田中頼三再考 第三回 海外の田中への評価について ボールドウィンの場合

 田中頼三は、大東亜戦争中の厳しい評価から一転、戦後になって「名将」として評価をされるようになった。そのきっかけとなったのが、アメリカ人2人による田中に対しての称賛からであった。

 その2人のアメリカ人とは、1人はハンソン・W・ボールドウィン、もう1人は日本でも有名なサミュエル・E・モリソンである。この両者は、ともに戦後、米軍に対する第二次世界大戦での戦訓・教訓を伝えようとして、書籍や投稿記事内で田中への称賛を記述したのである。日本側はそれを受けて、戦後の多くの書籍や記事等で取り上げ続けているのである。
 
 今回はこの両者が書いた田中称賛の内容のうち、ボールドウィンについて見ていく。

 ボールドウィンが田中を称賛したのは、1950年11月に発行された「リーダーズダイジェスト」での「アメリカ軍の欠陥をつく」という記事であった。この記事では、第二次世界大戦で米軍が勝利したのは物量のおかげであり、
「しかし、物心両面からみて、アメリカの質的欠陥は数多く、また大きかった」と指摘し、「アメリカは、常に最もすぐれていたために勝ったのではない。連合各国と併せて最大のものになれたから勝ったのである」としている。そして、ボールドウェインは「アメリカ軍の欠陥」の一つとして「統帥力」を挙げ、その中で田中を以下のように称賛した。

 「沖縄戦を指揮した日本の牛島満中将と、ソロモン海戦の一部を指揮した 
 日本の田中頼三海軍中将は、ねばりと熟練の点でアメリカに教訓を与え
 た」

 実状は決してそんなことはないのだが(熟練の部分については、前々回の経歴において指摘している)、なぜか米側はこのように田中を評価した。その根拠は何であろうか。ボールドウェイン自身は根拠を示してはいないが、おそらくガダルカナル攻防戦中に生起した「タサファロンガ海戦」のことであろう。この海戦では、圧倒的優勢であった米海軍が圧倒的に不利な態勢であった日本水雷戦隊に大敗を喫したのであるが、その事について米側は海戦直後からかなり動揺していた。戦後になってもアメリカはこの時の大敗を相当気にしていたのである。

 
 このボールドウィンによる評価が日本語版の「リーダーズダイジェスト」誌に掲載されてから、米軍に認められた提督として日本でも多く称賛する書籍が記事が書かれるようになり、現在にいたっているのである。
 
参考文献 



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