瞼の裏⑫(完)
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瞼の裏⑫(完)

rina

 廊下をどすどすと、誰かが歩いている。気付かないうちにお母さんが帰ってきているのかもしれない。テレビ業界で働いている人の繁忙期っていつなのだろうか。世の中はゴールデンウイークだというけれど、あまりそういうのは関係ないのかもしれない。そもそも私はお母さんがどういう仕事をしているのかも知らない。番組とか受けて持ったりしているのだろうか。最後にお母さんと一緒にテレビを見ながら晩御飯を食べたのはいつだろう。それ以前に、家で一緒にご飯なんて食べていないような気がする。お父さんが帰ってきたときは決まって外食だったし、そういえばお母さんの料理はあまり美味しくなかった記憶がある。
 

 足音が聞こえたというだけで、ここまで色々と考えていられるのだから、ある程度健康なのかもしれない。とにかく心配なのは身体だった。昨日、るなちゃんに会う前に誰かが書いてるサイトで見た、『生理不順』という四文字。それが頭をよぎる。
 喜ばしいことに周期は読みやすい身体だったはず。ただこの二か月はその周期が乱れている。そしてこの二か月といえば蓮見の家に入り浸り、毎日のように何かしらの薬を飲んで、昼夜の無い生活をしていた春休み。そして薬の量は大して変わらずに、ただ毎日学校に行かなければならなかった四月。その生活がストレスになっていたのだろう。だから、三月末にくるはずだった生理が遅れたのだ。なんとも単純な身体だと、自分で笑ってしまう。身体、というよりも神経だけれども。
 

 玄関で鍵がかかる音が聞こえた。お母さんは出掛けたらしい。それに気付き私は身体を起こす。薬を飲まない日が無いので、この気怠さにも慣れてしまった。そして私は自分の口が笑っていることに気付いて頬を触った。何が可笑しいのか分からないけれど笑っている。自分がもう分からない。とにかく今は、蓮見に会いたかった。
 

 家に着くと、蓮見は居なかった。夜勤バイトをいれると聞いていたので、てっきり寝ていると思っていた私としては予想外だったが、待つことには幼い頃から慣れている。本棚から蓮見が集めている漫画を数冊取り出して私は読み始めた。
 数冊読み始めて、パパ活のことを思い出した。どうせ予定の無いゴールデンウイークなので、これを機に薬代を稼ごうと考えたのだ。
 

 久しぶりにパパ活用のアカウントでログインした。プロフィールには『麗奈』と出てくる。このアカウントを使う時だけ、私はレナ様になれるのを思い出し、次にホンモノのレナ様について考えた。
 今、何をしているのだろうか。そもそも元気なのか。精神的に安定していれば一切のアカウントを消すことなんてしないはずだった。
 ということは不安定なのだと推察できる。
 日常的に人のマイナスな部分を垣間見ている私だからなのか、レナ様が心配だった。ただ心配をしたところで、連絡が取れないのだ。どうしようもない。
 

 レナ様について考える度に、自分が無力だと感じた。ただ、いつも感じるだけで終わるのだ。何かをするわけでもない。分からないものは仕方がない、と思っているのではなく、本当に為す術が無かった。私に出来ることは夏休みの福岡旅行と日々の薬代の為に、オジサマ達からお金を貰うことだけだった。
 色々とオジサマ達とやりとりをしていたら、蓮見が帰ってきた。玄関が開き、いつもの蓮見の姿が見える。「おかえりなさい」と私は言う。
「ただいまぁ」
 蓮見はそれだけ言うと、いつも通り浴室に向かった。私が居ることに関して、何も気にならないのだろう、と思うと心が満たされた。
 

 私は蓮見の日常の一部になり得ているのだと、自分自身そう思う。誰かの日常の一部になったことなんてない。両親も含めて。
 赤ちゃんの頃はどうだったのだろう。あまりその頃の写真も見たことが無い。それなりに手のかかる子だったのだろうか。物心ついてからは、とにかくそういう感覚は無い。
 ただ、人の日常の一部として自分があるというのは、どういう訳か、心を満たす。耳を澄ませば聞こえてくるのではないかと思うほどに、ジュっとした音を立てて心が潤うのだ。
 その音が聞こえてくると、もうパパ活なんていうものは頭の外に行く。タブを閉じると、頭からも消える。
 

 私はシャワーの音に耳を傾け、目を瞑りベッドに横たわった。
 蓮見が浴室から出てくると、もういつも通りだった。薬を飲んで、部屋を暗くする。その間にトイレだったり行くとき、部屋が暗いと不便なので、私はるなちゃんと行ったアウトレットで間接照明を買っていた。

 オレンジ色の灯りが部屋の一部を明るくさせる。その間接照明は床から細い棒で上に伸びていて、てっぺんに電球と、それを覆うように傘があるものだった。高さは私と同じくらいなので、一六〇センチくらいだろう。その灯りが、上から蓮見の横顔を照らす。蓮見は私と照明に挟まれる形で仰向けに横たわっている為、こちら側は暗い。
 

 ふと、照らされている向こう側の蓮見を見たくなり、私は上から覗き込んだ。
 もう既に目を瞑っている。この生活がずっと続けばいい。男の子にしては少し長めの睫毛を見ていて、私はそう思う。
 ゆっくりとした睫毛の動きと共に、目が開かれる。私はなんとなく、こうしていれば蓮見が目を開けると思っていた。だから今回はうろたえない。
「ん? どうしたの」
 目を開けたまま、蓮見がゆったりとした口調で私に問いかける。
「ううん。なんでもない」
 私はこの時間を少しでも長く感じたくて、真似るようにゆっくりと話す。
「そっか」
「そう」
 それだけ言って、少しの沈黙が訪れる。少し薬が効いてきたのか、耳を澄まさなくても色々な音が聞こえる。聞きなれた冷蔵庫の唸り声がいつもより近く感じられる。音が近いからか、部屋が狭い。狭くて良いのだ。蓮見の息遣いや、鼓動がそれだけ近く感じられるから。
 

