瞼の裏⑨
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瞼の裏⑨

rina

 春休みがあと五日足らずで終わる今日も、私は蓮見の家に居た。いつも通りだが、今日はあの強烈な『小旅行』ができる日だった。
 前回からまた少し空いたので、そろそろいいだろう、という蓮見の判断だった。あの夜の後もずっと蓮見の家に居るけれども、手を出してくる気配は無い。色々とブログを読んできたので、もう読むものはなくなってきたが、薬アカの方で、気になる投稿を見つけた。

『薬を飲んでると勃起してもなかなかセックスしたいって思わない。というかイケないからやる意味ない』という投稿をしている男性がいたのだ。特に絡みが無い人ではあった。

 私は元々女の子に絞ってフォローをしていたのに、何処で紛れ込んだのかと思ったけれど、実はその人は女装家でアイコンでは女の子かと思っただけだったというオチだった。
ただ、時折、今の私にとっては非常に有益な情報を与えてくれるので、私はその人の投稿を重宝していた。
 

 なるほど、と思った。ただ、あの『皮膚病薬』はどうなのだろうか。あれを飲んだ私の身体は間違いなくそういう『準備』が整っていたように思う。それは男性側に対して効くものなのだろうか。手を出さないようにしてくれているのだろうか、というのはあまりにも自意識過剰でなんとも現実味の無い話だと思った。ただ、今日はそういう日ではない。あの『小旅行』を楽しむ日だった。今日も私は目の前の薬には一切手を出さず、忠犬のように蓮見の帰りを待っている。
 

 蓮見が帰宅し、いつもの流れでシャワーを終えてベッドの上に乗っかってきた。考えないようにしていても、考えてしまう。だからこそ、少しだけ距離をとるように離れた。蓮見が座るスペースを空けるような自然な動きで、必要以上の距離を取る。
「お待たせ」
「お疲れ」
「ありがと」
 それだけの短い会話を交わし、二人で開封作業に入る。私も今回は蓮見のように、ある程度床に散りばめてからより分けていく。すると、いつもの『風邪薬』と『皮膚病薬』もともにだしていく蓮見。
「一緒に飲むの?」
「そうそう、なんかで一緒に飲むとより良いって書いてあったし」
「大丈夫なの?」
「飲んだやつが大丈夫だったんだから大丈夫でしょ。それに一人でするわけじゃないし」
「ふうん」
「先にカプセル飲んどけ。効き始めまで時間掛かるし。で、効き始めたなぁって思ったらこの二つを飲むって流れが良いらしい」
「まあ、蓮見がそうするならついてく」
「気持ち悪くなったら吐けば良いし」
 そう言って蓮見はこちらを見て、怪訝そうな顔をした。
「ん? なに」
 言うが早いか、蓮見は私の腕を掴む。私はびっくりしてそのまま掴まれたままだった。
「え、なに」
「いや、痩せたなって」
「だって最近二日に一回くらいしか御飯食べてないもん」
「ポトフ?」
「そう」
「まあ健康には良いか」
 特に気にした様子もなく、蓮見は手にカプセルを取り、私に渡す。それらを飲み込みながら、まだ二の腕に蓮見の手の感触が残っていることを感じる。
 

 飲み始めて二時間くらい経つと、あの感覚がやってきた。頭が重く、身体も動かしづらい。話そうとすると言葉がつっかえる感覚がある。そうなるともう先ほど感じた些末な不安はどこかに飛んでいき、蓮見と同じように残る二つの錠剤を私は飲み込んだ。あまり違いは気付かない。それは、そういうものなのだと蓮見は言う。
「あとになれば、分かる、と思う」
 

 いつも通りゆったりとした口調で蓮見は話していた。「そろそろ」と言いながらレナ様とお揃い色違いのイヤホンを私たちはつけて、いつもと同じようにベッドに横たわる。音楽を再生しようと携帯を開くと、レナ様から「リナー」とだけメッセージが送られてきていた。私は「はーい、どうした?」とだけ返して、音楽を再生する。すぐにベッドに身体が沈み込む。

