企業文化から「本当の優しさ」について考える

適切な進化圧がかからない日本

先日、とあるEXPOへ行った。
そこの一画では声高に「リスキリング」が叫ばれていて驚いた。

経済産業省によると、「リスキリング」の定義は以下の通りだが、この概念自体に異論はない。むしろ大昔から当たり前になされてきたことだと思う。

リスキリングとは
「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」

経済産業省「リスキリングとは」


ただ、日本の「終身雇用」や社員をなかなか解雇できない「労働基準法」を踏まえると、リスキリングをせずとも(努力せずとも)その環境から追い出されることはないのにも関わらず、企業側から言われて(促されて)リスキリングをするインセンティブはどのように働くのか?という疑問が過ぎる。

もちろん、リスキリングによって「昇給が見込める」「他の領域でも活躍できる」というのが謳い文句だと思うが、いわゆる窓際社員で給与にも不満がなく、毎日特段仕事をせずとも毎月お金をもらえている人々にとっては、「頑張らない方が得」という状況になっているので、それらは積極的にリスキリングをする要因にはならないだろう。

6才でみんな気づく、誰かに強制されて行う学習の非効率さ

小学校に入り、多くの人は親や先生に「勉強しなさい」と言われた経験があるだろう。(我が家は言われたことがない少数派だが、少なくとも何人かの先生には言われた記憶がある)

果たして、「勉強しなさい」と言われて嬉しい気持ちになった人、前向きな気持ちで学習に取り組めた人は、どのくらいいるのだろうか?

何事にも2:8の法則が働くので、0ではないのだろうが、多くの人が嫌な気持ちになった経験があるのではないだろうか。
また、自ら進んで興味を持った分野の学習の方が、効率よく、楽しく、博識になれた経験が誰しもあると思う。(この内発的動機については話が逸れてしまうので以下の記事をご覧いただきたい。)

予告された報酬は創造性を低下させる|R (note.com)

多くの人が「人に強制される学習のつまらなさ」を体験しているはずなのに、大人になってもこの構造を変えない。私はこれが不思議でたまらない。


本当の優しさとは?

この小見出しは私が常々考えていることであるが、米国企業の「Up or Out」の文化一見恐ろしく思えるが実は優しい仕組みだ。(逆に日本の「終身雇用」という”保証”の幻想は恐ろしいと思う)


これは「昇進するか?辞めるか」という意味で、「現状維持」ということはないことを示している。

一方で、法律上社員をなかなか解雇できない日本企業にはこれができない。なので社員は会社にしがみついていれば、会社へ貢献していなくとも、ベーシックインカムの如く、給与を受け取ることができる。

一見、ラッキーに見えるが、これは物凄く残酷な仕組みだと思う。
頑張っても結果に結びつかないのであれば、「そこに自分の適正がない」ことに早期に気づけるし、踏ん切りをつけることができれば、方向転換をすることができる。今ある環境よりも、少ない労力で、より高いパフォーマンスを発揮できる業界、職業に出会える可能性も高まる。

自分のキャパシティが業界の求める基準には達していない可能性もある。キャパシティ(バケツの大きさ)は人それぞれ違うので、良い悪いではなく、バケツから水が溢れてしまったら精神や身体に支障をきたす。人は誰しも長時間費やしても飽きないことと、5分やっただけでも気持ちが滅入ってしまうことがあると思う。あなたにとっての「嫌いな仕事」は誰かにとっての「好きな仕事」であり、あなたにとっての「好きな仕事」は誰かにとっての「嫌いな仕事」なのだ。

つまり、広い視点で考えると、「誰かが嫌々でもその仕事を続ける限り、その仕事のポジションは空かないので、その仕事をやりたい誰かがそのポジションに就くことができない。」この負の連鎖が実は当たり前に起きているのが現代だと思う。
(嫌々仕事をやっているあなたは、その席を降りないがために、誰かがやりたい仕事に就く機会を奪っているかもしれない。)

また、「Out」する可能性がある以上、サボる予断を許さず、適度な緊張感を持って仕事をすることができる。(セルフパノプティコン[2]状態)

その結果、自発的に、新たなスキルや知識を獲得しにいくインセンティブとして働く。それが繰り返されていくことで、結果的に様々なスキルを身につけていたり、知識豊富な人材になっていく。

もちろんアメリカの企業文化の問題点もあるため、丸ごと迎合すべきではないが、日本の現在の法整備、企業構造では新陳代謝が生まれず、企業にとってはもちろん、個人レベルでも、誰も幸せではない状況になっているように思う。

本当にリスキリングを促進したいのであれば労働基準法の、解雇に関わる法律を改正することがもっとも手っ取り早いのはいうまでもない。
(裏を返せば、政府がリスキリングを推奨しないといけない程、日本人は自主的に学ぶ人が少ないのかと思うと恐ろしい。)


死ぬまで学びは終わらない


最後に、大学の時に履修していた動物学の授業で学び、ハッとさせられた、「Red Queen’s Hypothesis」[1]を紹介したい。

「It takes all the running you can do, to keep in the same place.」
「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」


これは『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王が作中で発した台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられている。(ランニングマシーンで走っている人を思い浮かべるとイメージしやすいかもしれない)

つまり、今の環境を維持するためには、今と同じで居続けていると気付かぬうちに衰退していくので、今ある環境を維持するためにも多少の努力をしなければならないということだ。

「現状維持」とは何もせずにその環境に居続けられるという意味ではなく、昨日よりちょっと頑張ってるくらいでようやく維持できる環境であり、結局人間は生物である以上、一定の努力なしでは現状を維持することすらできないのだ。

これから日本は人口も減少し、現状のシステムを維持することすらままならなくなってくるだろう。これをシステムで解決する方法を模索する必要があり、その解決方法の1つはDAOであると信じて、今日も思考の海に潜りたい。



[1]] 生物の種は絶えず進化していなければ絶滅するという仮説。ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王の、「同じ場所にとどまるためには、絶えず全力で走っていなければならない」という言葉にちなむもので、進化生物学者リー・ヴァン・ヴァーレンによる造語。現状を維持するためには、環境の変化に対応して進化しなければならないこと、例えば、食うもの(捕食者)は、もし食われるもの(被食者)がより素早く逃げる能力を獲得すれば、今まで通りに餌を取るためには、より速く走れるように進化しなければならないといったことを指す。そしてこの進化を繰り返し、捕食者の数が増えたり、被食者の数が増えたりの波を繰り返しながら種は進化、発展していく

[2] パノプティコンとは、パノプティコンは、18世紀のイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが考案した監視システムの概念。このシステムは、中央に監視塔を設け、その周りを取り囲むように配置された円形の建物から成り立っており、建物には個別の監房が並び、監視塔からは全ての監房を一望できる。囚人が常に監視されていると感じさせることで、自発的に規律を守らせる。実際には監視者が常に見ている必要はなく、監視されているかもしれないという認識だけで効果を発揮する。
「セルフパノプティコン」は筆者の造語で、ここでは自分がそのシステムの外に投げ出される蓋然性を自ら鑑みて(監視し)律した状態を保つ努力をしている状態を指す。


Work Cited List

 経済産業省「リスキリングとは」2021. 002_02_02.pdf (meti.go.jp)




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