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足るを知ることの実践は難しい

今日は朝早くから起きて出社し、必要な機材を持って地方の生産現場に出張しました。だから東京の天候がどうだったのかはわからなかったのですが、戻ってきたところ雨のようですね。

さて、……。

老成するには早過ぎるしそうなったとは思わないけど、父母二親を見送った経験によって物欲はかなり減った。

この世のものをあの世に持っていけないことは観念として分かっていたつもり。しかし、自分が死んだ瞬間に大抵のものがゴミになることも実感したからだ。

そうならない価値あるものを吟味して買えばよいと言われるかも知れない。でもそれは、受け継ぐ者にその価値を見極められるだけの眼力が備わっていないと成り立たない。

大抵の場合、親が持っていたものは相続財産として子どもの手に渡るだろう。でも、わが子といえど独立した生活を送っていれば、子の側も大抵のものは既に持っている。その状況で更に子にとって欲しいものがあるだろうか? 正直なところかなり確率が下がるように感じる。

実際に相続した立場から考えると、親の残したもので「これは欲しい」と思えるものはまずなかった。踏ん張っても「あれば使うかなあ」程度のニーズしかなかった。

よく「意外な高値の付くお宝が」という射倖心を煽るような言葉を聞くが、我が家の場合は新興住宅地に建てた家であり、先祖伝来の何かがあったわけでもない。

メルカリに幾つか出品したけど、売れたものは僅か。送料を差し引くと利益は4桁に留まる。

このような経験から、ものを持つことの根本に対して懐疑的になった。これは致し方ないことだと思っている。

それに、我が家の場合は娘しかいない。娘に対して、親として嫁入り道具は持たせたいと思う。でも、これって基本的には婚姻に合わせて新規購入するものだと思っている。先祖から受け継いだものがあれば足すこともあるが、ない以上はどうしようもない。

もちろん、何も物など要らないという極論を語るつもりはない。生活必需品というのはあるし、それは当然持つべき。ただ、それが嗜好や趣味の世界に入り込んでしまうようなものなら、それは違うかなと思う。

功なり名遂げた人間は、最後に名誉を求めるという。勲章を欲しがるのはその最たるものだろう。

この究極の名誉といえど、やはりあの世には持っていけない。足るを知るべきではあるが、その実行は意外と難しいようだ。

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