 今日の音楽はアイスランド人の女性ボーカリストの音楽だった。ゆったりとしていて。音数が多く、それでいてその人の声が幾重にも重なって、まるで波の様に私の脳内を動く。その感覚が気持ちよくて、目を瞑る。行ったこともないし、写真でもろくに見たことがないアイスランドの風景が目の前に広がる。これがアイスランドかは分からないけれど、ただ確信できた。

 広い草原で様々な場所から色々な音が聴こえてくる。打楽器の音は人の足音にも聞こえる。草原だからあんな音はしないはずなのに。ただ、そう聞こえてしまう。遠くの風車が回っている。その風車の動きに合わせて、弦楽器の音が流れてくる。今日は特に音楽と風景がマッチしていた。曲が変わり、ボーカリストの声が響いている。後ろで重低音の弦楽器が唸っている。それが地面から聞こえる。ただ私は首を動かすことができない。ただ目の前の風景は絵のように固定されていて、そして多方から聞こえてくる。曲の展開に合わせて、絵が回転する。右回り、左回り。私は絵の中に居るのに、私の目の前で絵が回転する。

 私の後ろから、私が私を見ている。その後ろから、また私が見ていた。

 いつもより深くその空間に居るという感覚があった。ふとした瞬間に現実に戻るときがある。それはあまりにもリアルな瞼の裏の風景が怖くなり、現実に戻れるかどうか試すように目を開いてしまうからだった。先ほどまでの鮮やかな緑、青、白、黄、赤は消え、真っ暗闇が目の前に広がっている。そこで、ほっとしてまた目を閉じる。いつもなら曲の変わり目や、こうやって一度目を開いた後は風景が変わるのに、今日の私はずっとアイスランドにいた。そして、目を閉じると同時に、曲が変わる。そのタイミングで、以前経験した重力の変化を感じた。

 ベッドが傾いている気がする。

 ただそれが思い違いであることは以前の経験から明白で、だから今回は何も恐れることなく目を閉じていられた。身体は硬直している。瞼の裏では固定された世界が回る。そして重力が変わったかのように、ベッドが波打つように変化する。
 

 三時間くらい経った気がして、ようやく一枚のアルバムの半分まで来ていた。少しの休憩として一度イヤホンを外してみると、相変わらず冷蔵庫の鳴き声とエアコンの唸り声と、隣の蓮見の呼吸音しか聞こえてこない。その事実にも安心し、今度は蓮見を向くように左向きに体勢を変えた。確実にいつもより頭が冴えきっている。ぼおっとしているのは確かだけれども、どこか爽快感がある。それでいて身体は重く、何もしていないとマットレスに引きずり込まれそうになる。そのギャップがおかしくて、そして心地よくて、私はまた目を瞑る。
 

 しばらくイヤホンを外して瞼の裏を楽しもうと思った。今聞こえている音だけでも十分だろうか。そう思いイヤホンを外し、目を瞑る。
「どう?」
 そのときに急に蓮見から声を掛けられた。
 蓮見はいつものように肘をつくのではなく、私の方を向き、私の線対称のような体勢で寝っ転がっている。
「たのしい」
 私は今の状況を伝えるのにそれ以外の言葉を持っていなかった。
「俺も」
「やっぱり?」
「うん」
「どういうのが見えてるの?」
 蓮見は答えない。
「ねえ、どういうのが見えてるの?」
 それでも蓮見は答えない。
「ねえってば」
 あまりにも答えが無いので、蓮見を見るために目を開く。
 目の前の蓮見は、まだイヤホンに耳を支配されながら目を瞑っていた。指がとんとんとリズムを刻んでいるのが振動で伝わる。
「え?」
 

