瞼の裏⑧
見出し画像

瞼の裏⑧

rina

 確かに単品のときよりもより深く、それでいてどこかふわふわとした感覚があった。頭の中では音が鳴っている。それは不快な音ではなく、形容のできない類の低い音だった。ただその音に身を委ねていると落ち着いた。窓の外の喧噪も聞こえるし、冷蔵庫はじぃと鳴いているし、冷房は弱弱しくもごぉと唸っている。そんな音の中で、頭の中から聞こえる低い連続した音と、耳元で聞こえる蓮見の呼吸音。私は充足していた。
 

 沈黙が続く。しばらく仰向けでいたけれども、左向きに体勢を変える。なんだか身体がむずむずしてきた。シャツが肌に擦れる感覚が妙にむず痒い。それにどこか足の置き場所が無い感じがする。寝っ転がっているのがだんだんと耐えられなくなってきたし、それに身体も熱い。それなのに頭はどこかぼうっとしている。隣でむず痒くしている私が気になったのか、蓮見が身体を起こした。

「どうしたの?」
「いや、なんか居心地が悪くて」
「悲しいこと言うね、急に」
「いや、そういう意味じゃなくて。なんか落ち着かないというか。身体がぞわぞわしているような感じがして、落ち着かない」
「あー。入れすぎた、かも?」
「なんで疑問形なの」
「いや、俺もあんま飲まないから。なんかあついでしょ」
「そう。暑いっていうより熱い」
 言いながらこれじゃ伝わらないとも思ったけれども、蓮見はうんうん頷いている。
「おっけ、じゃあ俺床行くからベッド広く使いなよ」
「なんで?」
 素で出てきた『なんで?』だった。でもそれでは納得できないくらいには違和感があった。多分、嫌なのだ。一か所にじっとはしていられないけれど、それでも隣から蓮見が居なくなるのは嫌なことだった。耐えられないことだった。
 恐らく、余程縋るような目で私は蓮見を見ていたのだろう。蓮見はいつものように後頭部を掻きながら、ベッドの端に寄った。ただでさえ広くないセミダブルのベッドだけれども、なるべく広い空間を渡そうとするように端に寄る。
「はい」
 と、それだけ言って蓮見はこちらを見る。
「ありがと」
 更に空間を広げるためか、蓮見はこちらを向いて肘をついて左手で頭を支えている。
「気持ち悪いとかは?」
「無い」
「それは良かった」
 

 微笑みながら私を見る。なぜか居ても立ってもいられなくなり、私はトイレに行くためにベッドを降りた。去り際に少し困ったような蓮見の顔が見えた。
 便器に座り、トイレットペーパーが少なくなっていることに気付く。ただその前に、最近薬を飲みすぎたときに起きる現象が今日も来ていることに気付いた。
 排尿障害。薬を飲みすぎると、その反動か、おしっこが出なくなる。出そうでも出ないのだ。踏ん張ってみたところでそれは関係無かった。それは何も今日始まったことではないし、ブログとかを読んでいて知っている事実だったので、大きくは焦らない。
 ただ、他にいつもとない感覚が下腹部に訪れていた。妙に、股間が熱を持っている。言い方を変えれば疼いている、とでも言うのだろうか。じんじんと熱を持っている箇所を触ってみると、確かに熱いことに気付いた。さらに、皮膚感覚がやたら敏感になっている。少し触っただけで思わず声が出そうになるほどだった。
 

 いつまでもトイレに籠っているわけにもいかない。何より蓮見を心配させてしまう。それだけは嫌だった。自分の勧めで私がどこか体調を崩したなんてことを、蓮見に少しでも考えてほしくなかった。確かに頭はぼおっとしている。そんな頭でも、確実にそれだけは嫌だと考えられる自分に思わず苦笑してしまう。早く出なければ。
 トイレから出てベッドに戻ると、少し心配そうな顔で蓮見が私を見ていた。
「大丈夫?」
「うん。少し引いた」
 私はここで嘘をつく。日常的に嘘をついているから今更だった。むしろ嘘をつかないと、蓮見の横に居られない気がしていた。ましてや股間が疼くなんてことを言えるわけもなく、だからといって蓮見に心配を掛けたくないから出てきたなんてことも言えなかった。
 

