瞼の裏⑩
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瞼の裏⑩

rina

 始まった新学期は特に何も変わり映えがしなかった。クラス替えがあり蓮見とクラスは離れたけれど、学校帰りに家に寄ることもあり、土日は基本的に一緒に過ごしていた。

 るなちゃんとも連絡を取り合う頻度が増え、今度一緒に遊ぼうということになっている。隣の県に住んでいるが、そこまで遠くないので私が遊びに行くことにした。るなちゃんの投稿は変わることがなかったけれども、最近は自傷行為を匂わせるものが増えてきていた。本人曰く、『手首切ったくらいじゃ死なない』とのことだった。何故そういうことをしてしまうのか、などと説教臭いことが言える立場ではないが、心配だった。

 るなちゃんは私と同じ不眠症だった。恐らく直接的な原因は薬の飲みすぎだろう。カフェインが含まれる薬を大量服用しているのだから自明の理だった。
 不眠ゆえに、考えてしまうのだと言う。『何故私がこんな目に』と。家庭環境が彼女の思考を阻む。健全を蝕み、健康を害する。だから、彼女は手首を切る。
 血を見て生きているということを実感したいわけではない、と彼女は言う。だからカッターは使わない。切れすぎる刃物は使わないし、大体血は汚れるから嫌だという。

 だから彼女は毛抜きを使った。先端の尖がった毛抜きを手首に当て、横一線に一気に引く。切る、というより、傷つけるというのが妥当かもしれない。『こうすれば、痛いなぁって考えで頭がいっぱいになるから。そう思っているうちに眠れる』と彼女は言った。
 中には本当に血まみれの手首の画像を投稿する女の子も沢山いるが、るなちゃんはそういうことをしなかった。本人を囲む環境ゆえか、承認欲求というものを諦めているような節がところどころ散見された。
 

 多分彼女は、ただ普通に生きたいだけなのだろうと私は思う。

 るなちゃんにはゴールデンウイークに会いに行くこととなった。お互い学校は休みということもあるけれど、もともと夏休みに福岡までレナ様に会いに行こうと考えていたので、予定が無かった。あるとすれば、春休み同様蓮見の家に入り浸るくらいのもので、それを予定と呼ぶほどには私は図々しくなかった。
 相変わらずクラスに馴染むことなく日常が過ぎていく。健康診断を受けた結果、春休みで七キロ近く体重がおちていた。鏡の前で下着姿になるたび、不健康な身体だと思う。不眠の影響か、目の下のクマは濃い。不眠だからこそ、日頃の授業を乗り越える為に、蓮見が最初に教えてくれたよう『風邪薬』を十錠ほどチャックのついたビニールの袋に用意して生活していた。

 最近は以前にもましてお母さんが家に帰ってこないので、家に帰っても外食をするかテイクアウトで済ませるか、食べないかしか選択肢が無かった。そもそもお母さんとの生活リズムが合わないので、ここ二週間ほど姿を見ていない。たまに連絡が入るけれど、その内容は『ちゃんと食べてる? お金置いておきます』といったものだった。そのお金は薬代に消えている。
土日に蓮見と過ごしたい為、パパ活はしばらくしていない。それが健全なのかどうかは分からないけれども。ただ、薬代はかかるので、どうにかしてお金を工面する必要があった。しかしながらどうにも気力が湧かず、ただ土日は蓮見の家で残りが少なくなった薬を飲むというのが通例になっていた。

 喜ばしいことは、学校がある為に『小旅行』をするペースがしっかりと保たれていることだった。一週間の我慢が強制されているようなそんな感覚。大体土曜夕方に蓮見の家に行き、薬を飲んで日曜夜に自分の家に帰る生活を送っている。それでも、私は週に一回蓮見の横に居られることに満足感を覚えていた。
「お邪魔します」
「毎日入り浸ってたのによそよそしいね」
「じゃあ、ただいま」
 こういう会話一つが胸を満たす。一方でやせ細っていく身体のことは、頭の片隅にも残っていなかった。
 退屈な平日と幸福な休日を数回繰り返し、とうとう明日はゴールデンウイークになった。
「水原、予定は?」
「明日はちょっと予定ある」
「家の?」
「いや、ちょっと友達に会いに」
「居ないじゃん」
「ネットの」
「レナ様ってやつ?」
「いや、違う。年下の子」
「ふうん。じゃあ俺明日夜勤バイトいれよ」
 今日もいつもと同じ。何も新たなことはない。明日、私の予定で朝が早い為、『小旅行』は行わない。ただ『風邪薬』を飲んで蓮見と共に眠るだけ。
 

