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「出来るだけ一緒にいたい、家にいさせてあげたい」



とうとう24時間の在宅介護が始まった。

母がパーキンソン病を発症した頃から、いつかは介護する日が来るとは思っていたが、いざ、そうなるとおじけづくものなんだな。

週5日は私、私が夜勤の日は2人いる私の息子が1日づつ担当だ。

去年、母が肩を骨折したばかりの頃は、私は出来るだけ施設で過ごしてもらいたいと考えていた。

もちろん、介護が大変そうだからだ。

それまで、母の家の1室を借りて、マッサージサロンを経営していた。

経営といっても、月に10〜15人くらいのお客さんだったので、趣味の延長の様なものだった。

しかし、コロナが日本に蔓延し始めたので、サロンもお休みにしていたから、私は夜勤の日以外は暇にしていた。

6ヶ月の入院と、1ヶ月のショートステイの滞在の間、面会はできなかった。

週に3回ほど、洗濯物を持って病院へ行き母の様子を聞く。

リハビリを頑張って、歩ける様になったと聞き、安心したのも束の間、
冷蔵庫に入っていたドレッシングを飲んでしまった。一つ心配がなくなると、また一つ、違う心配事が増える。

私は、無性に母に会いたくなった。

会いたくて仕方ないのだ。

小さくなってしまった彼女のことを、
愛おしいと思う日々。

あと何年生きるかわからないが、そんなに長くはないことは確かだ。

あと10年、もしくは20年か。

その年月を、施設で過ごすのは嫌だと言う。

そして、私はと言うと、出来るだけ家で過ごさせてあげたいと思うようになっていたのだ。

人の気持ちは、コロコロ変わるものだ。


この7ヶ月間、考えて考えて、息子たちにも協力して欲しいことを伝え、了解をもらい、母を在宅で介護することにした。

私にとってそれは、並大抵の覚悟ではない。

何しろ、今までの50年間、母とは仲が悪くケンカばかりしていたからだ。

はてさて、これからどうなる?

私の介護日記は、続く。

これは、2021年3月に書いたものです。


❤︎LOVE&MIND&SOUL&MUSIC♬


骨折して手術した時の話はこちら
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