 私にはご飯も要らない。睡眠時間も、肉体的な歓びも、なんなら学歴だって要らない。そう思わせてくれる人にやっと私は出会い、そして今日もまた、その人の隣で『小旅行』に出掛ける。
 効いてきた頭で枕元のスイッチを触り、間接照明を消す。部屋が真っ暗になる。そして私は蓮見の懐に潜り込む。前回は向こうからの腕枕のお誘いだったのだ。今日くらいは私から誘われよう。
 互いにイヤホンを耳に突っ込み、異なる音楽を聴く。『旅行先』も恐らく違うけれど、それは問題ではない。
 瞼を閉じれば、そこに蓮見が居る。

 

 そして翌日、私はレナ様の訃報を知る。

 

 朝、といってもだいぶ昼に近い時間に私は目を覚ました。いつもと同じように、眠っていたという事実が受け入れられないような感覚。目を覚ましたけれども眠った感覚が無い。
 最後に覚えているのは、ベッドの頭側にある窓が明るくなっていたことくらい。だから多分早朝らへんに落ちたのだろう。結局蓮見に引っ付いてはいたけれど、時折暑くてお互い離れて、ベッドの冷たいところを探すようなことをしていたのをぼんやりと思い出す。
 まだ蓮見は眠っている。だから私は自分の携帯を眺めることとした。何か連絡は来ていないかを、なんとなくチェックしたかっただけだった。先日るなちゃんと買い物をしてから、その後ずっと連絡を取り合っていたので、その返事をする。あの日から更に懐かれているような感覚がある。重い、とかそういうのでは決して無いけれど、不思議な気分だった。
 

 私はまたしても、るなちゃんと私の関係性に、私とレナ様を見出してしまう。私はレナ様ほどのカリスマ性も無いし、るなちゃんほどの可愛げも無いのだけれど。ただ、どうしても浮かぶのはレナ様の存在だった。
 傍から見れば、ただの薬中女子高生だと思う。しかし、最近はその事実に恥じることもなくなってきた。身体はどんどん痩せていくし、生理もまだ来ない。病院には怖くて行っていない。医者に対して嘘をつくことが嫌なのではなく、上手に嘘をつけない気がして嫌だ。
 ただ、今の私は確実に今までの私よりは幸せだった。幸福感に満ち溢れていた。蓮見と一緒に、それも昨日のように寄り添いながらオーバードーズができる幸せ。るなちゃんのような、まるで可愛い妹のような存在が現れてくれた幸せ。そんな日常が訪れている。
 

 その幸福の最後のピースとして、私にはレナ様があった。まだ足りなかった。どうしてもレナ様に会いたかった。
 そして、私はレナ様がアカウントを消してしまった跡地を再び訪れた。誰でもなく、レナ様を探していた。アプリを開くとすぐに、私宛に知らない人からメッセージが来ていることに気付いた。アカウント名は『リオ』、以前レナ様に自身を女だと偽って会おうと考えていたネカマ男だった。

 私は警戒しながら画面をタップする。
「こんにちは。私はリオといいます。リナさんにお伝えしなければならないことがあり、ご連絡いたしました。レナ様(本名:桃井麗奈)が先日亡くなりました。 レナ様と仲良くしていたということを本人から聞いていたので、このような形ですがお伝えしなければと思い、こうして連絡しております。自殺でした」
 

 一瞬にして、何も見えなくなった。目から入ってくる情報が頭の中に入ってこない。何度読み直したところで意味は無かった。それでも読み返す。何度も何度も何度も何度も読み返す。それでも入ってこない。浮かぶのはレナ様の顔なはずなのに、それも靄がかかってしまう。まだ薬が残っているのかもしれない。きっとそうだ。だから私はレナ様の顔もうまく思い出せないし、このネカマが送りつけてきた文章もうまく読めない。悪戯に決まっている。前にレナ様に無碍にされたその仕返しだ。その日、レナ様とこのネカマが会ったその日、私は修了式だった。それまでにレナ様がこのネカマに私の名前を教えていたのだろう。だから、レナ様への報復として、こうやって悪戯をしているのだ。仮想的な自殺を現実的なものとして、こうやって色々なところで吹聴しているに違いない。
 そういう考えが次々を浮かんでは消えていく。
 私には消えていく理由が分かっている。心の底では、理解しているからだ。こんなポンコツ状態の脳でも、理解ができてしまう。
 だったらもっとポンコツになってしまえばいい。身体を起こし、ベッドに腰掛ける。もう一度『小旅行』に旅立てばいい。
 箱を開ける。錠剤を取り出す。手が震えている。この震えはきっと薬が残っているからだ。うまく錠剤が取り出せない。少し時間がかかっている。やっと十二錠全部取り出せた。冷蔵庫に飲むヨーグルトがまだ残っていた気がする。昨日蓮見が買ってきてくれた。「少しねっとりしてるし、お茶よりこっちの方が飲みやすい」と言って買ってきてくれたヨーグルト。それを持ち出して、またベッドに腰掛ける。いつもは二錠ずつだけど、ねっとりしてるから昨日は三錠ずついけた。四回で飲み切って、またしても蓮見の腕の中に戻る。
 

 イヤホンを耳に突っ込む。携帯で、以前レナ様がオススメしてくれた音楽を流す。昨日のが残っているらしい。まだ頭の中で大きく音楽が響き渡る。
 目を瞑る。携帯はもう見ない。
 

 瞼の裏で、レナ様を探す。

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rina

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rina
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