生きにくい性格でもなんだかんだで生きている話。

自分はとにかく生きにくい性格をしているとおもう。最近はやりのHSPだか繊細さんだか知らないが、そんなものが世の中ではやる前から、「あぁ、自分は生きにくい性格してるな」と自覚して生きていた。

  • 気に食わないものがあるとずっと溜め込む。吐き出したりはしない。なぜか溜め込む。

  • 不意に昔のことがフラッシュバックする。小学生のころ恥ずかしい思いをしたこととか。

  • 集団で遊ぶのが苦手。とにかく一人が良い。もしくは少人数。3人以上は集団だ。

  • 突然縁を切りたくなる。人間関係が面倒くさい。もう人が嫌いまでいく。

  • マウントをスルーできない。言葉の裏を考えてしまう。人の笑い声が苦手。とにかく無音の空間で一人でいたい。

とまぁ、ざっとあげただけでこれぐらい。これがHSPだかなんだかは知らないが、まぁまぁ生きにくい性格はしているなと思う。嫌味や指摘をその言葉以上に重く受け止めて自分の中で消化することができないタイプだ。ストレスも抱える。そしてそのストレスの発散方法が分からないから溜め込む。このエンドレス。

人間社会で生きていくのであれば、この生き方はまるでなっていない。私はおそらくジャングルでも生きていけないタイプの人間だ。(ジャングルで生きていけるのはターザンとポカホンタスぐらいかもしれないが)

あと、いちいち忘れることができないのだ。あの時あれされた、これされた。それを思い出しては「ああああやだやだやだ」となり、脳みそをぐちゃぐちゃにかき回す。そしてぐるぐる頭を回した後に「まぁそれは置いておこう」と、記憶ごと別の場所に放り投げなければ、その嫌な気持ちを手放すことができないのだ。いちいち作業が生じるのが面倒くさい。

面倒くさい。本当に面倒くさい。生きているのも面倒くさい。しかし、死ぬのも面倒くさい。何をするのも基本は面倒くさいのだ。

とことん生きにくい性格をしているせいで、会社も合わなかった。こんな人間にパワハラは良くないぞと会社のやつに(心の中で)言ってやめた。あと一歩で私は人間をやめていただろう。そんな生きにくくむちゃくちゃにメンタルの弱い豆腐である私でも、なんとかここまで生きてきた。

生きにくい性格をしていても、なぜか生きていくことはできるのだ。おそらく、「この空間で頑張って生きていかなくちゃ!!!」という感情が一切なかったからだと思う。

「あーだる、めんど。自分の生きやすい空間つくろ」という基本面倒くさいだるだる人間だからこそ、余分なものは排除し、好きなものだけを周りにおき、自分が生きていけるだけの酸素やら二酸化炭素やら窒素やらを囲い、私専用の空間を作った。

それをしないと、生きにくい性格の人は生きていけないのだ。会社?やめちゃえばいい、転職だってなんとかなる。フリーランスでもなんとかなる。恋人?どこか無理なとこがあれど「私にはこの人しかいない」なんて思ってはいけない。どこかにいるさ、合う人が。基本的にどこかしらで「なんとかなる」という気持ちもあるから、なんだかんだで生きていけているのかもしれない。

無理は禁物だ。逃げることは正しい選択だとおもう。ポケモンだって逃げることはできるし、どんなゲームでも逃げる選択は残される。人生も同じでは?なんというか、たった一度の人生だとか、逃げるな立向かえとかそういうきれいごとも嫌いなのだ。

生きにくい性格をしている人は、きれいごとや美化されているお涙頂戴話なんかが苦手ではないだろうか。私だけかもしれないが、私はきれいごとが大嫌いである。そして、なんでも美化することも嫌いだ。

本当に生きにくい面倒くさい人間だ。私の旦那はとにかく世渡り上手でコミュ力も高く私なんかとは正反対の人間であり、「本当に生きにくい性格してるなぁもう」とあきれながら私の性格を理解してくれる。なぜこんな人が私を好きでいるのかいつも不思議に思うが、彼が言うにはこうらしい。

「芯がある。意見を曲げない。頑張り屋。そんなところが、自分にはないから好きだと思った」


生きにくい性格をしている人は、どこか自分の中で考えや意見があるのだとおもう。その基準が外れるから、生きにくくなるのだ。「どうして?」「なんで?」「私が変なの?」「なんで皆はこうなの?」その考えにとらわれすぎてぐるぐると思考が回り、最終的にパンクするのだと思う。

HSPや繊細さんというのがどんなものかは分からないが、私のような生きにくくTHE社会不適合者シリーズの人間は、自分の中に芯が入っているのだろう。

もちろん、それが先入観ごりごりに固まってたり他者の意見を聞き入れない頑固な人間は別だ。他者も受け入れつつ、自分の意見も持ちつつ、しかし時にそのバランスが悪くなり平衡感覚がとれなくなる瞬間がある人は、生きにくい性格なのではないだろうか。

ようはスルーができないのだ。

「それはそれ、これはこれ」と考えらえるように、私も精一杯生きていきたいなと思う。とりあえず、絹豆腐から木綿豆腐には成長できているので、次は固めのプリンになろう。

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