 ただ、寝っ転がった状態から立ち上がって少し歩き回ったことで、多少楽になったのは事実だった。身体の状態が少し楽になったからこそ、頭が働いてしまう。余計な仕組みだと素直に私は思った。
「大丈夫ならよかった」
 仰向けに私は横たわる。毛布なんて要らないくらい暑く、そして熱かった。せっかく空けてくれたスペースを存分に使うように横たわった。
 

 ふと、蓮見が私のおでこに手をあてようとした。ただその際に親指が耳を掠める。皮膚感覚が敏感なのは全身だったということにその時に気付かされた。先ほど感じたシャツの擦れによるむず痒さも、思い違いではなかった。私はそこで、自分の耳が異常なまでに敏感な部分だと気付かされた。蓮見の親指が触れた瞬間、思わず飛び跳ねる。
「なに!」
「あ、ごめん。熱でもあったらって思っただけ。こっちこそびっくりした」
「ごめん」
 そう言いながら、私は顔が紅潮していくのを感じた。身体中の熱がそのまま顔に移動してきたかのように、顔が熱くそれでいて紅く染まっていく。思わず、蓮見に背を向けるように体勢を変えてしまった。
 

 明らかに、いつもの私ではなかった。これは薬のせいなのだろうか。もし、薬を飲んでいなくても私は今の私の様に振る舞うことはできるのだろうか。今の私は本当の私なのだろうか。蓮見の横に居る私は、私を私自身だと胸を張って言えるのだろうか。そう考え始めると、考えた先から靄がかかるように消えていく。直前まで何を考えていたか分からなくなる。思考がうまくできなくなっていることに気付いた。考えようにも考えがまとまらない。それでいてさっきまで考えていたことが思い出せない。ただ、少しずつ顔から熱は引いていき、蓮見に向けている背だけは夜の間熱いままだった。

 気付いたら眠りに落ちてしまっていた。やはり眠気を誘う薬を飲んでいる分、眠りつきが良いのだろう。ただ、起きても強烈なダルさが残っていた。身体に残るタイプなのだろうと思う一方、蓮見が普段からあまり飲まないと言っていた理由が分かったような気がした。
 

 横を向くと、蓮見は居なかった。私を跨がないとベッドから降りられないはずなのに、もう居ないということはそれほど私が深く眠っていたということだろう。ローテーブルに書置きだけがあった。
『バイト前に用事あるから早めに出る』とだけ書かれた書置きだった。昨日の夜の記憶は断片的にだが覚えていた。どうにもむず痒い全身と、やたら熱を持った下腹部。その記憶だけは鮮明に残っていた。あれは何だったのだろうか。次は錠数を減らしてみようと考える。
 

 もしかしたらレナ様は知っているかもしれない、と思ったが連絡するのはやめた。最近の便りによると頗る調子が良いらしい。あまりレナ様に私のどうでもいい話題を振りたくなかった。気にしすぎかもしれないけれど、彼女には気にしすぎな方が良いこともあるということを私は知っていた。

 そこで私は、新たにアカウントを作り、こういった薬で遊んでいそうな若い女の子たちを片っ端からフォローすることにした。案外ブログなんかよりも自由奔放で、皆大々的に薬の名前をそのまま投稿している。だからこそ探しやすかった。二時間くらいの間で数十人フォローをして、その中で同い年であろう子たちとやり取りをした。自分より年下の女の子たちも沢山いた。私と同じようにパパ活をしている子も。『薬代ってバカになんないよね』などと同調するようにして、私は彼女たちと仲良くなった。
 

