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高等学校の「高等」の意味を考えてみた

今日は涼しい秋らしさが一日中続きました。素直にありがたく受け止めています。家もエアコンを点けることなく過ごすことができ、家計に少なからぬ恩恵を受けました。このまま秋が深まっていくのでしょうか?

さて、……。

高校は高等学校の略。「そんなことは分かっている!」と怒られそうだけど、では「高等」という言葉の意味をあなたはどのように受け止めておられるだろうか。今回はそれを考えてみたい。

高校への進学率は、既に97%を超えている。これはほぼ全入と言ってもよい。では高等な学校で教える内容を、生徒ほぼ全員が理解できているだろうか。或いは、もしほぼ全員が理解できるとしたら、教えている内容が高等だと言えるだろうか。

詰めて考えると、このようなパラドキシカルな命題にぶち当たる。

この手の問いを発すると、結構な確率で「学校で学ぶことは勉強だけではない」といった意見が出される。でも、それについて私自身否定はしないものの、命題に対する答えとしては不適当。正直、脱線していると評価してしまう。

私は大学時代、アルバイトで塾講師をしたことはある。所詮は一つのエピソードに過ぎないことを冒頭でおことわりさせて頂くが、この時の体感として基礎的な内容なら全員とまではいかないものの6割程度の生徒は理解できると感じている。

ただ、それに続く応用課題や発展的な学習となると心許なくなる。正解にたどり着けるのは2割〜3割程度であろうか。

もし基礎的な内容を理解できるならそれでOKとするならば、意外とその割合は高いと受け止めることもできよう。

でも、高等学校生の半分以上は更に上級の学校、大学・短大や専門学校に進学する。この進学する過程において入試があり、入試は基本的に成績によって上位者を選抜する仕組みであるがゆえに基礎的ではない難しい問題が出される。

そうしないと差が付かなくて選抜の根拠がなくなってしまう。だからやむを得ないとは思うものの、それって学業の本質なのかという疑問を禁じ得ない。

こんなことを考えたのは、娘が志望校を選ぶ時期に当たっており、ここのところ週末になると妻か私と一緒に学校見学をしているから。そういう場での説明を聞いていると、学校の方針として受験に特化しているところと、生徒の理解を重視するところで明確に差が出てくるのを感じる。

娘にとってどちらが幸せなのかは今のところ断言できない。でも、分からないことを分かる喜びって自己肯定感を保つうえでも大切なことだよなあと思う気持ちはある。甘いと言われればそれまでだけど。

お読み頂き、ありがとうございました。

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