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人生の 黄昏時の 人付き合い

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さて…… 

川柳のようなタイトルだけどw、退職後が視野に入ってくると、それについてあれこれと考えることは多い。

私がnoteを始めた大きな遠因は、亡父の喪主を務めた経験である。その経緯は小説化して電子書籍にまとめた。それに書ききれなかった内容も含め、教科書ガイド的にnoteにまとめたのが以下のマガジン。

ここからが本題となるが、その亡父の葬儀の列席者は親族のみであった。

葬儀そのものは死亡からそう日を置かずに営まれるし、亡父の勤務先の社友会(OB・OG会)に連絡して供花は頂いたけれど、会が会員に訃報をメールで一斉送信するわけでもないから、それはやむを得ないと思う。

しかし、こちらからの年賀欠礼のハガキに応じてきた亡父の学生時代の古い友人の方を除いては、全くのノーリアクションであった。つまり会社関係者とのご縁は、全く絶えていたのである。

もちろん、亡父が長生きしたというのも一因。退職して四半世紀は過ぎており、平均寿命を大きく上回ったことも合わせて、そもそも父を知る方は少なかったと思料。

そして、それほど人付き合いが上手い方ではなかったと推測されることから、記憶に残るほどつき合った方も少なく、その少ない方も「ああ、辻さん(父)も亡くなったか」以上の感慨は抱かなかったのだろう。

そういう経験があるため、会社での人付き合いってあまり残らないものだと痛感している。だからこそ、自分も退職後の人付き合いを考えなければならないな、と思うのだ。

とは言え、私も学生時代の友人との付き合いも、コアな10人程度を除いては残っていないし、会社勤めをしながら新たな付き合いもなかなか始めにくい。

こういう例は世の中で少なくないらしく、だからこそ定年後に
今日、行くところがない
今日、用がない
というキョウイク・キョウヨウ問題に直面するケースも多いと聞く。

自分の近未来を俯瞰すると、noteでのゆるいお付き合いはますます貴重なものになるとも思う一方、リアルでの人との関わりを増やす努力も、やはり必要だと考えている。

たまたま、今年度は自治会の班長職が持ち回りで回ってきた。これも良い機会だと前向きに受け止めて、もう少し地域に関わるようにしていこうと、小さな決意を固めたところ。

お読み頂き、ありがとうございました。

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