 翌日、私は早朝に蓮見に見送られる形で家を出た。制服姿だった為、一度家に帰る必要があったのだ。初夏を感じさせるくらいには日が照っていて、暑かった。最近は特に汗をかく。ブラウスが肌にひっついて不快だった。頭から異常なほど汗が出てくる。上半身は気付いたらぐっしょりと濡れていた。見る人が見たら雨にでも打たれたのではないかと思ってしまうだろうくらいには。

 薬を飲んだあとは妙な寒気が伴う。これは数多く経験していることだった。だからそこまでの発汗が起こるはずもないのだけれど、おそらくこれは身体が必死に毒素を外に出そうとしているということなのかもしれない。

 そうなると今まで無かったのが不思議ではあるけれど。とにかく私は早く家に着きたかった。シャワーを浴びて着替えて、出掛けなければならない。まだ見ぬるなちゃんを想うと、少しだけ歩が軽くなった。

 家に着き、盲目的にシャワーを求めるように浴室に飛び込む。頭からシャワーを浴び、頭の先から足の先までを入念に洗った。汗臭いのは自分でも嫌だった。シャワーを終え、浴室で下着姿になって髪を乾かしていると、玄関から鍵が開く音がして、お母さんが帰ってきた。
「ただいま。あら、早起きね」
 遠くからお母さんの声が聞こえる。どうやらリビングに行ったらしい。
「おかえり」
 それだけ大きめの声で短く返して、私はすぐに服を探す。けれども浴室にはタオルと下着しか持ってきていなかった。私はお母さんに身体を見られたくなかった。久々に会うお母さんに見せるにはあまりにも痩せすぎだった。一度つけた下着を外し、脇の下からバスタオルを巻く。なるべく身体のラインが見えないように意識しながら、その恰好で自室に向かおうと脱衣所を出る。
 最悪のタイミングでお母さんがリビングから出てきた。
「もう、はしたない」
 笑いながらそれだけ一言呟き、私の横を通り過ぎるとトイレに入っていった。今がチャンスと思いながら、服を取り出し脱衣所に戻る。下着をつけて、服を着ると、ちょうどお母さんがトイレから出てきた。
「出かけるの?」
 聞きながらリビングに向かい、お母さんはソファに座ってテレビをつける。
「そう、友達と」
「随分朝早いのね」
「ちょっとだけ遠出するから」
「何処行くの?」
「御殿場」
「それはまた、随分遠いわね」
「そう、だからもう出ないと」
「そう。じゃあこれ」
 お母さんはそう言うと立ち上がり、鞄の中から財布と取り出す。一万円札を私に二枚渡し、またソファに戻る。
「行ってらっしゃい」
 お母さんは私を見ないままそれだけ言った。
「行ってきます」
 私はお母さんに背を向けたまま、それだけ言って家を出た。

 るなちゃんとの待ち合わせは十時に御殿場駅だった。そこからバスに乗ってアウトレットに行く。行きの電車の中で、私はまたしても異常なほどの発汗を感じていた。お母さんから逃げるように家を出たので、タオル類を持っていない。せっかくシャワーを浴びてきたのに、全く意味が無くなってしまった。電車は混んでいた。ゴールデンウイークの初日で、そして行楽日和なのも関係しているだろう。だからこそ私はどんどん汗をかいた。外も暑く、電車の中は蒸し暑い。気温のことを考えているとどんどん汗が出てきた。自分自身への不快感よりも、周りからの目が気になったしまう、そう考えると、また汗が噴き出した。最悪の気分だった。
 

 徐々に都心から離れて行っているのもあり、少しずつ電車が空いてきた。それに安心する。また、時間が経つにつれて汗が引いてきている。ほっとした。ただ、この尋常じゃない量の汗は何かが原因だろうと、携帯で検索をかける。
 

 複数の記事が出てきた。お医者さんが監修していそうなページをタップすると、複数の病名が出てきた。異常発汗を引き起こす原因として恐ろしい病名が並んでいたが、その中でも聞き馴染みがあり、そしてその病気の原因となるものに心当たりがあるやつが一つだけあった。『自律神経失調症』。
慢性的な睡眠不足と、食生活の乱れ。その他にも過度なストレスだったりプレッシャーだったりが原因になると書いてあった。間違いなく、私はこれだと気付かされた。
 次に『自律神経失調症 症状』で検索してみると、数多くの記事が出てきた。その中でも一番上のものをタップする。
 症状は人によって異なるようだが、眩暈、便秘、下痢、耳鳴り、動悸など。様々書いてあるなかで、私はある文字に釘付けになった。
 

 『生理不順』
 

 私は最後に生理が来たのがいつだったかを思い出せずにいた。三月中に来たかどうかも思い出せない。春休みは間違いなく来ていない。四月にも来ていない。そうなると、二か月以上は来ていないことになる。
 顔から血の気が引いていくのが分かった。先ほどまで暑かったのに、急に寒気が来たような気がする。自覚してしまった。
 

 私は、病気だ。

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rina

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rina
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