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4月の雪

人の波に惹かれて進むと、いつもと違う路地を曲がったところに、開けた公園があるのを見つけた。土手のふもとにあるその公園は、桜が満開だった。
近所のほかの公園と比べると、遊具の数は同じくらいだけれど、とても広い。
敷地内のあちこちで、ママ友同士らしい人たちがシートやお弁当を広げて、花見を楽しんでいた。

少し、気後れした。
この街に越してきて1年。支援センターにも日々通っているのに「その場限りではないママ友」が一人もできていなかった。

鞄の中には、今日も出番のなかったお弁当が入っている。
薄味で仕上げた肉巻きおにぎり、ゆでたブロッコリーとスナップえんどう、小さな卵焼き、ミニトマト、そしてうさぎりんご。

「駿ちゃん、お砂場で遊ぶ?」

息子はこくりとうなずき、私の手から砂場道具を受け取ると走り出した。
砂場の横にはベンチがあり、それを屋根のように覆う樹高の低い桜の木が植わっている。

おむつや着替え、おやつの入った重たいリュックを下ろし、私はやれやれとベンチに腰を下ろした。
駿は、小さな青色のバケツに、黄色のスコップで砂を移し替える作業を黙々と続けていた。

「あの~、ちょっとすみません」

ふと顔を上げると、いつの間にそばに来たのか、年配の女性が二人立っていた。

「お子さん、おいくつですか~? かわいいですね~」

「……」

「あ、急に話しかけてごめんね。知らない人から声かけられたらびっくりするよねえ。私たち、こういうもので、お子さんの教育についてなんだけど……」

差し出された名刺を受け取らず、「すみません、そういうのはお断りしています」と答えた。
相手はやや面食らったように「あ、前にも声かけたかな? ごめんね~」と言い、去っていった。

「まま」と、駿が抱きついてくる。少し怖い顔をしていたのかもしれない。

あの人にも、こうしてはっきりと言えたらいいのに。胸の中でくすぶっているもやもやした気持ちが再燃した。



「優しそう」だと言われることが多い。
でも、そういうふうに見えるのだとして、それで良かったと思えたことなんて一度もないのだ。

「優しそう」というのは、裏を返すと「利用しやすそう」「怒らなそう」「断らなさそう」などといった印象にも繋がる。
だから、こうした勧誘を受けるときも、相手はまっさきに私の所へやってくる。でも「優しそう」なのは見た目だけの話で、私は相手の話を聞く気はない。

さらに、「断らなさそうだ」と判断して近づいて来た人のなかには、予想と違う受け答えに逆上する人までいる。

まったくもって損なのだ。



このごろ、支援センターへ行くとき、アイラインを濃くするようになった。
それは、“ミミちゃんママ” と話すときのための、私なりの小さな鎧。

駿はもうすぐ2歳半になるけれど、言葉をあまり話さない。

気になるのは言葉が出ないことくらいで、物事の理解も早く、伝えたことはひと通り何でもできる。
だから私自身は、そこまで切実に悩んでいたわけでなく「個人差があるよね」くらいにしか思っていなかった。
周りにも特に不安だとか、困っているとか話したことがない。



今日、ついさっきのことだった。
彼女はきらきらした目をして言った。

「駿ちゃんって、全然しゃべらないじゃない? 専門家にみてもらったほうがいいと思うのよ。あと、どう? 家で声かけとかしてる?
ママが大人しくてしゃべらないから、言葉を話さないんじゃないかなっていう気もするのよね。ミミが2歳半の頃と比べると、ちょっと、ねえ?」

善意なのかもしれない。
でも、その言葉は、私の胸の奥を容赦なく刺した。責められているような気分になった。
まるで私のせいで駿がしゃべらないみたいじゃないか。

勧誘の女性たちに対してしたように、ばっさりと言えたらどんなにいいだろう。
私はそれからどうやってここまで来たのか、それさえ覚えていない。支援センターを出て、ふらふらと人の波に流されたら、この公園にたどり着いていた。



そのときだった。
風が吹いて、満開の桜が雪のようにぱらぱらと散りだした。

「まま、ゆき、ひらひら!」

駿が目を輝かせて、落ちてくる花びらの中でくるくると踊るように回った。
ふっと肩の力が抜けた気がした。ベンチから立ち上がり、駿の横で膝を降り、ぎゅっと抱きしめた。そして、一緒に空を見上げた。

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