 仲良くなった子に、早速昨日飲んだ薬の話をしてみた。その子は中学三年生で、一年ほど薬を飲んでいるらしい。お小遣いも少ない為、苦労しているという投稿が多かった。悪いことをしているという自覚もある子だった。感覚的に私と近そうだという理由で、私は彼女に質問を投げる。
「あれってなんかむず痒くなることってありませんか? 私昨日初めて飲んだんですけど、なんか全身むずむずして上手く眠れなくて」
「あります! わたしもありました! 慣れるとなくなるけど最初は辛いですよね。あと間開けるとまた来たりします。ただ組み合わせが気持ち良くてついつい手に入ると飲んじゃいます」
「慣れるものなんですか?」
「んー、そこは人それぞれかもしれません。少なくとも私は慣れたし、あんまり周りに引きずってるひとも居ないイメージかなぁって」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
 ほっと胸を撫でおろした一方で私は感じることがあった。
 こんなにも礼儀正しくて、いかにも普通な女の子が何故薬を飲むことになったのだろうかと。私自身もどこにでもいる女ではあると思うため自己矛盾に陥る話ではあるけれども。私はその部分が気になった。というより、この中学三年生の女の子が気になっていた。
 

 ハンドルネームは『るなちゃん』。レナ様、るなちゃんと、やたら似た名前だとは思ったけれど、恐らくそれは無意識的に選んでいたのだと思う。私にとってのレナ様は、それほどまでに大きかった。

 そこからるなちちゃんとのやり取りが急に増えた。日中はよく『死にたい』や『もう無理』なんて言葉を紡いでいるけれど、夜になると急に饒舌になるのだ。薬の影響は大きいとは思うし、本人曰く一緒に楽しむ相手がいないから、誰かに向けて発信しているとのことだった。特に家庭環境は酷いもので、姉と弟とは家庭内絶縁状態。親はるなちゃんにだけ厳しく他の姉弟には甘いという。

 それは個人の被害妄想もある、とは思う。ただ姉弟から物を隠されるなどの家庭内イジメが横行していて、それが怖いからか学校に行くのも怖いらしい。自分自身に何か、他の人の機嫌を害するようなことをしているという自覚が無いからこそ、他人が信じられない。ゆえにインターネットで見知らぬ相手としかコミュニケーションが取れない、そういうのが小学生時代から続いていて、ある日インターネットで薬の存在を知って飛びついたらしいのだ。
 私は何が正しいのかが分からなくなった。薬にはお金も掛かる。だからこそ私は自分を切り売りしているけれども、それを年下の女の子に提案することはできなかった。褒められたことをしていないという自覚は私にだってある。
 

 結局のところ、顔も知らない他人であるということにここで気付く。レナ様とは顔出し通話をしているということもあるので、また別物だと思ってしまう自分もいる。
 ただ、最近妙にるなちゃんに懐かれてしまっている。それはそれで嫌な気持ちにはならない。レナ様の気分を味わうことができているという事象が、私を嬉しくさせた。少し先に産まれただけで、興味関心を私に向けてくれている、その事実だけで十分だった。
 

 図ったようにそこからレナ様との連絡は途絶え、私はるなちゃんと連絡を取ることを繰り返していた。たまにレナ様の裏アカ投稿をそれこそ気が付いたときに覗くことはあるけれど、残り少ないとはいえレナ様のフォロワーたちの前で絡む気力は無くなってしまっていた。

 だからと言ってレナ様への憧れが無くなってしまったわけでは決してない。住んでいる場所が福岡だと聞いて、『今度遊びに行くね』という返事もした。それに対してレナ様も『待ってる!』と元気よく返してくれた。ずっと会いたかった。会って一緒に遊びたい気持ちは持っているので、いつか行こう。

 でも春休みももう終わる。私は悲しくも高校生なので、時間は自由には使えない。だから会いに行けるとしても、それは夏休みになりそうだった。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
rina

励みを頂ければ……幸い至極です……

ありがとうございます。幸せです。
rina
色々と文章を書いています。まだまだ練習中です。Twitterにも投稿しています。 https://twitter.com/_____rina ノベルアップ+さんにも投稿しています。 https://novelup.plus/story/412830138