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「私の友達が……」と無邪気に語る人に「その人も友達だと思っているとよいのですが」と返さざるを得ないのは悲しいこと

今日で11月も終わりです。残すところあと1ヶ月で新年を迎えることに、歳月の過ぎる速さを改めて感じます。

さて、……

男50代ともなると新しい友達作りも難しい。かつ昔からの友達も目減りしていく。そうなると、改めて友達って何なのだろうと考えてしまう。

さすがに私の世代ではいないと思うが、かつては「友達だろう?」の一言に押されて連帯保証人の判子を捺してしまい、全財産を失う人もゼロではなかった。

この「友達だろう?」と発言した人と、全財産を失った人の考える友達像は、かなり異なるはず。前者にとっては、自分の借金を成功させるための質草かつ当座の時間稼ぎの捨て駒が、友達に該当するのだろう。

さすがにこれは極論かも知れない。でも、友達をかけがえのない大事な存在だと認識している人がいる一方で、いざという時の担保代わりや踏み台にしてくる人もいるのは事実。

同窓会は、その両者が入り混じる修羅場になることもある。これは、私のようなオジさん世代には結構身近なことでもある。

この手の会合で、自分が大成功している雰囲気を醸し出してはいけない。私などはそもそも一介のサラリーマンでしかないのだけど、それでもターゲットとしての価値があることは認識している。

もっとも、マルチ商法の営業をかけられてもこちらにその気はない。相手もその気配を感じ取ると、別のターゲットを探して去って行く。ただ、それが友達なのかについては大いに悩むし、ぶっちゃけ違うと思う。

相手を利用することだけを考える人であれば、それは友達とは言えまい。お互いの思いや考えを率直に話し合えるのが友達関係だとするならば、利用しようと思った時点で率直な話し合いは期待できないのだから。

秋も深まる頃には、同窓会のお知らせのハガキが結構舞い込んでくる。コロナ禍が収まっている今年は、去年よりもかなり多かった。

ただ私は、前々から申し上げているように昔の友達が今も友達でいられるかについて懐疑的にとらえている。これはある意味で仕方がないことだと考えている。

特に家族を持っていれば、守るべき第一は家庭であると考えており、それを脅かしかねない存在は、友達といえども排除せざるを得ない。悲しいけれど、これが落としどころだと思っている。

お読みいただき、ありがとうございました。

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