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安生亮太さん ~陸前高田とりんごへと懸ける想い~


今回お話を聞いた安生亮太さんは、岩手県陸前高田市であんじょう農園という米崎リンゴを扱ったリンゴ農園を経営されている方です。元々は神奈川県川崎市出身で高校を卒業してしばらくして陸前高田に移住されました。

安生さんが初めて陸前高田を訪れたのは農業高校二年生の頃でした。被災地に訪れたいという思いがあった安生さんに対して、中学時代の恩師が「ボランティア活動などではなく、訪れるだけでもいいのではないか」という言葉に背中を押され被災地へと向かいました。その際に陸前高田で出会った方と仲良くなり連絡を取るようになった安生さんは、それからも定期的に陸前高田へと足を運ぶようになりました。

高校生の頃は恩師への憧れから教員を目指していた安生さん。高校三年生の頃に病気の影響で進路を決めることができずに卒業した安生さんでしたが、教員になりたいという目標からその恩師の下でサポーターとして特別支援学級で勉強を教えていました。そこで校長先生からの推薦をもらい、大学の教育学部へと進むという道を選びました。

しかし、まだ社会に出ておらず、社会を知らない状態で教師として子供と接していていいのだろうかという疑問が芽生えた安生さんは、元々強い興味を持っていた農業をやってみようという考えに至りました。
そこで二年間の農業研修を経て、米崎リンゴの畑を借り、「あんじょう農園」として栽培を引き継ぎました。それから約三年間リンゴ農園を経営していた安生さんでしたが、今年の春に病気を発症してしまったことから農園を経営することが困難となり、現在は川崎の方に戻られています。悔しいという言葉も口にされていた安生さんでしたが、一旦帰ってきているだけで自分の戻る場所は陸前高田だとお話しされていました。

川崎に戻ることとなった原因としては病気のほかにもいくつかありました。お話されていた中で特に印象に残っているのは、農業を生活の基盤としていくことの厳しさや農業のリアルな部分です。リンゴ単体の経営で生活していくことの難しさをお聞きして、農業で収入を安定させるためには加工品に製造することが必要となってくるということを知りました。しかし、そういった事業を進めていくにも大きな労力や、資金を要するのです。

安生さんはこの五年間で様々なものを得たと話されていました。得ることができた大きなものとして挙げられていたのが人とのかかわりです。陸前高田に移住したことで、現地の方々とのかかわりはもちろん、自分たちを含めた民泊なども受け入れていたことで、本当に多くの人たちとかかわることができたと話されていました。私たち自身民泊で安生さんにお世話になった際、とてもよくしてもらったことが印象に残っています。

現在は川崎でお仕事をされている安生さんですが、お話の中でもあったように今でも陸前高田に戻ることは常に考えられています。今は農業再開のときのために体力が落ちないよう肉体労働を行っているそうです。また、どのようにリンゴを販売していくかの戦略やリンゴに対しての知識や想いを聞いていると、本当にリンゴが好きで、強い熱意を持ち続けているということがとても伝わりました。その熱意は日本だけではなく世界にまで向けられていました。少し先にはなるかもしれないと話されてはいましたが、陸前高田に戻られリンゴ農園を再開することが私たちも楽しみです。その時に太田ゼミとして協力できることがあればぜひご協力させていただければと思います。
                        (4年小林 3年水谷)