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子どものためにも親のためにもなってない気がする子育て支援

夏休みのような長期休暇になると、必ずタイトルのような気持ちになってしまいます。子育て支援に関わる職場という意味では同じでも、学童・放デイ・保育所・幼稚園と形態は変わっています。勤務形態も色々。担任の時もあったし、フリーの時もある。勤務時間も長くなったり短くなったり…、でも、いろいろ変えてみても、やはり今年も同じ気持ちになってしまいました。

さらに今年の夏は長期休暇と子どもへのコロナ感染拡大が重なったこともあって、例年以上に「子どもに長時間、家族以外の集団で密集した生活をさせる意味」を考えてしまいがちでした。

私のやっていることって、子どものためになっているんだろうか。親のためになっているんだろうか。

ごくごく目先の利益(今、親が時間がなくて大変だから、代わりに子どもをみる)だけにしかなっていないのではないか。

目先の利益だけでも満たしているのだからいいじゃない。

そういう考え方もできるだろうし、現に様々な子育て支援の職場で長く働いている方たちには「あんまり考えすぎたら続かないよ」「私たちは言われたことをやるしかない」「何もしていないわけじゃないのだから、それが最善だ」「自分もいろいろ訴えてきたけど、結局変わらない」「家に帰ったらすべて忘れる事」などと言われてきました。

どこで働いても、子どもは長時間あずけられていました。
学校や園が休みになっても、延長保育として家以外の場所にあずけられていました。この子たちは、子どものうちに長期休みの経験がないということは、大人になってさらに休みがない人生を送るのだろうか…一生休まないのだろうか…そんなことを考えないわけにはいきませんでした。

夏休みのような長期休暇は、子どもたちの場所の移動(たとえば、小学生なら平時は学校から学童への移動がある)も用意されているカリキュラムなくなり、同じ場所にフリーな状態(フリーと言っても、子ども主体の自由さはなく、できないこと・やらないといけないことが決められた上でのフリー💦)でずっと居続けることになるので、子どもたちも飽き飽きしてしまい、ストレスなのか、もめごとや愚痴・スキンシップを求める態度が増えます。

それをうまく対応するのがプロでしょう、と言われたこともありますが、果たしてそうなのでしょうか。もともとの設定に無理があるとの判断でせっかく改善点を申し出てても、「その無理を通すのがプロの技でしょう」ということらしいのです。こうなると話ができません。そして前述の「言ったって変わらない」という人が増えて、残る人は「深く考えても無駄、言われたことだけを淡々とやるしかない」という選択をするのでしょう。

学童などでは、子どもたちは自由にゆったり過ごしていると親御さんは思っているのかもしれません。でも考えてみてください。低料金で、子どもの人数に対して狭い空間で、少ない大人が大勢の子どもを見ている場合、子ども個人が尊重される自由がそこに約束されているとは考えにくくありませんか。そんなことをしていたら、怪我や事故が増えてしまいます。大事なお子さんをあずかっている責任上、事故がないことは最優先されるので、それ以上のことが行われていると期待することは難しいです。(※もちろんそういう学童もあるでしょうが、それにはできる理由があると思います。それはおそらく、金銭的ゆとりか保護者会などのボランティアで人的支援のゆとりがあるなど)

今年も大勢の泣いている子と一緒に過ごしました。
ママに会いたい。家に帰りたい。

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