感じで占められていた。

だが当然、修学旅行ともなれば事前学習で『沖縄戦』について学ぶ。
毎年終戦記念日近くに放送される、ドラマやアニメも観たことはあった。
戦時中の事が取り上げられたテーマのものの中でも、『白旗の少女』は、今でもかなり鮮明に覚えている。
それまで『生きること』を真面目に考えたことがなかった。
『生きている』事が当たり前だと思っていたのだ。

そんな風に何度か聞く『沖縄戦』と言う言葉に、
『分かったつもり』になっていた。



だが、実際に目の当たりにした戦跡や写真、体験談は想像をはるかに超えたもので、高校生の私にはとても直視できるものではなかった。

なかでも看護学校への進学を決めていた私にとって、『従軍看護の学徒隊』の存在は衝撃的だった。
自分と同じ年代の人達が、その環境を生きていた。
しかも、国民の一人として過酷な役割があった。
そこで語られていることは、当時の『同級生達』が体験した想像を絶する事だった。
今この年齢になった私でも耐えられない事ばかりだ。

最初私には、理解が出来なかった。
いや今も、出来ていない。
簡単に「はい、分かった」なんて言えることでは当然ないのだ。

この目の前にある写真、書いてあることが実際にあったことなのか…。
何もかもが『衝撃』だった。


そんな中でも、特に鮮明に覚えていることがある。
それは、学徒隊の持ち物だ。

『可愛らしい絵の描かれているメモ帳』
『櫛』
『巾着袋』…

メモ帳、クシ、巾着袋、高校生の自分がカバンに入れている物と変わらないのだ。
そう『当時の高校生』も、『現代生きている高校生』の自分と変わらない…。
可愛い物が好きで、おしゃれに興味があり、きっとそれらを大切にしていたのだ。
それを見たとき、それまでどこか『昔の話し』と思っていたが、一気に身近な存在に思えたのだ。

本当だったらきっと、もっと違った青春時代があったはずだ。
ある程度自由にしていた私にも、今振り返れば青春時代にもっとやりたかったことは沢山ある。

きっと当時の彼女達には、もっともっと沢山のやりたいことがあったはずなのだ。

75年経った今年、世界中で新型コロナウイルスが流行し、医療従事者に注目が集まっている。
医療従事者の一人としては、注目が集まらない事が『平和』の証だとするならば、注目を浴びずに仕事をしていきたいと願ってしまう。
だが、75年前と明らかに違うことは『世界が協力しあってこの状況を脱しようとしている』ことだ。
こんな時代にこの仕事に就けていることを誇りに思う。
今日からまた頑張っていこう…と。

またいつか沖縄に行けたら、大人になった目線で感じることも変わっているのかもしれない。
でも、当時高校生だった私が抱いた思いも大切にしていきたいと思い書いてみた。

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