やさしい共感  【小話・1678字】

 白黒田にとっても、この会社にとっても、この会議での失敗は許されなかった。重役がお見えになるから粗相のないようにと、白黒田は上司に念を押されていた。徹夜して資料を作り上げた。大丈夫、準備は万端だ、自分にそう言い聞かせてプレゼンを始める。

 「白黒田でございます。よろしくお願い申し上げます。本日は貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。それでは、さっそく始めさせていただきます。お手元のタブレットから、資料15-③をお開きください。前のプロジェクターでも同じものを投映してございますので、見やすいほうをご覧になっていただければと存じます。なお、こちらの資料は社外秘となってございますので、会議終了後に回収させていただきます。資料の内容等のお取り扱いには、十分ご注意をお願い申し上げます」
 会議室は静まりかえっている。マイクを通した自分の声とプロジェクターのファンの音、会議に出席している面々の息づかいまで聞こえてくるほどだ。
 それもそうだ。この会社は今、COVID-19の影響で会社の存続さえ危ぶまれる状況に陥っているからだ。帝国データバンクの2020年4月報によれば、倒産件数は758件(前年同月比16.4%増)と8カ月連続で前年同月を上回り、8カ月以上の連続増加は2008年6月から09年8月(15カ月連続)以来とされる。この会社とて、明日は我が身である。
 現在の状況説明、某企業との訴訟の段取り、そして、キャッシュの状況。白黒田の声は、重苦しく緊迫した空気の中で静かに響いていた。
 「こちら……という状況になっておりまして、今、こちらからこちらに……執行している段階です」。
 白黒田は何としてでも今日、あるプロジェクトにメスを入れることを通さなければならないと考えていた。そのプロジェクトは社内でも言わずと知れた「触らぬなんとか」と呼ばれている人物が進めているもので、誰もここに手を出そうなどとは考えない代物だった。白黒田がやろうとしていることは、パンドーラーの甕、浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱、古今東西で語られている開けてはならないものを開けることと同じだった。そして、「王様の耳はロバである」と山の中に掘った穴の中に向かってではなく、王様も将軍様も右も左も敵も味方も全員がいるところでぶちまけることと同じだった。派遣切り、人員整理、資産の売却、倒産・・・、いや、それはどれも何としてでも避けなければならない。変えられるものを変えていく勇気を持たなければならない。否、変えられないと思っているものにこそ、切り込んでいかなければならない。
 「こちらの表をご覧ください。ちょっとビジーなものになってしまっていて申し訳ございません。平成29年度は収支の状況がこのようになってございまして、特段問題なく進んでございました。平成30年はこちらの表にあるとおり、このような状況でございます」。
 ここからが重要な局面である。白黒田は、マイクを握り直す。
 「それから、こちらのグラフにありますように平成31年度は、あっ、えっと、令和元年4月から、あ、えっと、平成31年の10月は……、平成32年……、あっ、令和元年4月、ん? 平成31年5月、あれ? すみません。えっと……、平成……」
 会議室が静まりかえっている。プレゼンの持ち時間は5分だ。今、何秒経ってしまったのか。プロジェクターのファンの音だけが響いている。白黒田は急に頭が真っ白になってしまった。白黒田は、落ち着けと心の中でつぶやいた。落ち着け、俺。落ち着くんだ。大丈夫だ。落ち着け。脂汗が出てくる。自分が何の話をしていたかも分からなくなってきた。今日、俺は、ここに何をしに来たのだ。違う、違う。平成だ。いや、令和か? 白黒田はうつむいて、指を折りながらぶつぶつと数えている。今年は、いや、去年は何年だ?

 「要するに、2019年度ですね」

 会議に出席している者の一人が、そう声を掛けた。白黒田は小さく「はい」とつぶやき、はっと顔を上げた。周りを見渡すと、出席者全員が白黒田を見つめていた。みんな、やさしい目をしていた。








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ご参考までに載せておきます。

平成30年は、2018年1月1日から12月31日まで。
平成31年は、2019年1月1日から4月30日まで。
令和1年は、2019年5月1日から12月31日まで。
令和2年は、2020年1月1日からで、現在進行中。

組織ごとに違うものですが、いわゆる4月に始まる年度は以下のとおり。
2018年度・平成30年度は、2018年4月1日から2019年月31日まで。
平成31年度は2019年度で、2019年4月1日から2019年4月30日まで。
令和1年度も2019年度で、2019年5月1日から2020年3月31日まで。
2020年度・令和2年度は、2020年4月1日からで現在進行中。平成32年度は2020年度・令和2年度。

免許証が平成のままになっている方もおられますよね。ご参考になれば幸いです。
2021年は、平成にすると33年。
2022年は、平成にすると34年。
2023年は、平成にすると35年。
2024年は、平成にすると36年。
2025年は、平成にすると37年。

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