 そのことに気付くと私はこらえきれなくなり笑い出してしまった。先ほど見えた、こちらを向き寝っ転がっている蓮見は幻覚で、それで繰り広げられた会話は幻だった。私は幻に返事をしていた。そのことがたまらなく面白くなり、蓮見の肩を叩く。
「ん? なに?」
 叩かれた蓮見は最初不安そうな顔をした。私の体調が悪化したのではないか、という顔をしている。
「いま、蓮見って私に話しかけてないよね?」
「はぁ?」
 その反応からして、さっきのは確信になった。
「ふふ、幻覚みちゃった」
 笑っている私の顔を見るなり、蓮見は肩透かしを喰らったようにため息をつく。
「随分楽しそうじゃん」
「だって初めてなんだもん」
「普通怖がったりしない?」
「蓮見と一緒だから」
 蓮見がきょとんとした目で私を見る。
 自分自身が発した言葉にすぐ気付けるほど、今の脳の機能は健全じゃなかった。
 徐々に自分が何を言ったかを思い出し、恥ずかしくなる。ただ、先ほど幻覚に話しかけていたときを思い出せば、何も恥ずかしくなかった。恥ずかしさはすぐに消えていく。今思えばかなりアブない情景だったとは思うけれど。

「じゃあ」と言って、蓮見は右手を伸ばした。その意図を読み違えるような脳でなくて良かったと思いながら、私は蓮見の右腕に頭を寄せて、すぐに肩近くまで頭を移動させる。後頭部では蓮見の肘が内側に畳み込まれるのを感じ、私の頭は完全に包み込まれた。
 

 このまま二人でマットレスの中に引きずり込まれてしまいたい。誰も知らないところに行きたい。それこそ瞼の裏のような。
 そう願いながら私は蓮見に続いて、イヤホンを耳に突っ込む。聞こえてくる音楽は先ほど聴いていたものの続き。瞼の裏には変わらずアイスランドの草原が広がり、今度は首が動かせた。
 隣には蓮見がいる。

 目覚めると、私はまだ蓮見の腕の中にいた。眠りに落ちた時間も自覚も無く、ただ目覚めるという感覚のみがあるのは不思議な気分だった。鼻先がくっつくくらいの距離に蓮見が居る。今まで同じベッドで過ごしておきながら、これほどまでに近いのは初めてだった。
 私は、尿意を感じてトイレに行く。排尿困難でない状況であるということは、少しずつ薬が抜けているという証拠だった。携帯を片手に、蓮見を起こさないようにゆっくりとベッドを出る。私が居なくなったことが原因かは分からないが、蓮見が少し体勢を変えた。その姿に微笑みながら、トイレに籠る。便座に座り、携帯を見る。そこで昨日レナ様から連絡が来ていたことを思い出した。返事をしようと思いアプリを開くも、肝心のレナ様のアカウントが見つからない。昨日連絡が来たことは記憶にあるけれども、どんな会話をしたかは覚えていなかった。

 嫌な予感が頭をよぎる。裏アカをフォローしていた数少ない人たちも気付いているようだった。『レナ様が消えた』と言っている人もいる。

こうして、レナ様は仮想世界から完全に旅立った。

 アカウントが消えてしまうと、それまでの私とのやり取りも全て消える。だからこそ、昨晩のやり取りが思い出せなかったことが何よりも悔やまれた。最近は情緒が安定しているように見えたので、安心しきっていたけれど、よくよく考えてみればレナ様自身が変わったわけではなかった。レナ様の周囲の環境が落ち着いているから、レナ様が落ち着いていた。ただそれだけのことだった。
 一体何があったのか。どんな理由でアカウントを消す羽目になったのかは、今の私には想像がつかない。今まで『消える』と言いつつ残り続けていてくれた彼女が、こうして急に消えてしまったことに、消失感を抱きながら、私はトイレに籠っていた。

 そして、学校が始まる。 

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眠れない夜に

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rina

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rina
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