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「私は大したことをしていない」と簡単に言わない方が良いと思う

今日は寒い一日でした。もっとも、日中は外に出ていないので分かりませんが。

さて、……

多くの日本人は、謙譲の美徳を身に付けている。そのため日々の業務に精励していても、自らについて「私は大したことをしていません」と言うことが多い。

よくあることではある。でもこれは、日本人の業務遂行が基本的に分業であるがゆえにそう感じてしまうだけなのではないかと考えている。

外国の場合、業務の担当は垂直に切られていることが多い。○○社の担当はAさん、という決まり方で、Aさんがカウンターパートとして最初から最後まで業務を担当・遂行することになる。

そのため、例えばAさんが夏休みに入ると業務もそこで滞ってしまう。他の人は担当外だと言うし、実際何がどこまで進んでいるのかを把握できないから他の人も迂闊に手を出せない。

一方で日本の場合、業務の担当は水平に分業されていることが多い。△△社の担当も、業務内容ごとに複数に分業される。従って、1人が何かの要因で休んでも、その前後の担当者同士で確認し合えば、ある程度休んだ人間の業務をカバーできる。

このように考えると、「大したことをやっていない」と言いながらも、全体の大きな業務の一翼を担うことで結果的に「大したこと」をやれてしまっている場合があるのではなかろうか?

日本人は、こういうことも含めて理解した上で業務をやっているのか? について認識が乏しいように思う。この点は改めるべきだと考える。

ただ、外国の場合は担当者がある程度権限を渡されており、交渉においても即断即決で話の進みが早い。逆に、日本の場合は担当間の業務受け渡しや各担当ごとの上長との確認に時間がかかるため、話の進みがどうしても遅くなる。

この点は昨今の進歩の早い時代には合わなくなっており、日本が新たな成長の取っ掛かりを掴みきれない理由になっているとも思う。

強みと弱み、そして弱みにおける課題が見えてきたなら、その改善に向けて進めば良いはず。しかし、残念ながらその動きはあまり大きなうねりとはなっていない。

皆が浸って抜け出せないぬるま湯、外では熱い取り組みが行われており、その熱で茹だってしまう前に飛び出さねばまさに茹でガエルになってしまう。今のままを選ぶより、一歩を踏み出すべき時だと考えている。

お読みいただき、ありがとうございました。

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