定期ゲーのパズル要素って必須なの?
定期ゲーの中でもパズル要素強めだった霧のひとが何を言っているのか、という話ですが、むしろ、パズルやりすぎてもうパズルは嫌だ、となっています。そういう記事です
定期ゲーのパズルとは
要するに、要素(だいたいスキルや装備品のこと)と要素を組み合わせて爆発力を出して敵を粉砕する、その組み合わせのレベルを高めていくゲーム、のことを、この記事では「パズル」と表現します
なぜ定期ゲーはパズルになるか
その前にまず、定期ゲーに見られやすい特徴をいくつかまとめていきます
オリジナルキャラクターを登録する
成長リソース量が共通
できるだけキャラステータスに格差を求めない
スキル取捨選択で個性を出す
なぜそうなるか。それは、自分のキャラが他のキャラより著しく弱い条件で成長している、という感覚が嫌というのが理由の一つです
成長によるパラメータが、共通のリソースで運用されている以上、プレイヤーはそこに平等感を得るわけです
しかし、そうするとスキル取捨選択、あるいは装備品の選択でキャラの個性を出す必要があります。みんな同じ性能の紋切り型では、プレイヤーキャラを作るという実感が持てないからです
そのスキル・装備品の取捨選択が共通リソースという制限下で著しくパズル化します。それは取捨選択の報酬が強さだからです
何のために強くなるのか。なぜ強くなるのか。どうすれば、強くなるのか
平等なキャラクター、格差のない成長。その制限下では、プレイヤーの思考能力を活用したパズルに報酬を与えることでしか、ゲームを成り立たせられないのです(一部の例外を射抜いた神ゲーを除く)
どうやってパズルを脱却するか
霧ゲーがなぜパズルを脱却したいのか。理由は、パズルを楽しむゲームは他に面白い定期ゲーがいっぱいあるし、霧ゲーのニッチなモチーフ(ロボとか、変わった世界観とか)とニッチなパズルを組み合わせても意味は少ないと思ったからです
ところが、霧ゲーはだいたい装備部位が10個程度あるので、それが強力なパズル因子になってしまいます。10個も組み合わせ選ばせたら、どう考えてもパズルになるからです
それに、キャラの平等性を欠いては、不満となるのは目に見えています。素直にパズルを捨てるのは難しいのです。では、どうするか
ヒント:数字を大きくするゲーム
広告でよく見るゲームで、強さの数字を大きくするゲームがありますよね。強い敵を倒し、強さを得て、さらに強い敵を倒せるようになる
アレはアレでパズルなのですが、パズルと意識させない単純な構成になっていて、すごく簡単そうに見えます
それを利用して、パズルでありながらパズルを脱却する、そういうゲームについて考えてきました
強い敵を倒し、強さを得て、さらに強い敵へと挑んでいく。その選択肢は、3つくらいでちょうどいいだろう
分かりやすくて、とても良いです。無数にあるマーケットのパーツから的確なパズルのピースを見つけるのも楽しいですが、それは昨日までの話です
ヒント:不平等の、格差のリセット
ゲームを長く遊ぶと、通常のゲームはどんどんプレイヤーキャラが強くなっていきます。そうなると、登録したオリジナルキャラクターに「結局長く遊んだだけ強い」という不平等感が生まれます
しかし、長く遊んでもプレイヤーキャラは強くなりません、だと、ゲームが適切にインフレせずつまらなくなります。なので、スキルギミックパズルによって試行錯誤と達成感を与え、ゲーム体験をインフレさせる必要があります。なので、定期ゲーはパズルになります
それは他の定期ゲーに任せます。霧ゲーは「強さの限界に達した段階で強さをリセットさせ、その限界に向かってリトライを促す」というローグライトの様式を目指します
長く遊んで格差が生まれるのなら、限界とリトライを組み合わせて、天井による格差のコントロールを行う、ということです
加えて「他プレイヤーに加勢する際はステータスが固定」という仕様で、自分の結果内で活躍しすぎる加勢キャラ、というモヤり感を軽減します
ヒント:最後は運
これは運ゲーにしたい、という意味ではないです。「最後にものをいうのはPLの能力」ということにしたくはない、ということです。PCも頑張った、PLも頑張った。最後に運が良かった、良くなかった、で仕上がる体験にしたいということです
でないと、早々に「このゲームは自分の能力を超えている」という壁に当たって、ゲームを去ります。プレイヤーも多く、パズルも面白いゲームなら耐えられますが、霧ゲーのようなモチーフがニッチなゲームだと死活問題です
まだ、道の途中
もちろん、定期ゲーのメインストリームはパズル要素が強く、プレイヤーもパズルに慣れています。新しい霧ゲーはさらに新しい方面を開拓しています。厳しい道になります
それに、霧ゲーからまだパズルをそぎ落とせていない可能性もあります。まだまだ、未完成、ということです
しかし、その道に進むのも、なかなか楽しいものです。長い、長い道のはじまり、失夏から続く、一連の試行は、始まったばかりです
その果てに、新しい景色が見えると信じて。霧の、その向こう側へと
常に、新しく一歩を踏み出しています
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