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静寂と鼓動

電車の中で、私はひとり。周りを見渡すとちらほらと乗客はいるが、私はひとり。窓の外は曇り。

向かいのおじさんは、スマホとにらめっこ。斜め前のお姉さんは、うとうとと。ドアを挟んで横の女子高生は、参考書をぱらぱらと。

お昼の電車。人は少ない。向かう場所は、特にない。決めていない。ただ電車に乗り、座席に座って、ふくらはぎに当たる熱風に耐えながら、私はひとり。

美しく彩られた黄色も、高い空も、そこには無い。季節は冬。目に映るのは枯れ木と灰色。がたんごとんと私を運ぶ。

毎朝乗る急行ではなく、今日は各停を選んだ。ドアに近い座席に座り、駅ごとに入り込む寒気で首筋に籠る熱を追いやり、ふくらはぎを冷やす。向かいのおじさんが降りる。私の前を遮り、タバコの匂いが鼻につく。

警告音が鳴って、ドアが閉まる。ひと駅ごとに入れ替わる空気。徐々にまたあたたまるふくらはぎ。斜め前のお姉さんは、まだうとうとしている。気付いたらマフラーがほどかれていて、その手に握りしめられた赤いマフラーに目が移る。

細く白い手に握られたマフラー。白に映える赤。片目を隠す前髪が、電車の揺れと共に揺れる。綺麗な爪、細い指先。こっくりこっくりと、揺れる身体。

そしてまたひと駅。ドアが開き、お姉さんはふと目を覚ます。きょろきょろと見回して、開ききっていない瞼で、窓の外を見て、安心したように今度は背もたれにしっかりともたれて、またしても目を瞑る。

またしても冷える車内。今日は風が強いのか、ドア近くに座っていると、風が私に吹き付ける。ぼーっと、何も考えず、ただ目に映るものを脳に焼き付ける。それだけのお昼すぎ。

ひとつ隣のドアから、おばあさんが乗ってくる。上品そうなお着物を着た、おばあさま。強気なその目は、昔から変わっていなさそうで、凛とした、寒気には負けない、そんな目。

上品な足取りで座席に向かい、そして座る。ドアが閉じるとともに、目を閉じて、何かに耐えるように座っているだけのおばあさま。

冷えては温もり、冷えては温もる、そんな車内。

私をどこかへ運ぶ、そんな電車。

窓の外は灰色。いまにも雪が降りそうな、そんな景色。私は想像する。車外の景色が白く染められるのを。灰色に浮かぶ枯れ木の茶色が、上書きされていくそんな様子を。

座席下の熱風と祖母の家の掘り炬燵がリンクする。記憶が結びつき、着物のおばあさまを見る。記憶を掘り起こす電車。

ちらと顔を、女子高生に向ける。参考書のどこかのページに左手の人差し指を栞のように挟みながら、器用に右手でスマホを弄る。嬉しそうな目元。何があったのだろう。

彼氏からの優しい連絡だろうか。それとも友達からの楽しい連絡だろうか。案外猫や犬の画像を見ているだけかもしれない。

くるぶしまでのソックス。茶色の革靴。短いスカート。今日の私はロングスカートなので、熱風に耐えていられるけれど、この女子高生は生身で熱風を受けている。冷やされ熱され、それを繰り返すふくらはぎ。

ドアが開く。まるで女子高生のふくらはぎを冷やすかの如く、風が入り込む。そんな女子高生を見ていたら、目の前を遮る人影。

斜め前のお姉さんが、ドアから出て行った。長い髪を揺らして、真っ赤なマフラーを巻きながら。カツカツと音を立てながら。

誰もいなくなった斜め前の座席。その座席を見つめながら、私は運ばれていく。

音の少ない電車の中。がたんごとんという音だけが響き、残されたのは私と女子高生と着物のおばあさま。

まだおばあさまは目を閉じている。もしかしたら眠っているのかもしれない。冷えた外から暖かい電車に乗って、眠気に誘われたのかもしれない。

しかし私は知っている。あとひと駅で、この美しい午後の静寂は遮られる。大きな駅に着くから。

少しの沈黙と、電車のリズムと、ふくらはぎを火傷させようとする熱風を慈しみながら、短いひと駅間に想いを馳せる。

目を瞑る。座席端のプラスチック板に耳をつける。電車の鼓動が聴こえる。片耳は静寂、片耳は鼓動。

電車の流れが徐々に緩くなる。鼓動が少しずつゆっくりと、終わりを迎えるように、緩くなる。

完全に止まり、目を開く。同時にぷしゅーという音を立ててドアが開く。電車の鼓動が止まり、静寂が死ぬ。

それを見放すように私は立ち上がり、ドアから出る。ドアの前ではこれから乗客になる人々がしっかりと並んでいる。

そんな人波を避けるように、私は慈しんだ静寂を胸に、改札に向かう。




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